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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
8月25日(水)と26日(木)の北海道チームの様子です。
北海道チームは2手に分かれて行動していますが、7日間にわたって旅をしたリーダーの方からの報告です。

◆◆◆

先週の20日旭川から始まった北海道キャラバンも最終日です。

昨日の帯広で沖縄戦の体験者満山様を取材。ご自宅での取材が難しいとのことで、ちかくの公民館会議室を事前に借りていました。
帯広でも遠方の場所にあったので、釧路のKさんが宿泊していただいて、車で移動でした。
車中では、「抜刀隊」の音楽がかかり、戦場体験の話一色。
見渡す限り畑で、道は直線。北海道に来て初めてPCのモバイルの電波が入らず、Webで地図検索もできないので、少々迷いました。
近くにお店もなく、あるのはセブンイレブンが一軒。駐車場で豚どんのお弁当を買って食事。

満山様の体験は、沖縄地上戦のお話で、一方的に米軍の爆撃と砲撃に追われる話。退却を繰り返しながら、負傷者は自決を迫られ、満山さんも負傷をします。
8月15日の終戦を知らずに、10月まで山に籠もり、ある日目が覚めると米軍が数人覗き込んでおり、びっくりしてひとりを射殺をします。
残りの米軍は逃げて、死体をみると、武器を携帯していないことを不思議に思いながらも、反撃があるに違いないと身構えます。
ところが、死体を収容しに米軍がきてすぐに引き返し、日本人が洞窟に向かって「戦争は終わった」と告げ、ようやく戦争の終結を知り投降をしました。

戦争終結して米兵を殺してしまって、「裁判にかけられる」と覚悟をしていました。
ところが、米軍の指揮官が「戦争の終結を知らずにいたこと、そして、部下には洞窟に立ち寄らないことを命令していたにも係わらず、命令を無視して死んでしまったので、あなたが米兵を殺してしまったことは公式には不問のする」と、通常通り収容所に入りました。

本日は、午前中 北海道で戦場体験の聞き取りをしている簔口先生にお会いできました。本職は高校教諭で、北海道の戦場体験を聞き取りをしています。
お互いの活動の情報交換等もでき、先生からは「同じようなことをしている人がいるのは心強い」とのことでした。
映像では遺していませんので、体験者の方のご紹介や、文章として会に提供することは問題ないとのことでした。

午後は帯広から釧路に移動。釧路は、風が心地よく、秋のような気候でした。
満州で国境を警備していた山本さんを取材しました。
軍隊には志願をし、第3国境警備隊工兵から、127師団へ。127師団では挺身奇襲隊として、後方かく乱の訓練を受けます。
ただ、15人に4丁ほどしか銃は支給されず、飯盒ですら人数分ないなか吉林省八通河手で山の中に籠もり、ソ連軍の侵入には何も反撃できずに投降しました。
途中、日本に帰りたい一身で脱走をしますが、結局つかまってしまい、ウラジオストクに送られてしまいました。4年間の抑留生活を送り、無事に帰国できました。

1週間、旭川、札幌、帯広、釧路と戦場体験を聞きまわり、北海道に来なければ聞けなかった体験、お会いすることもできなかった人達と交流をもてました。
なかなか体験をすることのできない時間でした。
いろいろな方々のご支援でなんとか1週間を過ごすことができたことを改めて、御礼申し上げます。
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