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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
第2回山陰キャラバンの9月22日(土・祝)の様子です。
旅の最中にメーリングリストに流れていましたが、終了後の掲載となってしまいました。
メーリングリストより転載します。

◆◆◆

6時35分羽田発の鳥取便。
祝日の土曜日とあって早朝にも関わらず満席でしたが鳥取空港は比較的市街地に近く8時20分頃には鳥取駅に、あっと言うまです。

鳥取駅から若桜(わかさ)鉄道で因幡船岡駅へ。一両編成のワンマンカーでしたが午前中は2本だけの列車とあってかこちらも結構お客さんは乗っていました。
ちなみに帰りは車掌さんが乗っていて切符を切ってくれましたが(駅は無人駅で券売機もないので)首からぶらさげたパンチで乗車駅、降車駅、運賃、片道に穴をあけると言うもので懐かしいと書きつつ、本当に子供の頃経験したことがあったかは不明。

鳥取はちょうど稲刈りの時期のようで、車窓には刈り取りを終えた田んぼと黄金色の田んぼが互い違いに広がっていました。
駅に降り立つと、農夫がリアカーを押してその上に子供が2人乗った案山子のような等身大の人形。
インターネットの地図ではよく分からなかったのですが駅前の衣料品店で尋ねると「間違ってたら堪忍な、坂口さんは他にないと思うけど」と言いながらすぐに教えてくださいました。

坂口栄さん(88歳)は鳥取バレテ会から紹介頂いた歩兵第63連隊の体験者で
中隊で生還されたのは4名だけ、連隊全体でも100名帰れなかった部隊の方です。
「あれだけ迫撃砲が周りに落ちたのになぜ自分に当たらなかったかは分からない(本当は当たって負傷はしておられるのですが)思わぬ不思議や幸運が時々に起こって自分は生きるほうにいった」と。
戦後20回慰霊に行かれ、今春もバレテに行かれた!とおっしゃっていましたがその気持ちが溢れたお話で、特に負傷して野戦病院に入った後戦友が運ばれてくるのを待ち続けた(来ないことはむしろ戦死を意味している)けれども誰も来なかったお話が印象的でした。

とても愛らしい奥様と、ビデオカメラに興味津々の曾孫さんがたびたび登場する証言ビデオですが良い記録になったと思います。
列車の便数の都合でお昼ご飯までに終われないと分かりつつ伺ってしまいましたが「御祖父さんが戦争の話が出来るなら」ととても親切にして頂いたご家族の方も本当にお世話になりました。
奥様が全身で手を振って見えなくなるまで見送ってくださいました。
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