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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
明日から2日間は慶應義塾大学でイベントがあります。

慶応義塾福沢研究センター「慶応義塾と戦争」アーカイブ・プロジェクト
「慶応義塾と戦争」

学徒出陣75年シンポジウム/研究報告

12月1日(土)
第1部 シンポジウム
開場12:30 開始13:00 終了18:00

12月2日(日)
第2部 研究報告
開場9:00 開始9:30 終了17:30

場所
慶応義塾大学三田キャンパス南校舎ホール

参加申し込み不要
入場無料

主催
慶応義塾福沢研究センター
電話:03-5427-1605
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来週の週末にも、聞き取りがあります。
今度は全て都内です。

〇12月8日(土)9:00 東京都中央区
体験者の方
女性2人。山梨県都留市より黒竜江省内の開拓地に入植。姉妹は残留孤児になり、のち帰国。お一人は中国で生まれた残留孤児2世。

〇12月8日(土)13:30 東京都千代田区
女性2名
 ◎兄が西部ニューギニアムミで戦病死、姉が爆死。
 ◎父が西部ニューギニア・サルミで戦病死

〇12月8日(土)18:00 東京都新宿区
男性。大正12年生まれ。学徒出陣?39師団で中国に。
※この聞き取りへの同行は、新規ボランティア優先です。

〇12月9日(日)10:00 東京都葛飾区
東京大空襲を本所で経験
四国キャラバン2日目、11月23日(金・祝)の様子です。
行ったメンバーからこういうメールが届きました。

◆◆◆



連休中でロープウェイが夜までやっていたので夕暮れの眉山に上りました。パゴダは4時までなのでしまっていましたが。
携帯ではいっぱいいっぱい下がってもパゴダの先端が切れてしまいます.。

◆◆◆

もう少し詳しい様子が、保存の会公式twitterにつぶやかれていましたので、そちらをここにまとめておきます。

◆◆◆

2018.11.25 3:42
【四国キャラバン9】最終日に夕暮れの眉山に上がりました。山頂にはビルマに従軍した143連隊の生還者が戦友を弔うパゴダがあります。ロープウェイも無くトラックの道も無い頃、資材を運び上げてパゴダを建てた話をしてくれた方ももう今はいませんが、ここに建てたかった気持ちが分かる気がしました

2018.11.25 4:35
【四国キャラバン10】眉山の麓と山頂には、1945年7月に撮られたという徳島空襲後のパノラマ写真も展示されていた。地元の写真館の店主が撮影したらしい。眉山は高い山ではないけれど、空襲のあとまず三脚とカメラを担いで山を登った人の存在は、今の私を励ましてくれる。
保存の会公式twitterにもつぶやきがありましたが、11月25日(日)には、鹿沼市でも聞き取りがありました。
現地で調整してくださる方がいらっしゃって、2件の聞き取りが入っている、というのを、拡大事務局会議でも聞いていました。
ただ、出発時点でも、どのような方々かという情報はまったくないということでした。
今のところ、情報待ちです。

鹿沼近辺では、今後も聞き取りが見込めそうかどうか、という辺りも、行ってきたメンバーに聞いてみたいところです。
ギリギリ日帰りできる範囲なので、日常的な週末キャラバンエリアになればよいのですが。
昨日11月25日(日)、一橋祭参加企画の「戦争と一橋生」に行ってきました。
栗原記者のお話のある23日に行きたかったのですが、先約があり。

14:30からの学内ツアーに合わせて出かけました。
14:00ちょっと前ぐらいに着いてみると、けっこうみっちりお客さんが入っていました。
今回は、「沖縄で逝った10名の学友たち」がテーマだったので、沖縄戦の映像も上映されており、その辺りに人が集まっていました。
展示は、その10名の一橋生のパネルと、関連する文書資料。手紙などもコピーが展示されていました。
亡くなった方々は、生きていれば、本当に日本のどこかで活躍されたであろう人材だったことが伺えます。
優秀であるがゆえに、戦地にあっても、比較的華々しい戦いの場にあったと言える気がします。というと語弊がありますが、パイロットだったり、小さくても部隊を率いる立場だったりというのが目につきました。海上特攻にむかう戦艦大和に乗船された方もあり、この辺りは、栗原記者の著書ともつながってきそうな気がしました。
そうした戦闘の記録はもちろん、それぞれの方の一橋生としての学生生活にスポットを当てた、その人となりがわかる展示でした。

10名の方の展示の中に、息子さんのメッセージで構成されているものがありました。
1歳の時に、パネルになっているお父さんが沖縄で戦死。お母さんは、お父さんの弟と再婚し、お父さんに関する一切は封印され、ご本人が本当のお父さんのことを知るのはだいぶたってからとなり。
両親が亡くなってから、本当のお父さんのことを調べたものの手がかりがなかったところに、一橋大の関係者から学生時代の様子がもたらされた、という話です。
心に響く話でもありますが、また、記録を残すという意味を考えさせられました。

14:30からは、学内ツアーで、一橋大学の中にある古い建造物と戦争とのかかわりを案内していただきました。
これまで1回の参加者は最高10名だったそうですが、今回は2倍以上の参加で、史料が足りなくなっていました。
小さいお子さんから戦中派までそろって歩くのは、なかなか趣がありました。
リベラルの旗手のような一橋大学が、戦時中、やはりリベラルな部分と、国粋主義的部分とを併せ持っていた様子が伝わりました。

こういう企画が行われていること自体が、一橋大学らしさなのかもしれない、などと思いながら、短いひと時を終えました。

どうでもいいですが、一橋大学に来たのは大学4年のときに東京の学園祭巡りをしたとき以来で、実にちょうど20ン年ぶりでした。