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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
岐阜キャラバン4日目、12月19日(水)の様子です。
メーリングリストより転載します。


本日は7時過ぎの普通列車で再び美濃太田へ降りてきました。
出発を早めて浮かせた特急代分、忘年会用の日本酒のお土産を豪華に。(もちろん会のお金ではありません)。

乗り合わせた女子高生たちが一斉にお弁当箱を広げ朝食を取り始めたのには面喰いました。
あと30分早起きすれば親御さんの負担も減るのにとおばさんな事を思いつつ、それぐらい車内は空いてはいます。
そのあと彼女たちは曇った窓ガラスに気になる人の名前を落書き。


和田昇さん(89歳)は17歳で東京陸軍航空学校に入学(少飛10期生)、実施教育中手を怪我して操縦から機上無線に専門を変えますが、赴任したチチハル第4飛行師団司令部でソ連領内への司令部偵察が行われていた様子を垣間見ておられたり、転戦先のマニラでは特攻の無線傍受に当たったりという珍しい体験もお持ちでした。

その後米軍上陸に伴い師団から野戦補充隊が編成され、急に陸上部隊としてバレテ峠に放り込まれる事になります。
右下腿に迫撃砲の破片が貫通、次いで左足付け根に砲弾破片を受けたときは肉の焼ける臭いがはっきり分かったと。
そして背中に砲弾の破片、今も腰椎の真横に残っておられます。
蛸壺の中で「死ぬ、死ぬ、死ぬ」と思った時涙が出て止められなく、その寂しさ、悲しさは言い表せないと何度も繰り返しておられました。
しかしこの負傷があったため他の重症兵を連れて皆這いながら動けるだけ後方に下がる事が許され、その後部隊は全滅しました。
今年の夏に出された絵と手記からなる大判の本を寄贈頂きましたので、ぜひ史料館でご覧ください。


本日の聞き取りは10時開始、昼ご飯を取らないまま午後3時までと大変申し訳ない事態になって仕舞いました。
和田さんもあとひとつ話したいお話があり、私も短くこれだけは質問したいと思ったら新たな展開が生まれ・・・
みたいな事で、2時頃には双方居直って(奥様も多分諦めて下さって)、どんどん写真で記録を取るべきものが運び込まれてくると言った展開に。(米軍が戦犯ではないことを記した書類や、復員書類、少飛同期生での寄せ書き(よくある日の丸とは違いメッセージを書きあっています)、捕虜時代に手作りしたステンレスの指輪等々・・・)
でも本当に褒められた事ではありません。

なお今日の聞き取りには午前中、今回のキャラバンに多くの方を紹介して下さった「伊深親子文庫」の佐野綾目さんが同席されたのですが、こんな展開でしたから殆ど御挨拶だけで終わって仕舞いました。
戦争体験の冊子を毎夏出し続けて30数冊を数えている方で、こちらも申し訳ないことでした。

本日は岐阜どまり、最終日の明日は輪之内町です。
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