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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
8月22日(日)北海道チームの様子、1班が聞き取りをした体験者の方の証言の概要です。

◆◆◆

◎山中 禮三さん
1917(大正6)年11月29日生
1938(昭和13)年1月10日召集
第七師団歩兵第26連隊 歩兵

1938年   青森県金木町から第26連隊(須見大佐) 第一大隊(安達)第一機関銃中隊入隊
1938年3月3日 室蘭港より乗船
1938年5月6日 徐州作戦に参加
1938年8月  張鼓峰事件
1939年6月20日 チチハル第26連隊に応急派兵
7月3日 渡河地点から4キロほど

渡河予定は午前3時だったが部隊は午前8時から渡河・・前衛大隊の第一大隊安達少佐大隊がまず渡河。
午前11時に渡河を終える。

194台の車両が前後50メートルの間隔で、10キロになる。

さらに2~3キロ前進・・砲弾激しい。トラックから下車、戦車の大群見える。
さらによい丘を求めているうちに2Kほど徒歩で前進してしまった。
ソ連軍戦車が一キロ先に迫る。いったん隠れた戦車70台が一斉射撃。
500メートルに迫ったときに、機関銃を一斉射撃したが、殆ど効果がない。

「速射砲はあたっていたよ。次々と命中するんだよ。大隊砲はあまり飛ばなくて効果がなかったね」

「歩兵だけが肉薄攻撃隊をあらかじめ作ったんだ。12~13人の分隊から4~5人ずつあらかじめ選ばれて、火炎瓶と地雷をもって、一番前にいたね」

戦車が迫る。火炎瓶を立ち上がりざまに投げつけた。
肉薄攻撃隊はなかったサイダー瓶が4本ずつ配られた

「橋を渡る前にガソリンを入れたとおもうね。砂は入れていないよ。自分のフンドシのひもを使って栓をしたよ」

「とにかくはじめての作戦で誰もよく分からないんだ。一台の戦車が陣地を突破して我々の後ろに行ってしまって、それからこちらに方向転換してきたんだ。
始めはマッチで火をつけたよ。サイダーはアサヒサイダーだよ。
ビンは透明であまり大きくないよ。
腰に四本ずつぶら下げていたんだ。戦車の前にぶつけてもだめだよ。
最初に投げたやつはガソリンだけが車体の上でもえただけだったな。
後ろのエンジンで熱くなったところにぶつけなきゃだめだよ。
戦車は空冷式でそこから空気を吸い込んでいるからね。
しかも熱いから、火をつけなくてもビンが割れれば燃え上がることがわかって、それからは火をつけないで投げつけたな。」

命中 かくざした 次の戦車にも命中したが今度は跳ね返された。
次々と戦車がやってくる。
戦車に徹甲弾を打ち込む、貫通してぴたりと止まった。

「砲塔の付け根の部分が薄くなっているんでそこを狙うんだよ。そしたら止まったんだ」

ソ連兵が飛び出してきたその戦車から・・・二人飛び出した・・・日本軍が追っかける。

「二人飛び出してきたんだ。黒い服に黒い靴を履いていたよ。始めは降参する形で両手を挙げたんだ。
すると、隣の部隊の畑山上等兵と保平方の分隊長が、そのソ連の兵隊を追いかけたんだ。
ソ連兵は今度は走り出したし、ピストルを打ち出した。結局1人はやっつけたけど」

次に150台ほどのソ連軍のトラック部隊が来る。下車して隊列で進んでくる。2000名くらい。
思わず機銃の押鉄を押してしまう。
「上官は敵かどうか分からないというんだけど、敵に決まってるよね。日章旗を振ることになって自分も出したんだよ。だけど敵に決まっているから、振らないで自分の鉄帽の中に突っ込んだんだよ。すると当然鉄帽が浮き上がるよね。そこを狙撃兵に狙われたんだ。
跡で知ったけど部隊の一番脇には必ず狙撃手が配置されていたんだよね。運がよかったんだ。
撃ちぬかれたんだけど、後ろに貫通して後ろにした二番銃手の手を打ち抜いたんだよ。
でも汗のように血が流れてね、俺もやられたって叫んだよ」

その後頭を負傷。
眠ってしまう。・・・目が覚めると夕方・・・ひとりぼっち 取り残された。
暗闇の中 仲間とめぐりあう。

7月4日の午前1時ごろ、ソ連軍のトラックが通過する。トラック部隊に発砲してしまう。
照明弾で照らされる。
いったんソ連は退却。

激戦・・・第2中隊突撃。
ソ連兵の泣き声が聞こえる。   
第3中隊にも突撃命令。ソ連兵も突撃してくる「ウラーウラー」の叫び声。
ついに機関銃中隊にも突撃命令
山中さんも突撃、左足を負傷。

その後ソ連軍は撤退した。1000メートルほど下がり、掩体壕を鉄帽でほり機関銃を備えた・・・

「敵に包囲されることを予想し360度の円形陣地を作ったんだ、250人くらい居たと思うよ」

午前二時ごろ・・・「包囲されてしまってね、ソ連兵がそばに居て話し声が聞こえる。蚊の大群がきて、頭が変形していく。

ここで手紙を書く

またソ連軍の攻撃・・・今度は手りゅう弾攻撃・・そして交代して僅か70メートルくらいのところに陣地を作り始めた。

「隣の第8分隊の太田は手でつかんで投げ返えしていたよ」

「直ぐに投げ返さず、おおい早くしろって言っているうちに手首が吹き飛ばされた初年兵もいたよ」

夜明けとともにソ連軍は後退する・・それは砲撃するため。案の定砲撃を徹底的に受ける。
午後3時・・暑さが酷い なにも食べていない 乾パン少しのどを通らない。

「死体が膨張し始める。膨張してね着ている軍服が裂けていくんだよ」

「暑さが酷くてね。40度くらいになるんだよ。裸になったしね。なんとね50センチくらい砂を掘るとね、砂が凍っているんだよ。冷たい砂を体にかけて体を冷やしたんだよ。うそみたいだけど」

午後7時ころ 砲弾病患者で始める。
午後10時ころ またソ連軍が迫り手榴弾攻撃 ・・接近して投げ込んでくる投げ込まれると拾って投げ返す。
・・砲弾より恐ろしい

敵の機関銃の冷却水の水を奪うために夜襲が始まった。

「中隊の連中が言い出したんだ。水を飲んでから死のうって。近藤中隊長だって水が飲みたいって言い出してんだ。つい照ったんだよ足を引きずりながら。水が飲みたくってさ」

50メートル先に敵の機関銃が備え付けられているのが、見えたんだ。世界中の機関銃の構造を勉強していたから、冷却水が入っていることを知っていたよ。それを狙うことにしたんだ」

こっそり暗闇に紛れて横に広がって近づいたんだ。

突入する。7名で突入・・・

「敵の陣地に小銃に銃剣をつけて着剣して突っ込んだんだ、そしたらソ連兵の足に突き刺さったんだ。そしたら体の大きいソ連兵が銃を引っ張ったんで、まっさかさまになって陣地に落ちたんだよ」

7月5日になる

「撤退を近藤中隊長に回りは進めていたけど、近藤中隊長はとどまったんだ。今思うと無断撤退だけは避けたかったんだろうね。あくまで命令がくるのを待っていたと思うよ」

救援される。
ハルハ川に飛び込んで水をがぶのみした。

ハルハ川の爆破を見ていたのか。

「一キロくらいはなれたところからみていたよ。朝の五時ころかな。怪我人はトラックで野戦包帯所で待たされていたんだ。死体を焼いたりしていたなあ。
トラックを待っていたら、爆破作業が目に入ったんだ。
ハルハ川が爆破されて渡れなかった人もいたよ。そういう人は負傷者だよ。たいした川ではないから負傷していなければ、渡れるよ」

その後、上海の鉄道関係の軍属になり、終戦まで召集を免れる。

◆◆◆

今回、メモをとったものをそのままメーリングリストに流しているようです。証言された言葉がそのまま出ていて、少々読みづらいですが、臨場感があります。
キャラバン隊最前線からの報告は、いろいろな形がありますが、それも「味」ということでよろしくお願いします。
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