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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
沖縄イベントに向けて、自分の宿題をやらねばなりません。
そんなに時間かかるものではないはずなのですが、スイッチが入らない時には入らない。
聞き取りについていけばよかったかな、と思います。気づいたのが昨日の夜遅かったので(それからブログを書いた)行きますとは言いづらかったのですよね。
聞き取りはその場所ならではのものになったようで、いいなあと思います。

宿題は、沖縄イベントで受付などに置いておく体験者登録カードの原稿をつくること。
そもそもそれを言い出したのが自分です。
今回、受付に人が置ける状況になく、それでも新たな体験者の方との出会いの機会を失うわけにはいかないので、気軽に手軽に書けるものを作っておこうというわけなのです。
本当は、今日は原稿つくって載せようと思っていたのですが、間に合っておりません。
どうにかこちらで印刷できるように、今夜がんばります。
本当に、そんな大したことではないはずなのですが。
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明日6月30日(土)は、聞き取りが2件入っているようです。

〇千葉県八千代市にて被爆の体験
〇荒川区にて空襲の体験(ドーリットル空襲、東京大空襲)

保存の会の出発点である元兵士の方への聞き取りはもちろん今後も続けていきますが、これからはより幅広くいろいろな戦争体験の聞き取りをしていくことになります。
沖縄イベントの前ですが、首都圏での聞き取りはどうにか続けています。
どんな様子だったか、報告があれば続報を書きたいと思います。
昨年の「沖縄の戦争展」で、参考として展示の一角に貼った年表です。
沖縄県平和祈念資料館 第15回特別企画展「南洋の群星が見た理想郷と戦」 図録に掲載されていた内容を手打ちしたものです。
7月の沖縄イベントでは、年表は展示しないことになったので、ここに参考までに掲載します。
展示では、パネルに関係のある出来事を注釈的につけるという形になる模様です。

◆◆◆

1565(永禄8)年 マリアナ諸島がスペイン領東インドの一部として植民地化される。
1898(明治31)年 米西戦争の結果、グアムが米領となる。
1914(大正3)年7月 第一次世界大戦勃発。
ドイツ敗退により、日本海軍がドイツ領南洋諸島を占領
12月 日本海軍臨時南洋群島防衛隊条例を発布、司令部をトラック島に置く。占領区域を5つに分ける。
1915(大正4)年1月 南洋占領諸島施政方針を制定。
1918(大正7)年1月 民生部を設置。海軍軍政から民政への移行が進む。
1919(大正8)年5~6月 日本の南洋群島C式委任統治の受任決定。ヴェルサイユ条約で確認される。
1920(大正9)年12月 国際連盟が「南洋群島に対する日本帝国の委任統治条項」に調印。日本は南洋群島の受任国となる。
1921(大正10)年11月 松江春次が南洋興発株式会社を設立。
1922(大正11)年3月 パラオ諸島コロール島に委任統治機関・南洋庁本庁を置いて民政に移行する。(以後、1944年まで統治) 
南洋群島全体を6つの行政区に区分、各支庁を置く(サイパン・ヤップ・パラオ・トラック・ポナペ・ヤルート)。
南洋興発株式会社が、沖縄から移民を募集。成年男子のみ540人がサイパンへ渡り、工場建設にあたる。 妻子の呼び寄せも始まる。
4月 島民児童を対象とした島民学校を「公学校」へ改名する。
1923(大正12)年 南洋興発株式会社が製糖業を許可され、本店を東京からサイパン島チャランカノアへ移す。
1926(大正15)年 南洋興発株式会社が新たにテニアン島の開発を請け負う。
1929(昭和4)年 旧南洋群島の沖縄県出身在留者が8,289人に達する。
1930(昭和5)年1月 テニアン島で製糖開始。
1931(昭和6)年9月 満州事変勃発(15年戦争始まる。)
大城商会が那覇~サイパン直行便を就航させる。
1932(昭和7)年 旧南洋群島の沖縄県出身在留者が15,942人に達する。
1933(昭和8)年3月 日本が国際連盟脱退を通告。以後、「海の生命線」として南洋群島の軍事基地化を進めていく。
1937(昭和12)年7月 盧溝橋事件勃発(全面日中戦争へ)。
1939(昭和14)年 旧南洋群島の沖縄県出身在留者が45,701人に達する。
1941(昭和16)年12月8日 日本軍がハワイの真珠湾を攻撃、太平洋戦争が始まる。
1942(昭和17)年6月5日 ミッドウェー海戦で日本海軍大敗する。日本は主力空母4隻と艦載機を失い、日米の空海戦力比が逆転する。
旧南洋群島の沖縄県出身在留者が54,854人に達する。
1943(昭和18)年2月1日 日本軍はガダルカナル島撤退を開始。太平洋の主導権が日本からアメリカに移る。
9月30日 「絶対国防圏」が設定される。
11月 南洋庁は機構改革を実施。 
戦時行政移行に伴い、支庁を西部・東部・北部の3支庁に統合。 
軍の命令で南洋庁は、老幼婦女子の「内地送還」を具体化、日本本土と台湾へ強制送還。
1944(昭和19)年2月~ 赤城丸、亜米利加丸他12隻が南洋群島海域で爆沈、引き揚げ者多数が被害に遭う。 
サイパン地区、パラオ地区の老幼婦女子の引揚げが強制される。
16~60歳の男性は基地建設と戦闘要員として強制在島。
2月23日 サイパン島・テニアン島等、マリアナ諸島が米軍によって初めて空襲される。(正午頃)
3月30日 米軍がパラオを空襲する(8時40分~17時30分)。
6月11日 米軍がサイパン島・テニアン島・ロタ島へ本格的な空襲をおこなう。
6月15日 米軍がサイパン島に上陸。
6月18日 サイパン島のアスリート飛行場が占領される。
6月20日 サイパン島では、仮設収容所に収容されていた日本人民間人がススッペキャンプへ移動させられる。
7月7日 サイパン島の日本軍玉砕。組織的抵抗終了。
7月24日 米軍がテニアン島に上陸。 
テニアンを占領した米軍は、日本人・沖縄県人・朝鮮人をチューロキャンプに収容。
8月3日 テニアン島の日本軍玉砕、組織的抵抗終了。
10月10日 10・10空襲
11月24日 マリアナ諸島より出撃したB29が初の本土空襲を行う。以後、本土空襲が本格化する。
1944(昭和19)年12月~1945(昭和20)年1月 テニアン島のチューロキャンプ内にテニアンスクール(日本人学校)が設置される。
3月10日 東京大空襲
4月1日 米軍が沖縄本島に上陸開始。
6月23日 沖縄戦の組織的戦闘終結。
8月6日 テニアン島から出発したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」が広島に原爆投下。
8月9日 テニアン島から出発したB29爆撃機「ボックス・カー」が長崎に原爆投下。
8月15日 ポツダム宣言受諾。天皇による敗戦の玉音放送が行われる。
9月7日 南西諸島の日本軍が降伏文書に調印(沖縄戦の公式な終結)。
10月 旧南洋群島在島の軍人・軍属の強制送還
12月 米軍は居住10年未満のすべての外国人を、特別の許可がない限りマリアナ諸島から引揚げさせることを決定。
1946(昭和21)年1月~5月 民間人の内地送還開始。沖縄への帰還者は直接沖縄へ引揚げ、中城湾久場崎に上陸。
6月 沖縄への引揚げ終了(33,075人)
1947(昭和22)年 米軍の占領下におかれていたミクロネシアは、米軍を統治国とする国際連合信託統治領となる。
7月開催の沖縄イベントでは、沖縄戦とともに、南洋戦に焦点を当てます。
沖縄と南洋との関係は、沖縄の中では常識なのでしょうか?
どのくらい知られているものなのかがよくわからないのが、今回の企画の難しいところでもあります。
戦前も戦後も、移民の多い沖縄県。
海外のこと、というよりはもっと近い関係なのではないかと思うのですが。

今回もセミナーをお願いする瑞慶山茂先生のまとめられた本があります。南洋戦民間被害者の訴訟の訴状を扱った本です。
そちらには、沖縄と南洋の関係の歴史についても深く触れられているようでした。
大戦全体の流れも書かれていますが、沖縄の人たちが関わるような場面について、特に斬り込んで書かれているようです。
その辺りを参考にしながら、多少なりとも南洋のことを勉強して臨まねばならないと思います。
とはいえ、間に合わないことも多いので、むしろ沖縄のみなさんに助けていただくことになるのかもしれません。


沖縄イベント:沖縄の戦争展&沖縄戦・南洋戦民間被害者を囲むゆんたく
7月14日(土)~16日(月・祝)、沖縄県立博物館・美術館で開催です。
連続イベントを抱えて、保存の会事務局はてんやわんやですが、そんな中でも聞き取りも行っています。
先日お邪魔した荒川区の介護施設で紹介していただいた体験者の方々の聞き取りを、沖縄に行く前に行おうとしています。
3名の方について、休みの日を使って聞き取りに伺うことになっています。
先日の拡大事務局会議の後、だいたいの日程を、行くメンバーが話し合っていましたが、実際どうなったかについての続報はまだもらっていません。
お一人ぐらいはこの前の土日に行ったかもしれません。

状況がわかりましたら、また報告したいと思います。
さて、以前はキャラバンとはいわないだろう聞き取りについては証言の掲載をしていませんでしたが、全国2周目に入り、いよいよ境目がなくなってきました。
首都圏での聞き取りもキャラバンと称し始めたので、今後は基本的にすべての聞き取りについて証言概要が上がれば掲載していくことになりそうです。
証言一覧の作り方など、また考える必要があります。
こちらも、今後そういう方面で、ややてんやわんやぎみになるようです。