FC2ブログ
あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
静岡・愛知方面に出かけていた一人キャラバンから取材報告が入っていましたので、掲載します。
8月21日(火)に伺った証言の概要です。

◎宮代武雄さん(92)
取材日:平成二十四年八月二十一日
所属:電信第七連隊(満州第290部隊)本部経理室~照空第六大隊(満州第623部隊)本部
兵種:主計兵
戦地:満州~北朝鮮~シベリア抑留(沿海州・シーランチャ収容所)
―――――――――――――――

○大正九年五月二十八日、静岡県生まれ。

・小学校を出てから税務署でニ、三年を仕事をした。
・そのうち静岡の逓信講習所の試験を受けて合格。ここで一年間、給料をもらいながら、内容は薄かったが中等学校程度の教育を受けた。
・卒業すると通信士として何年か勤めなければならなかった。
・沼津の郵便局に希望して勤めることになった。

○昭和十五年、徴兵検査。

・甲種合格

○昭和十六年一月、大阪八連隊に集合。

・父親と一緒に大阪まで行った。
・集まった所でもう一度身体検査が行われた。悪い人は帰らされたが、合格した。
・大阪港から輸送船で大連へ。
・これが日本列島の見納めかなあと思った。
・大連から満鉄で東安省東安の第五軍司令部へいった。
・入隊前の経歴がわかるのか、電信第七連隊の本部付になった。
・テストが必要。基礎知識が教えられる。
・五軍の司令部でテストを受けて合格。
・兵長で一本線が入って合格。間もなく星がついて主計伍長になった。
・主計将校が上に一人いて、その人と一緒に被服や糧秣を計算して集めた。
・被服は奉天の貨物廠まで申請に行った。
・豆腐や日用品は満州の人から調達した。
・そんなことで割合満州をあちこち歩いた。ハルピンの町は今も頭に入っている。
・ハルピンには共産党に追い出された白系ロシア人が大勢住んでいた。頭の丸い教会がたくさんあったり。立派なデパートがあったり。店員がかわいかった。
・内地の人よりいいものを食べていたと思う。

○昭和十六年十二月八日、大東亜戦争開戦。

・「こんな無謀な戦争は敗ける」と、召集された元京大ラグビー選手の主計軍曹が言っていた。この人の言っていることに感化されて結構そう思った。けれど、軍国主義の教育で、負けるとは思わなかった。

○昭和十七年五月、伍長任官。

○昭和十八年七月、照空第六大隊(満州第623部隊)へ転属

・北朝鮮の羅津港を守るための照空部隊で、公主嶺で編成。三ヶ月くらいいた。
・この部隊の主計兵になった。
・一個大隊で三百人くらい。
・墜落したB29を見にいった。飛行機の中は釣り道具はある、お金はある、食糧はある、彼女の写真もある。贅沢なものだった。

○昭和二十年八月六日、ソ連対日参戦。

・ソ連機の爆撃を受けた。
・兵舎のすぐそばに爆弾が落ちて建物がつぶれた。
・照空で照らして、高射砲で撃つ。飛行機の後ろとか前には届くが、なかなか当たらない。砲弾が命中するのは見なかった。
・サーチライトでパイロットの目がくらむのか、弾が当たっていないのに二機くらい墜落するのを見た。
・艦砲射撃も数回あった。
・そのうち転進作戦がはじまって、朝鮮半島を南下した。
・腰にピストル一つだけ。
・途中で終戦の話を聞いた。飛行機が撒いたビラか何かで見た気がする。半信半疑でデマだろうと思った。
・吉州というところの小学校についた時、赤い旗をつけた戦車がきた。朝鮮人が戦車に乗って案内していた。
・裏山に逃げて一発戦闘をやるかとなったが、大隊長が白い敷布を竿の先に付けて、降参しに行った。大隊長の言う通りになって全員を呼んで武装解除。
・吉州から歩かされてリンゴ畑の中を行軍した。
・ソ連の兵隊は「アフタマー」という72連発の機関銃を持って監視していた。
・羅南港について、「ヤポン、アオモリ」だといわれて船に乗せられた。
・ついてみれば、日本の日の丸をスカーフにした女の人がたくさんいて、青森でなくてナホトカ港だった。
・早速トラックに乗せられて、一日か二日走ったか、収容所に入った。
・シーランチャ収容所に入った。
・一畳に二人か三人くらいで寝ていた。
・不衛生極まりない。シラミや虫がいた。
・風呂は、桶に三杯という制限があった。
・手ぬぐいを濡らせばすぐ凍るくらいの寒さ。
・仕事は朝、尻の肉をつまんでA、B、C、Dと分けられた。
・Aは鉛の炭坑に入ったり、木の伐採。その下のだとコルホーズでジャガイモの収穫。さらに下だと収容所の掃除をさせられた。
・炭坑ではソ連の人も働いていて、「必ず日本に帰れるから、元気出してやれ」と励まされた。人間らしいしぐさに触れて身をつないできた。
・シベリアの松ぼっくりは大きい。拾った松ぼっくりを焚火の中に入れて、身を食べていた。油があっておいしかった。このおかげで命を長らえた気もする。
・朝食は一切れの黒パンとアメリカの空き缶の中に入ったスープ。昼は黒パンとニシン。
・精神力が強くないと生きのびれない。おぼっちゃん育ちの人が弱かった。
・最初の一年間はバタバタ死んだ。満州の寒さとはまた違う。
・厨房にいる人は同じ捕虜でも太っていた。
・床屋さんや大工など、職がある人は楽をしていた。
・中尉以上と憲兵、軍属は戦犯でモスクワの方に連れて行かれた。将校は階級章をとってしまった。
・「スターリンのために働こう」とか、アジテーションを結構やった。
・ナホトカから遠州丸に乗船。

○昭和二十四年九月、舞鶴上陸。

・アジテーションをやっていたためか米軍に名前を呼ばれた。二世の将校にどこにいたか、どこになんの施設があるのか、いろんなことを調べられた。しまいには共産党に入るのか聞かれた。復員後も自宅に何回かきた。
・家に帰ると家族は喜んだ。母親は亡くなったと思って、毎日異国の丘を歌っていたらしい。
・どうしてソ連で労働をやらされたのかいまだにわからない。

●終戦時、陸軍主計伍長。
スポンサーサイト



コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://senjotaikenhozontabi.blog2.fc2.com/tb.php/1024-ff8c96f9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック