あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
すでに決まっているので、あとはただの愚痴でしかありませんが、イベントタイトルについて持論を申させていただきます。

とりあえず、名詞にしてほしい。
キャッチフレーズみたいなのがタイトルというのは、どうも落ち着きません。

10文字以内にしてほしい。
「戦場体験放映保存の会」で10文字です。これでも知らない人が正式名称を言うのは難しいと思います。
これより長いタイトルは、まず正しく呼べないという気がします。
よってタイトルはできうる限り10文字以内であってほしいものです。
当ブログのタイトルも、短くならないものかと、始める前に一度は考えました。アドレスもできれば短くしたかった。
しかし、戦場体験保存までの間で削れる部分がなかったので、そういうアドレスになっています。
キャラバンを英語の綴りにするというのは真っ先に却下しましたが。(自分内会議の余地さえなく却下)「旅」にしたのがせめてもの抵抗でした。

長いならせめて略せるものにしてほしい。
「全国キャラバン隊」は略というより、部分的抜出です。
実は何のキャラバンなのかまったくわかりません。
ゆえに当ブログも、保存の会の名前を出すという苦肉の策に出ました。
正式名称をブログ名にする気は一切ありませんでした。
「戦場体験キャラバン」は略称といえますね。
沖縄イベントも、せめて略せてほしい。
今のメインタイトルは、略すのに最も向いていないものになっている気がします。
人を誘うときに、「私は沖縄・南洋戦で何を失ったか」行く?とか、普通は聞けないです。
「沖縄戦ゆんたく」行く?ならまああり得るでしょうか。
イベントタイトルは、「〇〇(イベント名・略称可)に行こう」と言えるものであるべきなんではないかと個人的には思います。

と、宣伝すべきイベントのタイトルをディスりまくっておりますが。
イベントを大々的に宣伝すべきブログ係として、また、ほぼ不参加という選択肢のないメンバーとしましては、自分のやるイベントのタイトルに乗れないのは、それなりに辛いものがあるわけでして。
せめて、思いのたけぐらいは言わせてもらいたいところなのでした。
まあ、宣伝しますけどね。
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今週末の拡大事務局会議のお知らせで、しれっと沖縄イベントの正式タイトルが出ました。

「私は沖縄・南洋戦で何を失ったか ~体験談パネル展示とゆんたく~」

チラシがなかなか上がってこないのは、ここで引っかかっていたのも理由の一つです。全てではありません。
最初はどーんと縦書きで「私は沖縄・南洋戦で何を失ったか」 と書かれたチラシで、本なのか講演会なのかキャッチフレーズなのかわからんと、ゴールデンウイークに意見したものでした。
最初、このタイトルになる予定と言われたのはもうだいぶ前だったのですが、そのときは、「こんなタイトルのイベントに誰が来たいんだろう」と言って沸いていました。
が、新しい試みだというのを出したいのであれば、ありふれている、と後で思いました。戦争の話というのは、何かしら大なり小なり失った話であるわけなので。
あと、私が、正式タイトルが長い(正しく言うのが難しい)のが嫌いというのもあるのですが。
まあ、「私は沖縄・南洋戦で何を失ったか」というので会場に申請していることもあり、これで行くことになったというのはしかたないでしょう。

ともかく、戦争の話のゆんたくが沖縄でも新しい試みであるということが伝わって、老若男女いろいろな方が話をしにきてくだされば、何でもいいです。
パネル展示もちゃんと気合入ってますので、美術館・博物館での展示でも問題ないはず。
というか、ゆんたくだって沖縄の文化なんだから、博物館なら展示の範疇なんではないのかな、と思ったりもするのですが。
早速、「私は沖縄・南洋戦で何を失ったか」と言い間違いそうになりつつ、ともかくイベントの成功を願うのであります。
帰ってブログを開くと、ブログにtwitterを表示させていたサービスが終了していました。
無料サービスの悲しさ、やっていけないと統廃合があったり、利用が制限されたりするものです。

仕方なく、指示された新しいサービスに移行して、見よう見まねでやってみたところです。
写真表示が左か右かしかなく、写真を表示させると残りの幅に文字部分が表示されるという、あまりにも頭の悪い仕様にげんなりしながら、写真の幅を固定してそれに合わせて全体の幅を設定し、文字を下に閉め出すという苦肉の策でどうにか読めるようになりました。
これまでより細長く感じるのはそのせいです。

もうちょっとやりようがないんだろうかと思うのですが、ともかく今はこれで急場をしのぎます。
しかし、どう見ても左か右かしかないんですよね。上とか下とかないのかいな、普通あるでしょうよ、と思いつつ、他のサービスを探す気力もないのでこれで勘弁してください。
元の記事を見たい場合は、これまで通りtwitter内に表示されるユーザー名をクリックしていただくと、埋め込まれた画面から、おおもとのtwitterのページに飛びます。

それ以外で表示がうまくいかないとかいろいろありましたら、この記事にコメントなどいただければと思います。
『戦場体験史料館つうしん』といっしょに、キャラバン再出発他のチラシを会員の皆さんにお送りしました。
その結果として、体験者の方の軍歴ハガキが戻ってきつつあるのですが。
すでに体験は何度もうかがっているような方から改めて届く場合がけっこうあります。
チラシを送った趣旨としては、周りで体験者の方を見つけたら紹介してほしいということなのですが、体験者の方々はご本人がご自身の軍歴を書いて送ってこられることが多いわけです。
わかっていてなのか、そうでないのかは定かではありません。
ともかく、結果として、いつもの方からのいつもの便りが帰ってくる、という例がだいぶあるのでした。

しかし、一方で、おなじみの方の訃報も届いています。
お元気そうだった方、昨年の浅草でお目にかかった方の訃報を目にすると、いつもどおりというのも普通のことではないのだなと思います。
特に、一度大病を患われた方が、数年経って急に亡くなるということがよくあります。
数日前に受けた訃報もそんなお一人でした。

ご冥福をお祈りしつつ。
いつもの方からいつもの便りが来る幸運を大事にしたいものだと思います。
ゴールデンウイーク中心に展開した沖縄ミニキャラバン2018の様子が、保存の会公式twitterにも流れていましたので、拾ってまとめておきます。
基本的には、同じ方の分は1つの記事にまとめます。
今回は、旅の記録ということで、同じ日の分をひとまとめにしました。

2018.5.2 1:57

おばあたちのグランドゴルフやら畑やら体操の合間を縫って戦争体験を聞いて歩いてるので、小さな集落の中をやたらウロついている。今日は4回もミニパトとすれ違った。観光客してないし、最後はそろそろ職務質問されるかと思ったが何もなかった😌そんなわけで渡嘉敷っぽい写真も撮れないが猫を見かけた
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2018.5.2 4:30

2日間夕食を食べた民宿提携のお店は、第2中隊の中隊長以下将校が最初に宿泊した場所らしい。その後軍の連絡所になった。その隣の空き屋敷に当時は医務室があって、飯上げに来た傷病兵がつまずいて転び、少尉に蹴飛ばされまくった話を思い出しながらアカユー🐟らしき煮付けをいただく。

2018:5.2 4:43

そのお店の目と鼻の先の公民館は、戦中国民学校だった。渡嘉敷部落には米軍に伊江島から移された人々が先に入っていたため、この学校の校庭に多くの天幕が張られ、部落の人たちはしばらくそこで生活したらしい。

2018.5.2 4:57

自決場(じけつばと島民は呼ぶ)に偶々行かなかった人の理由は様々。ある人は、避難壕にヌル(祝女)がいたので彼女がそう判断したのではと思っている。別の人は、幼子が遅れて集団について行ききれず、親が本島出身だったので道が分からなかった。しかし、おとうさん(夫)は、嫁いだ姉は…となる。

2018.5.2 5:46

集団自決後山にこもってから、ある夜兵隊の命令で集落に降りて稲刈り(二期作)をした。翌日親戚の叔母さんは、ある村のおじいが稲を盗んだと避難場の中に立たされ、兵隊に帯革で叩かれて泣かされまくっている(ママ)のを見て恐くてたまらなかった。