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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
9月に開催した戦場体験者と出会える茶話会&戦場体験者が遺すモノの展示会、展示パートで展示したものを改めて紹介します。
当日配布資料の目録より転載です。
当日は、証言パネルを除いて190点展示されています。(実はもう少し増えていたかもしれません)

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【日中戦争初期に負傷した技術者にまつわる物品】
 廣瀬佑雄さん 野戦工兵廠第一移動修理班
 出生時の胸章、日の丸、東京市長および芝区長からの祝辞 杭州で事故前に描いた自画像、1938(昭和13)年正月につまに宛てた手紙 事故後部隊からつまに宛てられた報告書、自己の証明書、国府台病院の診断書 お見舞いとし恩下賜の訪台、香淳皇后からの金壱円、戦中使用しかけた国債
【証言】山崎良雄さん 日中戦争初期、第9師団歩兵第35連隊
【証言】小原博美さん 日中戦争、第17師団歩兵第53連隊
【日中戦争の写真】
 小内通有(みちあり)さん(第2師団工兵第2連隊)のご家族、加藤茂美さん(当時歩兵第224連隊)、寺本秀明さん(独立混成第13旅団砲兵隊)より寄贈や提供

【証言】城武夫さん 真珠湾攻撃、空母「飛龍」艦上攻撃機操縦
【真珠湾攻撃に出撃して亡くなった操縦士の遺品や家族の手記】
 宇津木道司さん 空母赤城艦上爆撃機
  日の丸のハチマキ(遺骨の代わりに届けられた)、写真、胸像、アルミの箱、兄の宇津木弘正さんが書いた回想・「弟の戦士と母」

【ガダルカナルで戦死した兵士の遺品】
 渡辺富男さん 第38師団歩兵第230連隊
  ご本人の写真、軍帽、戦地から書いた手紙、戦死後に故郷で行われた葬儀の写真、弔辞
【証言】大国孟彦さん ガダルカナル島、第7師団歩兵第28連隊

【インパール作戦で戦死した兵士の遺品】
 井口敬作さん 第31師団衛生兵 遺髪、戦地から家族への手紙
【ビルマでのインパール作戦の体験を描いた絵画】 中澤三郎さん画、ご家族より寄贈

【軍曹一式】 井ノ口金一郎さん(第27師団支那駐屯歩兵第1連隊)寄贈
【証言】井ノ口金一郎さん

【レイテ島で戦死した兵士の遺品】
 鈴木孝一さん 第26師団独立歩兵第13連隊 死亡告知書(公報)、写真、手紙、戦地で使った軍票
【証言】民秋俊次さん レイテ島、第16師団野砲第22連隊

【ルソン島での体験を描いた絵画】 小野一臣さん(第10師団歩兵第10連隊)画(複写)
【ルソン島で戦死した兵士の遺品】
 木龍重平さん 陸軍落下傘部隊・高千穂部隊
  出征の際の幟、日章旗の寄せ書き、アルバム、ハガキ、手紙、消息調査の手紙、死亡報告書、写真、郵便貯金通帳など
【ルソン島で野戦を戦った飛行兵にまつわる物品】
 和田昇さん 臨時野戦第2補充隊
  幟、飛行学校の寄せ書き、当時清書した軍人勅諭の巻物、画文集「ルソン島・バレテ峠の真実」原画
 【伊江島の集団自決の絵画】 大城安信さん画(民間人)
【戦艦大和との沖縄への出撃を描いた絵画】 井上理二さん(駆逐艦「磯風」)画
【証言】井上理二さん
【陸軍特別攻撃隊 八紘第7隊(丹心隊)の出撃写真】 小野正さん提供
【少年飛行兵に関わる物品】 成迫政則さん(大分陸軍少年飛行兵学校)寄贈
 日の丸の寄せ書きなど
【証言】成迫政則さん

【シベリア抑留の体験を描いた絵画】 石森武男さん(第79師団歩兵291連隊、コムソモリスク抑留)画
【シベリア抑留の体験を描いた絵本】 中島裕さん(第39飛行場大隊、タイシェット抑留)画
【シベリア抑留を過ごした外套と靴】 関内重吉さん(第409特設警備工兵隊)のご家族より寄贈
【シベリア抑留を過ごした外套】 酒井盛芳さん(満蒙開拓青少年義勇軍、ムリー抑留)寄贈
【シベリア抑留体験者に関わる物】 槇原幸成さん寄贈
 遺骨収集の写真、資料請求した自分の入院中のカルテ、日本新聞

◎軍艦利根資料館による展示

◎沖縄戦・南洋移民の孤児たちの証言
(パネル 沖縄の戦後補償について)
【証言】内間善幸さん 孤児になり親族宅に引き取られる、16歳でそこを出される
【証言】沢岻孝助さん 墓を追い出され孤児に、孤児院で高校を卒業、後遺症で手術
【証言】大城勲さん 2歳で孤児になり義兄の家で育つ、18歳でそこを出される
【証言】阿良光雄さん パラオで生まれる、疎開船が2度撃沈され姉と弟を亡くす 次兄は14歳でペリリューで戦死
【証言】柳田虎一郎さん パラオに移住、疎開船が撃沈されフィリピン・ミンダナオ島へ
【証言】金城文郎さん サイパン戦で弟と二人孤児になる
【証言】瑞慶山シズさん フィリピン・ミンダナオ島で生まれる、両親と2名の妹を亡くす
【証言】當間實さん 壕を追い出され砲弾で右眼を失明するが、援護法の申請は却下
【証言】東江和子さん トラック島からの疎開船「赤城丸」が撃沈、爆風で鼓膜が破れ聴力障害を負う

◎フィリピン残留孤児法律サポートセンターによる展示
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昨日の会議は9月に行った茶話会&モノの展示会の振り返りがメインでしたが。
そういう中で出てくるのが、茶話会に続くイベントは何なのか?ということでした。
これまでも、大証言集会、全国キャラバン(これはイベントではないけれども)、百人展、沖縄戦展と、新しいイベントが続いた流れでの茶話会でした。(戦場体験キャラバン展は茶話会の裏面的な位置にあります。長崎で初めてメインとなりました。)
次は?となるのも流れであるようにも見えます。

ただ、今回に関しては、積極的な理由というよりは、体験者の方が会場までいらっしゃることが難しくなったときどうする?という問題提起が大きいです。
現在、すでに送迎をしなければいらっしゃることのできない方が出ています。
送迎できるようになる、というのも1つ出てきましたが、これにはやはり大きな問題があり。
また、送迎云々どころではない事態も、いずれはやってきます。
その時に向けて、少しずつ準備を始める、ということを考える時期に来ているのは確かです。
少しずつ、だと思いたい、ですが、もしかしたら急務なのかもしれません。可能性は大いにあります。

今のところ考えられるのは、やはりこれまで撮りためた映像を使うことです。
どういう形でやるのかはまだ見通しが立っていませんが、これからぼつぼつ試み始めることになると思います。
百人展は、体験者の方がお元気なうちに、証言の使い方を見てもらおうという意図をもって行っていました。
今度は、体験者の方がお元気なうちに映像の使い方を見てもらおう、というのが加わってくるということかもしれません。

そういう、深刻な事情からの問いかけではありますが、保存の会ですから、やはり盛り上がるものにしたいところです。
これから、その辺りのことも考えていくことになるでしょう。
9月末に行うはずだった拡大事務局会議、結局10月になってから行いました。
主要メンバーの関係者の結婚披露宴があるため、終わり時間が決まっている珍しいパターン。しかし、普段からそうやったほうがいいんではないかと思うところでもあります。

議題は、主に茶話会&モノの展示会の振り返りでした。
何を反省しても、スタッフ不足に行きついてしまう結論に。
マニアックな質問を続ける方をどうするか、別の体験者の方がお客さんとして来られたときどうするか、など、なかなかストップをかけにくい状況が見えてきました。
また、今年の時点で、送迎が必要になっている方などに、いつまで来ていただくことができるのか、来ていただくべきなのか、という話も出ました。
そういう中で、いよいよこれまで撮ってきた映像を組み込んで、どうしても話しておいていただきたいエピソードは全盛期の映像を流すなどしてみてはどうかという案が出ました。
今後、身近な体験者の方を対象に、試してみることになるかもしれません。

展示については、ある程度物量で勝負して、その時代が感じられるようにするのがよいだろうという話になりました。
寄贈を受けた場合は、いただいたときのエピソードを添えるなど、そのモノの背景が感じられるとよいという話もあります。
他の方の感想や意見を知りたいという声もあったことから、ノートや短冊を用意することも考えてみる方向となりました。
今回、コーナーをお任せした利根資料館などのように、持ちこみでコーナーを作っていただくという試みも、もしかしたらもう少し広がるかもしれません。

体験者の方がさらに高齢になられるにつれ、どうしても展示や映像にシフトしていくことになってきます。
その状況をどう積極的に迎えていくかというのが問われているというのが感じられました。

今後の聞き取りについては、溜まっているのは確かなので、行ける日を出しておいて事務局でセッティングしてもらうということになると思います。
聞き取りの予定が出たら、ここでもお知らせしていきます。
台風で延びました拡大事務局会議が明日行われます。
関係者の結婚披露宴の前に急きょ入れたため、いつもよりスタートが早くなっています。
メーリングリストに流れていた公式のお知らせを転載します。

◆◆◆

先日台風で延期になっていた会議が明後日に近づきましたので
再度ご案内させていただきます。

【日時】10月14日(日)12時~ 2時間強
【会場】戦場体験放映保存の会 事務所
【議題】浅草茶話会の振り返りなど

通常より開始時間が早くなっています。
事務所は10時から開いていますので、昼食などにもご利用ください。
首都圏近郊組の聞き取りは、けっこう延期になってしまったものがありますが、明日10月13日(土)の聞き取りは予定通りです。

〇10月13日(土)午後14時半~
世田谷区成城
満州で学徒動員、東寧で寮生活をおくり農耕作業に当たっていた所に、ソ連侵攻。
先生1名と同級生で逃避行、新京の知人宅に逃げ込める。その後家族と合流。

体験者の方への連絡があるので、今から一緒に行きたいというのは難しいかもしれません。
ついていける案件はこれからもあると思いますので、またお知らせします。