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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
ひきつづき、静岡・愛知方面に出かけていた一人キャラバンからの取材報告を掲載します。
8月22日(水)に伺った証言の概要です。

◎宮崎善弥さん(88)
取材日:平成二十四年八月二十二日
所属:滑空飛行第一戦隊第二中隊
兵種:航空兵(グライダー操縦)
戦地:内地~朝鮮
――――――――――――――

○大正十二年十月三十日、静岡県生まれ。

・実家はお米屋さん。
・静岡商業学校卒業後、中央大学入学。予科の後に法学部に進んだ。
・同級生の中に飛行機に乗りたいという人がいて、予科の時に三人で航空部を作った。
・航空部は当初、朝日新聞が後援していて、後に軍が各大学の航空部を支援するようになった。
・最初はグライダーで、しばらくして海軍の横浜の訓練所に行って赤トンボの水上機に乗った。

○昭和十六年十二月八日、神田の三省堂で開戦のニュースを聞いて、すぐ大学に行った。

・日本が優勢で、こりゃいいと思っていた。

○昭和十七年四月、横浜で飛行機を見た。

・最初は日本にああいう飛行機が出来たのかと感心して見ていた。後で米軍機だと知った。

○昭和十八年十二月十日ごろ、入営。浜松の飛行整備学校【?】に入った。

・ここで十日間くらい教育を受けた。
・飛行機に乗っていたことを何かで知られたのか、いきなり幹部候補生に抜擢され、東京集まることになった。【※特別操縦見習士官?】
・ここから筑波の滑空飛行第一戦隊に配属になった。
・三中隊くらいあった。あんまり数は多くなかった。
・だいたい大学で飛行機に乗っていた人。顔なじみも結構いた。
・ドイツのグライダー部隊にならって作られた部隊。
・曳航するのは九七式重爆撃機。
・飛行機の操縦とグライダーの操縦をやった。
・兵隊を何名かのせて、夜間に敵の戦線の裏に降りて挟み撃ちにするということだった。
・はらっぱや畑の中はよかったが、林の中に降りると、木がばさーっとなった。
・グライダーというのはスポーティーなものを想像していたが、胴体がずんぐりしていて、大きくて驚いた。兵隊を二十人くらいのせられて、山砲も積めた。
・事故はずいぶんあった。
・訓練生が並んでいる時に、曳航機が着陸進路を間違えて事故を起こした。片翼が並んでいている所に飛んで来た。双眼鏡で見ていると、わーっと声がして、翼が突進してきた。あわてて地面に伏せると、帽子のところを翼が擦っていった。頭をはねられたり、足をやられる者が出た。

○昭和十九年、フィリピンのクラークフィールドに集結することになった。

・飛行機で行くグループ、輸送船で行くグループ、満州で配属替えになったグループの三つに分かれて向かった。
・飛行機で新田原に行くグループをみんなで見送った。すると、隊長の飛行機が上昇が急すぎて失速して落ちてしまった。驚いた。みんな亡くなってしまった。遺体を集めることになったが、「部隊長に報告して来る」と言って逃げた。
・宇品から輸送船に乗る。船の中はひどいものだった。
・台北か台南に到着し、部隊で神社へお参り行った。帰ってくると空襲で輸送船がフィリピンへ行ってしまった。フィリピン行きは取りやめになった。
・しばらく台湾にいて、また輸送船で内地に帰った。

○昭和二十年、内地にいると米軍にやられるということで、部隊は北朝鮮の咸興に移動して温存されることになった。

○昭和二十年八月十五日、突然天皇陛下の話があるということで集められた。

・小学校の一室に集まって話を聞いたが、よく聞き取れなかった。もっとがんばれと言っているんだろうと思った。
・すぐに通信関係の連絡が来て、敗戦を知った。家に帰れると思って喜んだ。
・それから移動命令がでて、平壌までさがった。
・”しゃりーん”で部隊が解散。民家に残って列車を待つグループ、本道を直進してまっすぐ帰るグループ、山の中をとおって京城まで行くグループの三つにわかれた。京城までいくグループに入った。民家に残ったグループは後にシベリアに抑留された。
・将校一人と下士官一人、兵隊七、八人。
・軍服を着ていたらつかまるということで、行李なんかを売ってしまった。そのお金で朝鮮服を買って着ていた。
・軍刀は山の中に埋めた。古刀よりも軍から支給される軍刀の方が切れた。ピストルだけはもっていた。
・ソ連兵が悪いことをするので、朝鮮の人に優待された。山の中ではご飯も食べさせてくれた。村長さんに、嫁さんも世話するからここに残れと言われたが、なんとか断って帰って来た。
・大きな川をみんな褌一枚になって渡ったことがある。ある程度流れがあるので斜めに渡った。
・京城で歯医者さんの家に泊った。
・どこで一緒になったか、満州から引き揚げてきた元気のいい人がいた。家族と二号さんも一緒に荷物を持って来ていた。
・京城から鉄道が動いていて、列車で釜山に行った。
・釜山から引き揚げ船で門司のあたりに着いて、引揚者と一緒に列車に乗って帰った。
・引揚者に荷物は持つからお金は出してくれといって切符を買ってもらった。
・切符を買ったので座席のあるところに座った。

○昭和二十年十月十日ごろ、静岡につく。

・帰ってきたら静岡は全部燃えていた。自宅も焼けていて、家族は疎開していた。
・疎開先で父親と再会した。

●終戦時、陸軍少尉。
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