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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
大みそかです。2017年も最終日です。
保存の会の活動以外の、でもちょっと関係のあるイベントに行くべく、ちょっと早いですが、ご挨拶を。

7か月の間に怒涛の茶話会キャラバン5連弾を決行した2017年。
よくやったものだとしみじみ思います。
私の本職の年次休暇はほぼこれに使いました。はい。
年々忙しく恐ろしいことになっていく保存の会の活動、来年は広くやや浅くになると思っています。結局忙しそうですが。
そろそろ、いろいろなものの棚卸をしなければなあと思うのは、保存の会も当ブログも同様です。
そんな積み残しも抱えつつ、来年またがんばっていきたいと思います。

今年一年、お世話になりました。
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
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来年度の話を、と言いながら、あまり具体的にならずにいます。
年明け一発目の『戦場体験史料館つうしん』では、ある程度出てくるとは思いますが、どれもそこまで具体的ではない気もします。
だからというわけでもなく、今日もブログ係のつぶやきです。

保存の会の3原則「無色・無償・無名」の1つ、「無色」ですが、これは色がないというより、いろいろ混じっている結果特定の色にならない、という意味だといえます。
特に、体験者の方については、右から左までいろいろな方がいらっしゃいます。そういう方々が、保存の会が「無色」を掲げていることを考えて、主義主張よりも体験を語ることを中心にしてくださっているわけです。「戦争はだめだ」というところは共通で、これは、この「戦争はだめだ」ということ自体が色というものは関係ないということの表れだと思います。
ボランティアメンバーも、まあいろいろな考えを持っているし、仕事や趣味も別に持っています。
何かイベントをやろうというときの機動力は、そこから来ているような気もします。

蒸し返しますが、茶話会の飲み物について1か所にコーナーをつくって、受付をしたらそこから持ってテーブルにつく形を提案して受け入れられなかったのは、もしかしたら、他のボランティアメンバーがそういうのになじみがなかったせいではないか?と、最近思い至りました。
具体的には、ワンドリンク付きまたはワンドリンクオーダー制のライブに行った経験がないのでは?というか、そもそもライブハウスというのに縁がないのでは?と思いました。
ライブハウスなら、歌っている最中にでもカウンターに飲み物もらいに行くのが常ですし。ステージ横にそのカウンターがあるような場合もけっこうあるし。
何度か行っていると、ある種そういうのは普通という感覚が生まれているものだと思います。
思い起こせば、保存の会事務局メンバーに、そういう趣味の人は自分以外いない気がします。知らないだけかもしれませんが。
音楽が趣味な人はいるのですが、好きなのはさだまさしさんだし。(私もそれなりのレベルで好きなのは確かですが)
「ファンミーティング」のようなイベントにも縁がなさそうだし。
そうか、そういう背景か、と勝手に思った次第です。

なので、まあ、いろいろな経験を持った人が集まっているほうが、組織としていろいろな場面に対応できる可能性が高いのではないかと思うわけです。
むろん、他のメンバーはメンバーで、みんなそれぞれ、私の経験上から形成される辞書にないことを知っています。
多様性の重要性というのはそういうことだと思います。容赦なくダメ出しストップかけられたりもしますしね。
常に視野を広くできる、そういう社会が、戦争を避けるということとつながっているのかもしれない、と、この際大風呂敷を広げてみます。

活動以外の世界を持っていること。昨日の話のようなのも、そういう片鱗の1つです。
ということで、思い出して書いた、という次第です。
来年度から、改めて全国キャラバンを大々的に打ち出そうとしているところです。
そういう中、とある出版社の方に、「最後の全国キャラバン」をアピールすると言ったところ、その方はずいぶんとショックを受けられていたそうです。
保存の会までが「最後の」と言うなんて、もう本当に末期なのだなと感じられたのだとか。
当の保存の会事務局メンバーは、そういうことは特に意図しておらず、最後と言いながら何年もやるし、またキャラバンを特にアピールすることもない時期に突入しても延々やるのだけど、という感覚だったので、むしろびっくりしたと言っていました。

「保存の会までが」と言われるほど、保存の会はどこまでも体験者の方を前面に出しています。
茶話会などやれば、話をしたい体験者の方はたくさん出てこられます。ご新規さんもいらっしゃいました。
そんなだから、保存の会が「最後の」というと、もはや危機感しか感じない、というのがその出版社の方の感覚だったようで。
世間一般的にそうなのかというと、世間はもっと「もう終わってる」感があるぐらい無関心ではないかと思うのですが。
まあともかく、事務局メンバー、うかつに「最後の」と言うのはまずいらしいという結論に達しました。

それで、さてどうする?という話になったとき、「じゃあ、“帰ってきた全国キャラバン”で」と発言するブログ係は、「はいはい」という反応であしらわれました。
目の前には「ウルトラマン基金」関連のお酒。全国の児童養護施設を回るというキャラバンっぽい一大企画に、物を買って協力しておるわけですが、むろんそれだけではなく、昨年からにわかにはまっているという話をしたばかりでして。
いや、でも、まじめにいいと思うんですけど、“帰ってきた全国キャラバン”。版権的な問題がないのなら。ほんと、元ネタのタイトルは秀逸だと思います。
と、本人的には冗談ではない冗談はさておき、来年度は全国キャラバンリターンズ。(いや、今までもやっていたんですけど)
どうやって盛り上げていくか、また悪だくみをしていかねば、というところです。
今日は有志による忘年会のようなものが行われました。

いつもの古参メンバーは少数派、前途有望な20代3名を迎え、日比谷証言集会に出ていただいた某新聞記者の方を囲んで飲みました。
就職の話などリアルに出てくる辺り、平均年齢の低さが際立っていました。普段の90代が集まる保存の会とはだいぶ趣が違います。

この間の忘年会では、人が多くてあまりからめませんでしたが、今日はいろいろと仕事や活動への取り組みか方などについても盛り上がりました。
戦争体験者がいなくなっていく中で、というのはやはり常に焦点となるのですが。まだできることはたくさんある、と確認し合い。

ほんと、こういう若者がいるんだなあとしみじみ。
こういう人たちにはぜひ活躍してほしいと重ねて思うひとときでした。
昨日、戦後○年生まれというのを自分の年齢が追い越すという話をしましたが、考えてみたら、もはやその追い越しはどんどん難しくなっていくのだなあと思いました。
何しろ今や戦後72年です。
追い越すためにはそれ以上の年齢にならねばならないということですから、今生まれたとして72年5ヶ月以上は生きないと追い越せないのです。
戦後75年、80年となっていくと、それに年齢がプラスされている戦争体験者の方々はもちろん、さらに歳を重ねていくのが難しくなるわけですが。
毎年、戦後○年を追い越すことも難しくなっているというのは、なかなか意識しないものです。する必要があるのかどうかは疑問としても。

戦後100年などということになったら、戦場で戦った経験のある方は例えば当時中学生だったとして115歳前後になります。なかなか困難を感じます。
一方で、その年に生まれた人がそれから100歳まで生きるということも、同様に難しい。

だから何だということもないのですが、昨日自分が書いたことがどんどん難しくなるということが気になったので、改めて考えてみたのでした。

そして、それだけの年月を戦争に巻き込まれることなく生きるということは、もっと難しいのでしょう。
そう考えると、この72年という年月の重さが感じられる気がします。
・・・・・・ちょっとだけ、考えた意味が出てきて、ほっとしました。