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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
青春18切符の旅2011夏、様子9月4日(日)に伺った証言の概要です。
今年2012年の長泉町のイベント「戦争の悲劇伝えたい展」でもお話をされた方です。
去年のメーリングリストより転載します。


◎浄住昇さん(90)
取材日:平成二十三年九月四日
所属:横須賀第二海兵団~横須賀海軍病院~第五〇二海軍航空隊~横須賀海軍病院~戸塚海軍病院
兵科:海軍衛生兵
戦地:内地
――――――――――――

○大正十年(?)、静岡県生まれ。

・東京で印刷の仕事をしていた。
・御殿場で徴兵検査を受ける。甲種合格。

○昭和十七年一月十日、横須賀第二海兵団入団。四等看護兵。

・兵籍番号:横徴看一九五五。
・三カ月ばかり兵科を問わずに新兵教育。
・教練とか行軍ばかり。

○昭和十七年四月十日、第五十九期普通科看護術練習生として横須賀海軍病院へ。三等看護兵。

・看護術の教育。厳しかった。

○昭和十七年九月十日、第五十九期普通科看護術練習生教程を卒業。横須賀海軍病院附病的検査科勤務(不健康業務)。

・患者の病原菌を調べていた。
・最初はいろいろ技術的なことを教わった。
・検査は二十人くらいでやっていた。さらに民間の人も雇っていた。
・徴兵検査時の検便の検査をやったこともあった。
・性病、血液、検便、大腸菌、ジフテリアなどの検査。
・伝染病を恐れていた。
・検査ばかりで治療はやらなかった。
・海外から引き揚げてくる人が大勢いて、港まで病院船の患者を収容しに行ったことがあった。
・外地から来た人は人間の顔の色をしていなかった。まるで土の色をしていて死人のようだった。がっかりした。こりゃひでえなあと思った。
・南方からきた患者と会話は出来なかった。

○昭和十七年十一月一日、海軍一等衛生兵。
○昭和十八年五月一日、海軍上等衛生兵。
○昭和十八年九月一日、海軍衛生兵長。
○昭和十九年一月十七日、第五○二海軍航空隊附。第十二航空艦隊第五十一航空線隊に編入。

・千葉の茂原へ。
・航空隊の中の医療事務をやっていた。その他の事はぜんぜんわからない。

○昭和十九年三月三十一日、第四十七期高等科看護術練習生として横須賀海軍病院に。

・普通科練習生の一歩上の専門的な教育。
・病原菌の検査やらを仕込まれた。

○昭和十九年七月三十一日、第四十七期高等科看護術練習生教程卒業。戸塚海軍病院附。

・自分たちが入ったおかげで転勤になった前任者が、転勤先で空襲に遭い爆弾が直撃して亡くなった。
・病原菌の検査。
・勤務は楽だった。・外に出るときは軍服。普段は作業服。
・戸塚には十名くらいいた。
・空襲もほとんどなかった。

○昭和十九年十一月一日、任海軍二等衛生兵曹。

○昭和二十年八月十五日、病院で一同集会があって終戦の話を聞いた。

・いよいよ帰れるかと思った。

○昭和二十年九月一日、任海軍一等衛生兵曹。

・終戦後もいつもと同じように作業。その後に復員。
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