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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
2019年最後の日です。
平成が終わって天皇誕生日が平日の12月を経て、最初の年の瀬です。
保存の会は、「平成が終わっても戦後は終わらない」を掲げて、茶話会などやってきました。
このフレーズを使おうという話が出たのが、昨年の忘年会だったと思います。
2019年が終わっても、もちろん戦後は終わりません。

あの大戦の戦後処理については、いずれ完遂という方向で終わらせなければならないけれど、まだまだ道半ばです。
あの大戦が、日本が当事者となる最後の戦争で、今がその戦後ということを考えると、この戦後は終わらせてはいけないのだと思います。

2004年の年末時期12月26日に発足した保存の会は、さりげなく先日15周年を迎えていました。
保存の会15周年が過ぎても、やっぱり戦後は終わりません。
これからも、変わらずあの大戦の記憶を保存し続けるし、その記録を使って新しい試みを行っていくでしょう。
今年は、証言映像を使った茶話会、証言映像を一緒に見る座談会を新たに行いました。
手記の展示も試みました。
各地で茶話会を、という目標も、鹿児島でまず一歩を踏み出しました。
そして2020年は、戦後75年、保存の会が全国キャラバンを始めて10年になります。

皆様、今年も一年お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
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今更ではありますが、それでも年が明ける前に、浅草茶話会2019での実際の茶話会実施状況をまとめておきます。
すでに記憶が飛んでいるところがあり、今回はホワイトボードに書く形でなかったので、リアルタイムの変化が残っていません。(変な話ですが、あらかじめ時間割を作成して張っている場合のほうが、記録が残っていないのです。)
本来、こういう記憶勝負のものは早めにやっておくべきだし、今後はもう少し変更を記録しておくようにしたいと思います。
他のメンバーから間違いの指摘があれば修正します。

◆◆12月6日(金)◆◆

●1日3回茶話会
◆10:30~
学徒出陣・97歳(体調により)
仏領インドシナ衛生兵・96歳
シベリア抑留・94歳(1回目)
東京大空襲、駅の子・85歳(1回目)

◆13:00~
隼操縦士・96歳(1回目)
滑空飛行戦隊で朝鮮、カザフスタン抑留・92歳
シベリア抑留・94歳(2回目)
択捉島蘂取村・91歳(その1)
加治木空襲(鹿児島)、米兵との交流・87歳(1回目)
東京大空襲、駅の子・85歳(2回目)

◆14:40~
船舶特別甲種幹部候補生で豊浜・94歳
択捉島蘂取村・91歳(その2)
東京大空襲被災直後召集、シベリア抑留・94歳(1回目)
隼操縦士・96歳(2回目)
神戸空襲・86歳
東京大空襲、駅の子・85歳(3回目)

◆◆12月7日(土)◆◆

◆10:30~
千島列島、ルソン整備兵・95歳
ソ満国境での戦闘、抑留・96歳
シベリア抑留・94歳(3回目)
中国3000キロ・95歳(1回目)
ミンダナオ島・94歳(1回目)
少年飛行兵・航空総軍司令部通信班・93歳(1回目)
東京大空襲、駅の子・85歳(4回目)

◆13:00~
瑞鶴、大和田海軍通信隊・90歳(1回目)
中国3000キロ・95歳(2回目)
ジャワで爆撃機操縦訓練、敗戦後緑十字機・91歳(体調により)
敗戦後も満州で生活、3年後引揚げ・85歳(1回目)
シベリア抑留・94歳(4回目)
東京大空襲、駅の子・85歳(5回目)
少年飛行兵・航空総軍司令部通信班・93歳(1回目)

◆14:40~
戦中・GHQ下速記者・93歳
ミンダナオ島・94歳(2回目)
東京大空襲被災直後召集、シベリア抑留・94歳(2回目)
回天・93歳
瑞鶴、大和田海軍通信隊・90歳(2回目)
敗戦後も満州で生活、3年後引揚げ・85歳(2回目)
東京大空襲、仙台空襲、進駐軍クラブ・88歳

◆◆12月8日(日)◆◆

◆10:30~
隼操縦士・96歳(3回目)
中国で戦闘中捕虜に、モンゴル抑留・95歳
4年間のシベリア抑留・95歳
ミンダナオ島・94歳(3回目)
少年飛行兵・航空総軍司令部通信班・93歳(3回目)
加治木空襲(鹿児島)、米兵との交流・87歳(2回目)

◆13:00~
隼操縦士・96歳(4回目)
日赤看護婦、相武台陸軍病院・91歳(体調により)
テニアン民間人・88歳(1回目)
満州より引揚げ・82歳
関東軍憲兵教育隊、抑留・95歳(日程変更有)
少年飛行兵・航空総軍司令部通信班・93歳(3回目)
東京大空襲・88歳(3回目)
仙台空襲で足を失い傷痍軍人に・96歳

◆14:40~
ラバウル偵察員・96歳
ミンダナオ島・94歳(4回目)
テニアン民間人・88歳(2回目)
葛根廟事件・84歳
朝鮮半島より引揚げ・87歳
東京大空襲、義父が傷痍軍人で寝たきり・85歳
東京大空襲・88歳(4回目)
昨日、富山空襲の検索をしてみて、どうやら本当に語り継ぐ会の講演は映像で記録されていないらしいことがわかり、びっくりしました。
なぜ?え、映像記録してないの?と思ったのですが。

考えてみれば、確かに映像で記録していないところのほうが多いのですよね。
保存の会の活動は、無色というのが画期的と言われますが、証言を映像で記録するというのも、実はだいぶ画期的な取り組みでした。
そういえば、戦場体験と関係ないところで、トークイベントのようなものをしたとき、映像を撮る前提で話をしたら、主催に近い参加メンバーに、それこそ「は、なんで?」という反応をされたことを思い出しました。内部共有なので、プライバシーの問題ではなく、普通に映像を撮るという発想がなかったようでした。
私がそれまで参加していた講演会などは、10年前だろうが映像を撮るのが普通だったので、トーク系イベントで映像を撮るのは常識なのだと思っていたので、衝撃を受けたものです。
どちらの認識が普通なのか、よくわからなくなってきましたが、ともかく、映像で残すという発想自体のあるなしぐらいの隔たりがあるのは間違いありません。

保存の会にいると、イベントのたびに、「このラインナップでは不十分。ここの体験が足りない、この要素が足りない」という話が事務局から出て、「いや、別に一般の人にはそんなことわからないから」とつっこむことがあります。
そのくらい、ちょっとディープなところが常識の集団にいることは自覚していましたが。

その上で、やはり証言は映像として記録しましょう、と言いたいです。
自分の祖父の話を撮らなかったことをまず後悔していますので。
まして、戦争の体験を語り継ぐという活動であるなら、証言映像は残すべきもの、と言いきりたいです。
もちろん、戦争の中にあっては、間違ったこと、醜いこと、恥ずかしいと思うことを少なからず体験されているはずで、それゆえに沈黙されている方も多いでしょう。
しかし、少なくとも活動されている方の場合は、語り継ぎたいのですよね?
それであれば、変に他者の伝聞を通すより、本人の言葉を、それを語る姿とともに残すほうがよいはずです。

もしかしたら、撮ってもすぐには使う方法が見つからないかもしれません。
しかし、撮っていなければ、その方が亡くなった後、撮るチャンスは二度とめぐってきません。
証言映像を撮るという発想にたどりついたなら、悩むより、まず撮っておきましょう。
忘年会の裏側で事務局メンバーと話をしていたとき、富山空襲を検索してもあまり情報が得られないという話が出ていました。
そうなのか、と思っていたのですが、やはり自分でも検索してみるべきであろうと、ちょっと調べてみました。

検索ワード「富山空襲を語り継ぐ」

〇富山)富山大空襲、記憶どう語り継ぐ 減る戦争経験者
https://www.asahi.com/articles/ASM6R3SM9M6RPUZB003.html

今年2019年6月24日、朝日新聞の記事です。
富山大空襲を語り継ぐ会も高齢化が進み、次の世代の語り部をいかに育てるかを考える懇談会を開いた、という内容です。
経験のない人が語り継ぐためのシナリオを作るのはどうか、今の語り部の方のお話を映像に残すべきでは、といった意見が出たようです。

なお、保存の会はこの時期、沖縄の戦争展で大わらわ、加えて事務局メンバーが保存の会以外の部分で大変なことが重なっていました。
沖縄の戦争展では、証言をまとめたパネルの展示、講演会、映像上映・上映座談会を行いました。なるほど、活かせるところはありそうです。

〇大空襲の戦禍を後世に なぜ?戦災資料集まらず/富山
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190801-00010008-tuliptv-l16

今年2019年8月1日、チューリップテレビ リンクはYahooニュースです。
富山市が今年6月から市民に呼びかけ、戦災資料の収集を始めたものの、3件しか集まっていないということについて。
戦時資料を持っている人に取材をしています。
市は、持っている人をそれなりに把握しているのだろうから、もうすこし密な対応もできそうだけれど、という意見など出てきました。
個人で資料を収集してきた方も登場します。

民間のボランティア団体に比べて、行政は情報を持っているのは確かだろうと思いますが、それこそ戦時の鉄の供出のようになってもいけないので、情報の使いどころが難しい面もあるのでしょうか。
市の呼びかけを知らなかったという話も出ているので、どんなふうに募ったのかも、少々気になります。
他に、語り継ぐ会などによる戦災資料館設立申し入れに大して市が否定的だという検索結果も見かけていて、ちょっと調べただけで状況を知るのは難しいのかもしれないと感じました。



ということで、検索してみれば、それなりにヒットはするものだとわかりました。
見た限りで、語り継ぐ会の状況は、想っていたよりだいぶ厳しそうに見えました。
保存の会の活動が参考になる余地はありそうです。
そして、やはりまずは証言映像を撮るべきだと思いました。
また、問題意識を抱えて富山から東京のイベントまで来て、相談された方の存在も、もっと注目したほうがいい気がしてきました。
大井町、浅草の茶話会につづき、忘年会にも富山から参加してくださった方が、富山でも茶話会ができないかと相談されています。
富山空襲を語り継ぐ会の唯一の若手メンバーとして、どうすれば活動を継続していけるのか悩んでいるとのこと。
唯一の若手メンバーということは、近くにはそれを話し合える仲間がいないということでもあるでしょう。
全国キャラバンの初期には、各地に支部のようなものができれば、と言っていたものですが、やはり1人だけでは続けていくのが難しいらしいことは、蓄積としてわかっています。
なので、何かしら一緒にやろうという方向で考えています。

富山空襲は8月1日。
来年のその時期はオリンピックだから、混み合う東京を脱出して地方でイベントをやるのはありなのでは?と、たぶん前向きな意見が出ました。
報道がオリンピック一色になるだろう中で、盛り上げるのは難しそうなのが課題です。
そして、別の課題としては、茶話会をやるのであれば、参加される体験者の方に前もって聞き取りをしておくのが基本、という点があります。
と言いつつ、鹿児島でもそうなっていないので、年明けに聞き取りに行こうとしているわけなのですが。
ともかく、どういう体験者の方がいらっしゃるのかを知るためにも、聞き取り必須です。

そういうわけで、まずは富山空襲を語り継ぐ会の方々に聞き取りを行うところからスタートすることになるでしょう。
そして、聞き取りをした成果をまとめて何らかの形にする。
その上で、茶話会なり展示なり両方なりもっとなり、現地で行うのがよいのでは?という話になってきました。
もしかしたら、来年8月1日までに聞き取りの成果を形にして、再来年本格的な茶話会を行う2段構えになるかもしれません。

ともかく、まずは体験者の方にお会いしてから。
時期未定ながら、年が明けたら、富山にも行くことになりそうです。