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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
青春18切符の旅2011夏、9月1日(木)に伺った証言の概要です。
やはり今年の長泉町のイベント「戦争の悲劇伝えたい展」でもお話されています。
去年のメーリングリストより転載します。


◎星屋清さん(89)
取材日:平成二十三年九月一日
所属:独立歩兵第百七大隊~漢口第一陸軍病院~上海第一陸軍病院
兵科:衛生兵
戦地:中支
――――――――――――――

○大正十一年九月二十五日、静岡県生まれ。

・実家は農家。
・青年学校に五年間ちゃんと通った。

○昭和十七年七月、徴兵検査があり、甲種合格。

・八月か九月に兵科の通知が来た。それには衛生兵とあり、「嫌だなあ」と思った。衛生兵は兵隊ではないと思っていて、徴兵検査の時には歩兵を希望していた。恥ずかしかった。
・同じ地区から衛生兵が三名。
・甲種合格が中支、第一乙が満州、第二乙が三島の病院に配属になった。
・長男だったので、父親が「われもなあ、乙種ならよかったけんどなあ」と言っていた。

○昭和十八年二月十一日、福岡県須崎グラウンド集合。

・千名くらい集まった。
・旅館に一週間くらい泊まっていた。
・”きんぱ”旅館。
・夜は一時間交代で不審番を立てていた。
・一週間たった夜中、起こされて編上靴のひもを二周して縛って、西も東も分からないまま暗闇を連れていかれて、着いた所が下関だった。
・行き先はどこか分からないまま輸送船に乗船。
・戦友が「お昼に行こう」というのでついて行くと、食事が大嫌いなライスカレーだった。
・臭いをかいだだけで吐き気がして食べるどころじゃない。いそいで戻って船底で寝ていると、戦友が来て、「二杯食べた」と大喜びだった。

○昭和十八年二月十八日、下関港出発、釜山上陸。

・貨物列車に乗る。

○昭和十八年二月二十日、支那山海関経由。

・蕪湖に到着。ここからまた船に乗る。
・空襲で夜は動かせず昼間に動いた。
・朝になり、「甲板へ出ろ」と言われて出て見ると、渡辺はま子がいて『誰か故郷を想わざる』を教えてくれた。みんなして習った。
・そして着いた所が揚子兵站。

○昭和十八年三月一日、揚子兵站第百七大隊に配属。歩兵教育。

・三カ月の教育。
・教育所は製紙工場の跡。
・軍隊は要領。真面目なところはうんと真面目にやらないと持たない。
・入隊前に経験者に軍隊の要領を教えてもらった。内務班長か班付き上等兵の、編上靴、脚絆、軍刀の手入れを絶対やれといわれた。
・下士官・将校は部屋は別。
・「第一班、星屋二等兵、班長殿の食器を下げに参りましたー!」と小隊長の部屋に聞こえるようにでっかい声で言う。
・煙突の陰で戦友と二人で話をしながら編上靴の手入れをしていた。すると白の作業衣を着た古参兵がやってきて、「お前たちどっからきた」と聞いて来た。しゃべりながらやっていたので、ビンタをとられると思って不動の姿勢で「静岡からまいりました」と言ったら「ああ、俺も東京静岡間のトラックの運転手をやってた」と言うだけで、はたかれもしなかった。手入れが終わると、「明日ここに来い」。昨日の分まではたかれると思って、二人で肝を冷やして行った。すると、飯盒が二つ持ってきてあり、「これを食え」と言う。五合炊きの飯盒を戦友二人で食べた。それから毎日(?)行くと食べ物をくれた。
・汁粉を飯盒一杯飲んでも下痢も何にもしなかった。

○昭和十八年七月、A型パラチフスとマラリアを併発して伝染病棟に一カ月くらい入院。

○昭和十八年八月十二日、漢口第一陸軍病院分院にて衛生兵教育。

・四カ月。
・漢口第一陸軍病院には看護婦が300名、衛生兵が230名。
・隊長の少佐の当番兵になる。上等兵以外はつかなかった。
・家庭で言う奥さんをやった。ふんどしこそ洗わなかったけれど他は全部やった。
・衛生教育中、足のつま先から頭のてっぺんまでの包帯の巻き方を習う。
・夏の衛生教育で、越中褌一枚で鼠蹊部をやられたと場合の実習をやった。
・教育中は注射の練習で、初年兵同士で向き合って射ち合う。
・実際の現場では知らない人に射つので恐かった。
・ある日、本院の現役の下士官候補をした伍長から「星屋、お前が歩兵教育を受けた大屋軍曹が曹長になって内地に初年兵受領に行ったらばお前の弟を連れてきたから、将校食をごちそうして待ってる」と電話がきた。「まさか舎弟が、兵科も違うし来っかねえや」と言ったら「嘘を言うもんか」と言う。
・普通は甘味品を変えなかったが、少佐に頼んで一筆書いてもらって買いに行った。
・あくる日、武昌の通過部隊宿舎に面会に行ったところ、輸送指揮官の大屋曹長殿がいて、酒を2本持って行ってあげたら大喜び。未教育の者は普通は外出させてくれないが特別に許可してくれた。それから弟を連れて写真屋に行って写真を撮った。この後は連絡を取ることはなかった

・本院に見習いに行く。外科、内科などをを見に行く。この時、病理試験部はだけは嫌だなあと思っていた。そこにいくと死体解剖の助手をやらなければならない。

○昭和十八年、漢口第一陸軍病院の衛生兵として病理試験室勤務。

・病理試験部に選ばれてがっかりした。
・解剖助手を四人で交代交代でやる。
・亡くなる前に病名が決定していない人は、軍医が解剖所見で病名を決めていた。
・軍医さんが解剖しながら「星屋、この肺の真っ黒いのはマラリアの高熱で亡くなったのがこの色だ」とか言う。「煙草は百の害があっても一つの益もない」と教わった。
・病理試験部の軍医は戦争中ずーっと解剖をしていて、戦後東京都の衛生局長になった。
・解剖をすると、はじめはご飯が食べれるもんじゃない。けれども慣れれば菜っぱ葉っぱを切るようなもの。
・夜、病理試験部の衛生兵が歩哨をやらなければならない。死体解剖室の裏を回る。初めて衛兵に立った時は生きた気がしなかった。
・死体解剖室には毎日死体が五、六体ずつはあった。
・死体をネズミにかじられたら歩哨の責任。だからときどき見回る。

・外科に移った時、足をやられた患者が前線から毎日来た。傷口にはウジが湧いていた。
・病院に来た者は全部伝染病の検査をやる。
・検査の時は患者を肛門を出させて並ばせる。肛門にガラスの棒を突っ込んでそれを滅菌シャーレにとって見る。初年兵の時それをやっていたら、「星屋!穴間違えんな!」と言われた。「肛門は一つなのに、何を言ってんのかなあ」と思ったが先輩なのでごちゃごちゃいえない。で、患者を良く見たら中国の女の兵隊だった。びっくりした。初めて見た。
・中国軍の兵隊が前線から病院に送られてきていた。患者なら日本も中国も一緒。

○昭和十九年二月十一日、命陸軍衛生上等兵

○昭和十九年十二月一日、武昌江夏部隊分遣。

・歩兵部隊で隊長は山本大佐。
・転属になってから漢口第一陸軍病院は空襲を受け、病院の同年兵や古参兵は死んだり負傷した。
・軍隊は運隊、生死が紙一重。
・単独で武昌にいくと拉致されて殺されるか重慶に送られてしまう。
・公用で外出する時も、裏道は絶対通らなかった。
・東湖では日本の看護婦が拉致されたらしい。
・将校が麻雀が好きで人数が足りなくなるとよく誘われたが、祖父からやるなといわれていたのでいつも断っていた。
・食糧は現地自活。
・冬瓜なんか随分食べた。
・衛生兵も自衛しろということで終戦になるまで三八式歩兵銃を持っていた。

○昭和二十年八月十二日、命陸軍衛生兵長。

・なんだか弟の夢を見る。変な夢ばかり。ある日、将校の予防接種が行われて、初年兵をつれていったところ、同年兵の伍長が手招きして弟が死んだことを教えてくれた。昭和二十年八月七日、漢口にて戦病死。
・生水を飲んだら絶対に伝染病になる。だけれども何もないので飲みたくなる。
・同年兵がクリークの水を飲んで、伝染病になって死んだ。
・煮沸して飲めばなにもない。

○昭和二十年八月十五日、終戦。

・すぐに知った。
・武昌で武装解除。

○昭和二十年八月、終戦後武昌東湖収容所に収容される。

・将校以下、道路の清掃などの使役に。

○昭和二十年十二月、原隊復帰、江漢兵舎医務室勤務

・午前中診察。午後は何もない。
・他の兵科は中国の使役。
・ドラム缶で風呂入っていた。そのうち東湖のそばのアメリカの別荘からバス風呂を持って来た。足が伸ばせて、家で百姓やるよりよっぽどよかった。
・地元民が「頭が痛い」「腹が痛い」と医務室にやって来る。薬があるので治療してあげた。あとでニワトリなどを持ってお礼にやって来た。
・当時は体重が74キロあった。

・コレラが流行って、毎日七~十体死んだ。歩ける独歩患者を使役に使って防空壕に埋めた。
・戦争中死んだ人は腕の中関節を切って、これを内地に送った。
・終戦後は、左手の薬指を切っていた。
・看護婦や女性は何をされるかわからないということで先に帰されてしまった。
・「衛生兵殿、ぜひ助けて下さい」と邦人二人に土下座されたことがあった。彼等は皮下の水分が脱水して死んでしまう病気に罹っていた。リンゲル注射を二本打ってあげたら助かって、復員してから家にちゃんとお礼の手紙が来た。

○昭和二十一年四月十六日、漢口第一陸軍病院より上海第一陸軍病院勤務。

・白の作業服を着ていた古参兵が患者で入院していた。昔のお礼をした。
・上海・飯田桟橋から出港。

○昭和二十一年六月十九日、上海より佐世保に上陸。復員。

・佐世保に着くまで七人だかが亡くなって水葬にした。
・着いてから、「お前は佐世保の海軍病院に入れ」「お前は自宅に帰れ」と二ルートにわけられた。

○昭和二十一年七月二日、自宅帰郷。

・御殿場線に乗って自宅の最寄り駅についたと思って降りて見たら、あるはずの陸橋がない。おかしいなあと思ってそばにいた人に聞いてみたら、手前に新しくできた駅だった。列車は出発しかけていたが、御殿場の戦友達にひっぱってもらって列車にいれてもらった。
・「俺も軍隊ボケしたなあ」と思った。御殿場線が単線になったことも知らなかった。
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