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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
メーリングリストに流れた証言のうちどれがキャラバンのものか、だんだんわからなくなってきていますが、どうにかわかるうちに掲載します。
2011年、第2回福島キャラバンが11月24日(木)に伺った証言の概要です。
メーリングリストより転載します。

◆◆◆

◎阿部竹雄さん【※90?】
取材日:平成23年11月24日
所属:13師団歩兵第65連隊(鏡6805)第8中隊
戦地:中支(常徳作戦・湘桂作戦)
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○1921年(大正10)【※?】、福島県生まれ。

・甲種合格

○1941年(昭和16)12月15日、現役入営。

・若松さ入隊して、三カ月教育受けてね、そうして、十七年の三月に、ほれ、中国さ渡ったんだがね。
・長男だから下士志願はさせられねえって、ほうして桑原准尉が家に電話して「下士志願はさせられねえってお前の親父が言ったから」っていうわけでねえ、ほうで下士志願できねえから、どうせあれだったら、昔からその、歌にもあった、「一にラッパ、二に衛生」って、うんとラッパ手だの衛生兵は楽だったんだかんねえ、一線でバチバチ撃つことねえんだから。ほんだから衛生兵に志願したのね。ほうしたら、俺は頭悪いからダメ。ははははは。いやあよかった衛生兵になんねえで。衛生兵も楽だと思ったらとんでもねえんだ。戦闘はじまっと、ほれ、衛生兵は後からついてくっけんどもね、ほうして誰か負傷すっぺさ、ほうすっと「衛生兵前へー!」ってやれっと、衛生兵なんでかんで前さ出てこなけらいけ
ねえだ。なんねよかった衛生兵。頭悪いかんねもともと、ならねかったんだ、衛生兵は頭できねえと。
・中国さ渡る前に、あんこ餅食いたくてねえ。そんなことばっかし戦友と集まって「餅食いてえなあ」なんて言って。期検閲終わったらば、外泊があったのね。その外泊で、俺ら福島のは一泊しかもらえねえだけんども、内務班長と友達で、特別二泊もらって、知り合いの家の前を通ったらば、ちょうど庭で餅つきやってたのね。いやあその餅のうまかったこと。今でも忘れらんねえや。

○1942年(昭和17)3月、上海上陸。

・それで上海から、船で遡ってね。漢口まで船で行って、漢口から今度はトラック輸送でね。そん時の総指揮官が、平林ていじっていう福島の、いまから三年前に亡くなったけどね。優秀な人だったんだ。これは上海戦から参加した人でね。そうして、俺ら行った時は大尉になっててね、そして大隊長やったんだが。
・そしてこの“えいばんこう”で教育受けたんだ。俺らね。ここで約十カ月、そうして教育受けたのね。それが十七年。
・初年兵で行ってまもなくだ。捕虜をつかんできてね。その捕虜を、そのー、銃の先さ剣つけて、着剣して、突き殺すわけね。ほうして、突いたらすぐ抜けって。ほうすっと、つかまって、あれされっから、つかまれっから、すぐ抜けって、いやいやあなんだか、ほんだって、あー、手はしばっておかねえんだ、ただ胴だけしばっておくんだな。そんだから、手は自由にすっから、すぐ抜けよって教えられてね。
・阿部一郎さんは銃剣術の達人でねえ、いやいやかなわなかったねえ。あんまでかくはねえけんど、一郎さん、俺よりはちょっと体。だけどやせ型でねえ。
・ずうっと擲弾筒。あと当番兵。擲弾筒、あのね、百メートル以内ならうまく命中すんだよね。百メートル以上なったら。ほんでも俺はだいたいね。ほんだから初年兵から擲弾筒させられたんだけっどね、ほうして俺の同年兵の“たんのとくじ”っていうの、これは俺よりも頭のいい野郎だけんどね、要領悪いから、筒手させらんねえで、俺のあれだ、弾薬手で。まったく、ああいう頭で、体格も俺よりいいんだかんね、筒手やらねえで弾薬手だ。わかんねえんだ、なんぼ頭できてもね、要領悪いとかなんとかねえ。
・はじめての戦闘の時は、それが怖くねえんだよ。中国の兵隊がどんな格好してっか、見たくてしょうがねえんだね。ほうして首上げっと、先輩の人達にぶん殴られてね。「この!首上げんな!」って。なんでかっで見てえんだよね。みんなじゃないけど俺みたいなバカは。肉眼で見るんだから雨降ってる時になるとね、中国の兵隊は傘さして立ってんだ。それで肉眼で見えんだからね。俺行ったとき。見たくてしょうがねえんだ。ええ。まあったく。
・俺は運が良かったんだよね。この“えいばんこう“から今度は、あのー、戦闘始まって、んー、“えいばんこう“だかんねえ、そうして、、、”みたし“、”みたし“ってここだね。”みたし“で俺、負傷したんだよ。ここんとこから、こっちさね【※右肩】、あの、チェッコって優秀な機関銃だがね、これでやられてね。ほんだ、俺は擲弾筒手やってたんだがね。擲弾筒手やってて、「初年兵で擲弾筒手は、阿部お前一人だかんな」なんてね。擲弾筒手。筒手はやっぱ二年兵から三年兵なんけど、筒手やらせらんねえから、俺は特別ね、初年兵から通してやらせようっつう。ほして、ところがこの、みなしで、あのー、んー、みなしを占領して、ほして、次の朝に、夜明けと共にね、迫撃砲ボンボンと来んだよね
。ほうして、出動命令下ってね、ほうして出て行って、俺擲弾筒撃ってたんだよね。ほしたら、後ろにいて、あの、人事係の准尉の人が、この人が「阿部うまいぞ」。ほして、敵とだいたい百メートル以内で撃ちっこやってたんだがね。十五メートル位前に、まだその、塹壕掘ってあったのね。その塹壕さ、その前まで出ろってやつで。ほうしてこっからひょっと出て、ここさピョンと入ったとたんビーンとやられちゃってねえ、ええ。ほうしてやられて、俺、野戦病院さ入院するに、申告しなくちゃなんねえから、小隊長さ行って申告したらね、ほうしたら小隊長に怒られてね、小隊長の命令なく人事係准尉の命令で動いたから、小隊長はおもしろくねえわけよね。初年兵で、突撃もしないうちにやられたなんて怒
られたんだがね~、ええ。ほうして三十分とちょっとたったらば、この小隊長、今度は大腿部貫通でね、やられてきて、ほうして「阿部、俺もやられてきた」って、ほうして俺の前で泣いてんだ。「悪かった、怒って悪かった」って。ほうして、船輸送で、この”さし“まで、”さし“、”みたし“から”さし“っていうここへ、”さし“、ここだね、ここまで船で来るんでね、船ん中で、出血多量で亡くなっちゃったの。これ衛生兵ついて行ったんだけどね、同年兵の衛生兵で、この~、衛生兵というのが同年兵だかんね、衛生兵がやっぱ、出血、止めしてっけど、苦しいらしいんだね。「ゆるめてけろ」っていって、なにも、俺も見ねえふりして見てたんだけっども、三回くらいゆるめてきたらね、それが悪かっ
たんだよ。出血多量で船ん中で亡くなってね。あれ、ゆるめてくんねえで我慢して、この、野戦病院まで行けばいかったんだけれども、ここんとかだいたい三時間くらい、船で下ったんだけどね。“みたし”から。“みたし”からこう揚子江下ったんだね。“さし”ここだかんね。わずか三、四里、三里くれえのとこだけんど、船もあれ、支那人にひっぱらせての船だかんねえ。今の、あの、なんていうか、発動でなく、ひっぱってるもんだから、三時間くらいかかるねえ。
・衛生兵はなんでかんでねえ、すぐよばれっからねえ、負傷するとねえ。俺は血もでねえから。三角巾のねえ、これくらいの布の、これでちょこっとしばっただけねえ。そうしてこの“さし”の野戦病院までさがったんだけどねえ。ほうして“さし“の野戦病院で四十日入院して、そん時なんだ、”ひろうえ“さんて、俺より学校一年上なんだけんど、一年早く志願して、ほんだから俺いったときは伍長になってて、そんでこれは三機関銃中隊の、下士官になってねえ。俺負傷した時は伍長になってねえ、俺んとこ見にきたんだね。どっから持って来たか、パイナップルの缶詰を持って来てねえ。みんなもたまげてんだ。「おお!こんなんてすごいなあ、阿部は違うなあ」なんてやってね!あははははあは。
・運が良く、骨さも当たんねえで、血もろくに出ねえんだかんね。ほうして野戦病院さ行ったら、あの、軍医、「お前は運がいい。今一寸ずれたら頭部貫通で即死だったぞ」なんてて。ほうしてろくに血も出ねえでねえ。
・ほうして俺は負傷したもんで、野戦病院から退院して中隊さ帰ったらば、上等兵になっててねえ、それで、野戦病院下番と上等兵の申告と一緒に申告してねえ、でちょっと過ぎたらば、俺人事係の准尉にうんと可愛がられてたのね。桑原准尉ってね。大部年配の人だったけんども、下士志願、下士志願から准尉まで上がって、亡くなる、戦死したんだけどね、戦死する前に少尉に任官してね、なかなか下士官で少尉までは上がんねえんだかんね、だけど優秀な人で、この人に俺は可愛がられて、ほうして負傷したんだから、中隊長当番を命じられてね、“しまだ”中隊長の当番命ぜられてね、ほうして当番してね。

○1943年(昭和18)11~12月、常徳作戦。

この常徳作戦、常徳作戦っても俺は当番兵でね、俺は楽だったけんどね、こん時だ、優秀な“おがわよしお“って、この人は俺より一年早い人だけんど、この人戦死したのね。これ俺当番兵でなかったら、俺戦死してたんだった。優秀な人だったの。下士志願でなくても、兵長で戦死したかんね、まる一年半くらいで兵長になって、一年半になんねえで兵長になったのかな。そして戦死したから伍長になったんだけどね。
・この常徳作戦も、俺は当番だからなんだ、後方にいっからね、中隊長のあとくっついて歩けばいいんだかんね。中隊長は、23で中隊長やってんだからね。俺より二つばかり年が多かったけんどね。中尉でね。これは士官学校上がりだ。ほんだから、俺負傷する時だって、中隊長勇敢だかんね。あれだ、“みたし”の戦争までは一緒にほれ、しまだ中尉、先頭になって戦ったんだからねえ。ほうして、“みたし”で負傷したのね。このころは中隊長は勇敢な中隊長だったんだぜ~。なんでかって、第一線と、八中隊の中隊長と七中隊の中隊長は、士官学校上がりで。おれの中隊長、“しまだのぶお“って、福井県生まれで。

○1944年(昭和19年)、湘桂作戦。

・今度はこっからはじまって、戦闘始まって出て来たんだかんね。ん~、ここ、これからこうきてここでこうきてこうきたんだね、これね。ほうして、ここまでの間が、これ地図でなんてことないけどこれ何百キロもあんだかんね。この間ほんとに中隊、八中隊は第一線に、戦闘部隊に何回かなって、交代しながらきて、ここまでは戦闘部隊できて、こっからこの山越すときね、八中隊は今度は山砲の護衛につけられて、いやあほんと山砲はひどかった、こんの山ん中あ~。こう越すんでねえ、縦に越したんだかんねえ。十何日かかったんだからここんとこ越すんにね。それが岩山で、つるつるで石が、つるつるなんだよね。ほんだから山砲は、馬さつけたままあの砲身だの車輪だの、馬さつけて搬送できなかったの
。みな降ろしてね。人間で搬送したの。馬はあの転んだら、股割れて、これんなったら馬だめになっちまうからね、股裂きしたらね。ここ人間で搬送してね、ほれで俺ら護衛につけられたの。山砲とか輜重隊とかはうんと支那軍から狙われっかんね。ほうしてここまで、このへんまできた時は今度はアメリカの飛行機がうるさくなってね、日中は行動出来なかったの。日中は、あれが、うーん、隠れるようにして休んでね。ほうして夕方、出発命令下って、ほうしてどんどんどんどん進んだんだがね、これね、第八中隊先頭になったり、あと一番後尾さ付けられたりね。まず第八中隊はうんと使われたんだ。そこん時の、ここまでは、この八巻さん【※中隊長】と一緒で、あとちょこっとあの、八巻さん、んー、作業
隊の小隊長でね。ほうしてここの橋架けさせられたんだがね。八巻和夫さんと、あと佐々木、佐々木何少尉だったか、これ工兵隊の小隊長なんだけっどね。これを親方に、えー、橋架けですね、この橋架かって、ほうしてここの橋を一番先頭で渡ったのが、俺ら八中隊なんだがね。あんな敵すぐにいんだかんね、そこんところ渡って。行ってこん時に戦死したのが、んー、わかんねえなあ、あ、佐々木か。第八中隊の佐々木っていう中尉の中隊長が戦死したんだよ、ここでね。ここんとこ渡河して、きんぎょうせきってとこの戦い、いや、これがあんた、ほんとに、それこそ戦ったんだぜ。これはあの蔣介石軍でね、蔣介石軍は強かったから。ちゃんとあの、今度は、どこの軍隊っていう密偵、どっちでも密偵だして
おくかんね、はいってくんだね。だから蔣介石のあの兵隊使って、しゃべらせてから、日本の兵隊と同じ武器を持ってれば絶対負けないって、中国人は身軽で、日本の兵隊みたいに、日本の兵隊はあんた、三日分の食糧、米背負って、後は全部被服からなにから背負って、あと弾薬それさ背負わされるんだからね。ほんでほら、あの背負って歩くのが、背嚢の目方があのころで八貫目っていうと、キロにしてなんぼになんだい?八貫目あったんだ。それ背負っての戦だからあんた、中国人はほんと身軽だかんね。中国ではほれ地理がわかってっかんね。日本では全然わかんないとこさ行ってんだかんね。だからとても負けねえっていうわけで、この蔣介石軍とやって、ほれで俺の第八中隊長が戦死したんだかんね、こ
こでね。いやあ俺は擲弾筒一つで、擲弾筒の“とういばん”ってあんだよね、こういう輪っかになったね。このあの、撃ってるうちに、“とういばん“、ぶん曲げちゃってねえ。いやいやこれは怒られるとこだったねえ。あの人事係准尉というか、兵器係のね、曹長、あの、うーん、あの曹長は、なんだっけ、これおっかねえ曹長でねえ。怒られっかと思ったら怒らんねえで済んで、ほうして、「擲弾筒、阿部交換してやっから」なんてね。
・ほうしてどんどこどんどこほうして進んで、やっぱ、一番先頭になり、後になったりしてね、この桂林を越して行く時、桂林作戦に、俺ら部隊、第一線に突っ込むわけだったのね、そういう命令があって、いやあこれはかなわねえと思ったけどね、これはとても桂林のなんだ、こういうあれ、ちょっと高台になってんだよね、桂林ね。そこんとこ進んでとてもやられると思って、そしたらばその晩のうちに命令下って、変わって、そして俺ら部隊でなく、何部隊だっけな、その部隊になったのね。俺らはね、だいたい三百メートル、三百メートルちょっと離れたとこで見てっと、やられんの、倒れんの見えんだかんね、肉眼で。パパパーンとやられてね。いやいやいやいや。「またやられたぞ」って見てたんだよね。
・ほうして今度はこのへんは戦闘部隊でなく、“きんじょうこう“あたりはね、みな戦闘部隊進んで、その後を行ったんだけんどね。ほうして”どくざん“まで行って、今度はここで命令下って反転作戦。”どくざん“からこのあれ、重慶まではだいたい四百キロっていってんだがね、重慶ね。そこまで進んで、ほうして重慶攻める、わけだったんだけんど、こっちが危ないってわけで、ここ反転したんだ。”どくざん“まで行ってね。そしてここの、きんじょうこうで、だいぶ、あのー、駐屯してね。
・全部歩ったんだよ。なんにも乗り物なんかねえわい。あの、大隊長と大隊副官は、副官はまた馬さ乗った格好見らんねえわとんでもない。おれは、小学校三年生から馬さ乗って、昔はバス道路、まだ舗装でねえし、車なんかほとんどなかったからね。ほんとに、それこそたまーにほれバス、あれ、えー、一日に二回、二往復位あっただろうねえ。ほんだから、あの、三年生から馬に乗ってね。だから馬さ乗るの得意だったから。ところがあんた、副官、八巻さんなんかは、まったく、副官の馬はやせっこで、大隊長の馬だったわい。この、大隊長がね、どこだったかね、これはあの、連隊長になった、あの両角連隊長の馬を預かってて、ここでかっぱらわれちまったのね。ほんだ。このへんはほんと泥棒のひどいと
ころだったから。ここで連隊長の馬かっぱらわれちまってねえ。ただ、その馬は、連隊長の馬、誰も乗んねえで、ただ裸馬でね、ひっぱってきたらしいんだね。俺はそのころまだわかんなかったから、そのあとから俺大隊長の当番したのはね。帰りだから、こっからの。この、“きんじょうこう”の、こっからの帰りだから、当番したのね。
・このへんは泥棒がうんと激しいんだって、あの、通訳が言ってたんだけどね。かっぱらわれちまったんだ。あんときは大隊長も、それこそ、えー、連隊長の馬かっぱらわれちまったんだからねえ。
・ここさ行くまでは全然わかんなかった。あんた大隊長のあれで全然わかんなかった。そりゃあんた一般の兵隊なんて大隊長のすぐそばさ行かれなかったんだから。
・なんでかんで、後方からは送ってこられねえから、なんでか徴発。みんな、ほれ、農家からかっぱらってねえ。なんでかんでそうしねえと。だから俺らは第一線部隊だからねえ、なんでかんでほうしておれは百姓で鍛えた体だから、ここさ、とにかく一日に十里以上あるかせられるんだからね。夜ね。夕方暗くなり始めたら、出発準備かかってね、それまでにちゃんと、夕飯と次の日の朝飯と、昼飯まで、飯、飯盒さぎっちり焚いてね。ほうして背負って、出発して、だいたい十里っていうと、うんと楽なような気がしてねえ。ほうして毎日歩かせる。ほうして宿舎さ着くと、おらみてえな丈夫な者は、すぐこんど徴発に、徴発に出る人と、あとは寝るとこ作る人と、あとご飯ほれ、飯盒で炊爨する人とこう分担し
て、俺は着くとすぐ徴発にだされてねえ、一個分隊から二人が、だいたい二人か三人なんだ。いよいよ戦闘になっとやっぱ三人出されてねえ。なんにかに俺は徴発のほうだった。
・たいがいの家に米がなんぼかある。どこさ行っても米とか、あとは一番困んのが。あのー、やっぱ塩分ね。これ、なかなかなくてね。これが一番困ったね。あんだ、ほんと、塩分不足すっとひどいもんだかんね。それこそ、夏の暑いときなんて、こうしゃがんでて、急に立たんねえから、カラカラ―ッとめまいしてね。真っ暗、目の先真っ暗んなってね、ひどいもんだね。それこそ、ほんとに水が不足するとね。
・水はクリークの、それこそ、暗い時、何かに沸騰して飲むんだけっじょも、明るくなって見ると、それこそ、死骸浮いてたり、ね、そこのクリークの水を汲んで、飲むのよ。あんなとこでは、変色したクリークの水飲んだりねえ、えへへ。なんでかんで生水は絶対飲まないかんね。
・大概の家、あの、暮らしのいい家だと、大概ねえ、こういう缶、缶さ、チャンチュウねえ、あったかんさあ、あと、あれ、大隊本部の、あれだ、俺さチャンチュウさ、水筒さ詰めてあったんだ。大隊長はなんでかんで飲むんでんだかんねえ。この、あんまりいっぺんは飲まねえんだ。普通の水は大隊長の水筒さ。大隊長と一緒に飲まなきゃなんなかった。俺の水筒はなんでかんでチャンチュウなんだかんねえ。俺もたまにはそのチャンチュウちいーっと飲むわい。えへへ。大隊長に内緒でねえ。えへへへへへへ。あと大隊長のたばこも吸ってねえ、あんなマーシャル吸ってるって、ほうすっと、俺らの先輩ねえ、なんだ、あのころ、伍長や軍曹の人達がねえ、「なんだ阿部はちがうな」なんて。ははははは。「俺は
まあこういうたばこ吸わねえぞ」なんて。えへへへへへ。マーシャルなんて。あれタイガーっていうたばこは兵隊吸ってたけんど、マーシャルっていうのはねえ、兵隊なんて吸わなかったんだ。高級なたばこで。タイガーって、これは一般の人達が吸った。ほんでも割合にいいたばこだったけんどね。タイガー。
・みんな逃げちまう。二十一、二十二くらいの歳だから、女ほしいわい。ほうだけんど、皆ねえ、若い女はイの一番に先に逃げちまうから。ほうして皆ねえ、つかんでみっとねえ、炭を顔さ塗ってねえ。ははははは。あんな、一番のあんな、それこそ二十二、三のころだものあんた。えへへへへ。ところが、あの纏足の人達らはねえ、逃げらんねえから。たかたかたかたか。ほうだけんど、あのころでねえ、やっぱ七十歳以上のばあちゃんたちだったから、纏足ね。これ布でぐるぐるぐるぐるねえ。なんじょんなってんだか、開けてみるってなんてほどいてね、くせえーことねえ、これが。年中巻いとくんだからねえ。ほうしてこれが、詰めとくんだからねえ。はははははは。
・若いのはぺーっと逃げちまうからなかなか捕まんねえわい。ええ。
・慰安所はね、“みたし“まで慰安所、あれだ、だいたい朝鮮の女っこね。俺は朝鮮人は嫌だから行かなかった。
・うーんと“みたし”の前に、ここの、あれ、“りゅうせんぽ”、宜昌の手前の“りゅうせんぽ”ってとこには、日本人もいたんだけっど、俺らそのころ初年兵だからあんた、そんな遊びしてるどころでねえわい。ただあんた、それこそねえ。
・‘りゅうせんぽ‘ってとこで、宜昌作戦で五人も戦死してんだ。俺より二つ多い人たちだから。
・“きんじょうこう“の戦で、これもひどかったんだ。俺が”きんじょうこう“さつくとすぐ、今度は大隊長、今言った平林大隊長の当番兵言いつかって、八巻さんは大隊長の副官。ほんだからこん時もまだ八巻さんとは一緒よ、今度は副官でねえ。うんと、昭和十九年の十一月からねえ。だから、ここの戦闘の時にあの、俺が可愛がられた准尉、桑原准尉がね、戦死したのね。あと、俺とほんとに、んー、これ、”いわたしげる“、”いわたしげる“っていう、これは俺よりは、あのー、四番目で上等兵になった野郎なんだけれどもね、これが俺のケンカ友達で、ほうしてこの岩田も優秀だったんだけども、俺はあの擲弾筒ってことは全然わかんねえんだから、困ったなあおめえ、大隊長の当番なって大隊本部さ行
くんでも、俺今度は、擲弾筒のことわかんねえんだ、たしかにわかんなかったのね、擲弾筒っていうのは、弾はちょっとこれくらいだ。これよりちょっと長いねえ。これは瞬発信管、あの、瞬発でねえ、なにかさ、あの、ドーンと飛んでくべさ。ほうしてなにかさ着こうとするとさっともう炸裂すんだからね。それが、木の下でやったから、木の板さ当たって、炸裂してよ。ほうしてあの、分隊長の”いわたしげる“と、あと”かねこ“、”かねこ“っていう兵長だったんだこれ、これと一緒に戦死してまってね。この戦死した時、”さとうさたいちろう”って俺の同年兵でね、これは頭のいい野郎で、これは命令受領の助手をやっててね、そうしてその“さとう”っていうのが教えさきたんだ。「“いわたしげる”
戦死したぞ」って。困っちまったなあなんていってねえ。なあわがの弾でねえ。ほんとわかんなかったんだねえ。
・ここで桑原准尉が戦死して、その戦死したのも、これもほんとにひどかった。俺は“はつしかとしお”って、これも勇敢な野郎で俺と同年兵だったけんど、これがあの、なんとも桑原准尉よりうんと体格よかったから、撃たれた時、ひっぱってくれってことで、それこそ、八十キロの重みがあった人がね、ひっぱってこらんなくて、なんともしなくて、指もいで、指だけ持って来てね。持って来たって、あの、とてもひっぱってこらんなかったって。でんでんでんでんほれ、撃ってくんだからね。ほんでもこの“はつしか”ってのが勇敢な人で、負傷もしねえですんだけんどねえ。これはあんた、ほんとに勇敢だったから。
・そこさ行くと、八巻さんはとんでもない。あれは、ありゃ、敵の弾ピューンと飛んでくっぺさあ、ほしたらあんた、すーぐ穴ん中隠れちまってのよ、もう出るもんでねえんだ。あははははは。あと当番兵が俺と同年兵の“おのふみお”って、これも死んで三、四年になるけんどねえ、これもこの、戦ねえ時はうんとでかいこと語って、八巻さんもなんだ。ほれで八巻さん、あんときなんだったか、えーと反転して、桂林からこのへんさ来たんだけどねえ、大隊長は勇敢な人であんた、平林大隊長はね、敵さ、ほれー、突っ込んで、戦闘になって突っ込んでいくんだからね。だから平林さんは七回も負傷してるんだから。俺はなんでかんでその後ついて行くんだからね。ついて行くと、「副官はどうした」って。副官
は来るもんでねえおっかなくて。あはははははは。戦友会の時も何回も行ったことがあんだ、「あん時八巻さんぜんぜん出てこねえんだな」なんて。「それ言うな」っていわれて。あはははははははは。“おのふみお”ってその当番兵、またおっかながってね。あんな、ピューンと飛んでくるともう、首なんかあげるもんでねえんだから。ピューンていう音ん時は遠くから撃って来る弾だからおっかなくねえんだかんね、ただ、シュッ、シュッとくるこれは近くから撃って来るもんだからね、その、そう百メートルか、百メートル以内から撃って来るからね、その音が全然違うから。このピューンと飛んでくるだけでおっかながって、もう首さ上げるもんでねえんだから。ははははは。まったく八巻さんもほんとに、
なんだ、戦争でねえ時は、あんだ、あの、おもしれえんだ。あの、食事会やっぺさ。そうすっと、将校連中の前でね、あの、おらが一人で突っ込んでったようなくらいのこと語って、おんもしれえこと。まったくたまげたったなあん時は。八巻さんくっついてくるもんでねえんだから。あんだ、平林大隊長拳銃握ってね、拳銃抜いて、ほうしてあんた、ここのとこでおれはなんでかんでくっちていかななんね。ほうして、大隊長はなんでかんでね、たばこは一日に二箱以上吸ってたかんね。四十本以上。ずいぶんとってる時は二箱以上吸ってたんだから。それが大隊長だから最高のマーシャル吸ってんだかんね。マーシャルってね、中国で最高のたばこだかんね。あのころで値段にしてなんぼだったんだっけかなあ。
それは皆あの主計の、うーん、小林でねえなんだっけなあ、あの、主計がみな、俺さあんときさ行ってきてねえ、ほんで、鉄帽さそのたばこぎっしり詰めてねえ、ほうして背負って歩いてたんだから。あと、俺の水筒さ、なんでかね、支那の酒、チャンチュウを詰めてね、ほうして、大隊長のあの水筒の水を俺も飲んでね。あと戦闘間でもね、夜間の戦闘間になったらね、「阿部、少しな」なんてったって、わかんだ、少しなってったってチャンチュウ飲んでんだかんね。ほうしてね、この水筒のふたね、将校のふたはこういうカップついてっからね。それさ一つ酒飲むんだからね。えへへへへへ。なんでかね俺の水筒さね、チャンチュウ詰めてあったんだから。ほうして戦闘したんだから。
・突撃もしねえで、大隊長の当番して、大隊長のそばくっついてねえ。突撃だって時は大隊長のそばくっついてねえ。ほうしてだいたいさ、這ってんだかんねえ。敵のいっとこ。
・一番つらかったのは夜行軍ね。毎日毎日夜行軍でつらかったし。ほうしてこの、“きんぎょせき”の戦いの時だて。これはほんとにあんた、あれだって、えー、だいたい二昼夜くらいほとんど眠んねえでちまって、いやいやとてもあんた。ちとあの、銃声、鉄砲の音しなくなっと、眠たくなってねえ、眠っちまうんだよねえ。銃声すっと、ぴゃっと起きてねえ、あはははは。こんときゃ一番つらかったね。眠らねえから。二昼夜眠らねえとあんた、ほんとボーッとしちまうぜ。
・靴下洗濯しねえとマメできんだかんね。
・ここの反転作戦もおっかねえんだぜー。すぐ後ろはあんた、敵軍ついてくんだかんね。いぐときは、だいたい、俺ら中隊、戦闘部隊で、第八中隊一番先頭になったとき、そっからこんどは、小銃に軽機一、擲弾筒一と、その中隊長の前さ出されんだかんね。このへんのぐんこうろ進んだ時だねえ。ほん時おら、一番先頭にだされてねえ、ほうしたら、すぐ前にあんな敵待ち構えててねえ、日本の、日本語で「誰かーっ!」lって誰何してねえ、ほんだけど、中国人の発音ていうか、違うからねえ。ほーうで、パパパーンと撃たれてねえ、あん時やられたと思ったったねえ。でも助かってねえ、すぐぐんこうろの脇が、あのー、松山で、松山さすーっと入ったかんねえ。助かって。
・まあ、一番難儀したのが、ここのあれだ。“きんぎょせき”っていうところの戦いだったね。あの、“ささきしょういち”っていう人が、これは二機関銃の下士志願で、俺ら行った時は曹長で、戦争行かない時は人事係やっててねえ、この人にやっちゃったんだ「がんばれよ」って。「ここでがんばって、がんばって通せば殊勲甲まではいかねえけんど殊勲乙はもらえっかんな」なんてね。
・まあそんなもんだねえ、ここまで難儀して、九江まで、ここまで往復歩ったんだからねえ。それこそ何千キロねえ。ほうして九江さ着いて、九江さ着く途端に、あのー、大隊長は、大隊長もうまくしてねえ、あれ、ここの、あのー、抑留されれば、大隊長戦犯にかかるもんで、あれ、うまくしてこっから飛行機で日本さ飛んじまったのね。見えなくなっちまったのね、俺知んなかったから。ほれから八巻さんに、「俺もわかんねえ」なんて。八巻さんがわかんねえことはねえや副官だかんねえ。ほんで「いつ行ったかわかんねえんだ」なんて。」
・ほうしてここで、こんどは、大隊長がいなくなったから、俺、隊長変わったんで、今度は俺も、当番兵交代させられてねえ。この、ここでだね、大隊長がほれ、大尉で、大尉が、少佐に任官したもんで、ここでこの襟章ね、俺がくっつけたんだから。その襟章つけて、その星が、大尉から少佐になったから、星があまったから、俺もらってねえ、ほうして俺つけて、伍長におれ任官したもんでねえ、ほうすると古い下士官の人から「阿部、お前は大したもんだなあ、本物の星だ」なんて。みんなねえ、本物星、あの、あれー、なんてかねえ、あれなかったから、みな布で、黄色い布で、星作ってねえ、つけてたんだから。俺は本物の星つけて、伍長になってねえ。えへへへ。
・ほうしてこんどは、この九江さついてから、今度はあのー、ここさろくな食事もねえんだかんね、ほうすっと、みな兵隊は、あのー、農家の、仕事手伝いさ行って、ほうして、ほれ、ほうすっと一生懸命手伝うと、ご飯食わせられんだよね。金はもらわねえんだぜ。ただ、食い物だけいっぺえ食わせられてねえ。ほうしてみな食わせられて行ってたんだよね。俺はそれやらんとこで、そっから今度ねえ、連隊長の当番長につけられた。ほんだから連隊本部の連隊長当番だからあんた、食い物は不自由ねえわい。ははははは。まったく。ほんだから、中隊長の当番六ヶ月ね。この中隊長の当番も俺、ここで、うーん、この、“さし“で、中隊長も中尉から大尉に任官したもんで、これもおれ、襟章つけたんだから。ほ
いしてこんど、内地さ転勤になるもんで、このさしから漢口まで送って来たのね。これも何百キロもあんだかんね。これ、漢口まで行く時はよかったんだ、中隊長といっしょだかんね、大尉の人といっしょだから。あとここで、おっぱらして、戻ってこないんだからね。いやあー、とてもあんた、まだ上等兵になって、ひと月あたりで。これからなんとか帰ったけどねえ。ほうして、この漢口さ行って一週間、中隊長と別れるまで一週間とまって、ほうしてこの漢口の町ん中見物して。あのころの大尉っていうと偉いかんねえ。大尉のそばくっついて、公用の腕章つけてねえ。ほうして、歩いたんだ。中隊長に「どうだ、女遊びさせっか」「いや、いいです」なんて。「ほんじゃなにか食うのがいいか」って、「食う
のがいいです」なんてやってね、ほうしたら「フランス料理の専門のとこ連れて行くか」ってね。フランス料理なんて、うまいとも思わなかったけんど。へへへへへ。だけどほうやってごちそうさまになってね。ええ。そういうこともあったんだ。
・中隊長の当番の六ヶ月、大隊長の当番一年。あと、連隊長のこれは当番長だから、ふんどし洗いはすることなかったんだね、当番長だかんね。伍長になったから。ここで、半年、六ヶ月。ほんだから、当番暮らし、中隊長の当番、大隊長の当番、連隊長の当番長、だいたい丸二年は当番でくらしたから、ほうしたから俺は生きてこられたのよね。まったくほんとにあれだかんねえ、二十二人、ほれ、俺ら八中隊さ転属になってねえ、初年兵で。もっともあとで転属になったのもだいぶいるが、戦死者もだいぶ出して、実際帰って来たのは、何人なんだっけよ。んー、“いわたしげる”、“たかみやいさお”“えんどうさだのぶ”“さたけ”“はつしか”、んー、あとは“おのふみお”“さとうさだいちろう”、俺、
十人まで帰って来れなかったんだね、戦死して。戦死者から、それから負傷して内還になった人もあったですね。

○1945年(昭和20)8月、終戦。

終戦は桂林からきて、だいたいこのへんだねえ、このへんの山ん中で終戦になったの。終戦になったのは一週間くらいわかんねえで、ほうして行軍してたんだからね。ほうしてら無線で入ったんだねえ。そん時、大隊長涙こぼしていた。ボロ、ボロとねえ。とにかく終戦が八月の十五だねえ。それから一週間、わかんねえで行動してたのねえ。ほうして、無線で入って、山ん中だったんだ。山って、こういう高い山でなくねえ、平地の、なんだ、あそこの住民の連中言ってたけど、これは昔蔣介石を追い出したんだっていう松山でね、その松の木が、これくらいの松山でね、それこそ、なにするったってその松山だったんだからね、そこの“ぐんこうろ”を進んだんだからね。
・おらはなんだかピンとこねえんないよ。勝ち戦ばっかししてたんだかんね。負け戦っていうのはほとんどねえんだからね。どんどこどんどこ勝ってばっかしいたんだから。だけどやっぱ将校はほれ、大隊長あたりになるとねえ、まさかあんな、頭の程度が違うからねえ。大隊長は涙こぼしてね、副官は涙もこぼさねえけんど、えへへへ、大隊長はね。

○1946年(昭和21)、復員。

復員船に乗っ時、わがの毛布がなくなって(?)、ほうしたら連隊長が毛布くれたんだね。「毛布なんていらない」なんてね。うん。ほうして毛布と、戦闘帽と、あとは、あの服もくれた服。とても荷物になって背負ってこらんねえから。服はいらねえっていってね。あの、シャツね。あれが将校のシャツなの、大きいシャツなの、緑色のね。あと、この乗馬ズボン、ズボン。それももらってね。ほうして俺は背負ってきたんだぜ。
・ほうで家さ帰って来る時、あのころまだまだ電話もなにもねえからね、福島さ着いたなんても言わねえ、連絡できねえんだからねえ。ほんでも、バスがあったからね、そのバスに乗って、家の近くのバス停で降りて、ほれで、だいたい五百メートルくらい歩いてきたらば、トラック来て、「なんだ、いま帰って来たのか」なんてトラックの運転手止めてきてね。ほうして「どこだ」っていうから、「こういうとこだ」って言ったら、「乗ってけ」なんて乗せてくれてね、やあ助かったった。フラフラなんだからね。

●最終階級:陸軍伍長【※?】
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