あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
「憲法ミュージカル」、最終公演を見に行ったのですが、その最中に、ものすごい疲労を感じました。
日々の仕事やらと今やっている作業と、自分としてエネルギーをものすごく使って神経すり減らすタイプのものが重なっているせいもあると思いますが、「しばらく遠ざかりたい」という気持ちがよぎって焦りました。

ミュージカル自体は、参加者が多いのもあって、壮観でした。
沖縄戦のシーンは、集団自決の部分がだいぶ占めていた気がします。
その先に、新基地建設の問題がつながってきている構図が見えるもので。
沖縄の人たちが、どれだけ声をあげても行動しても届かないのをキジムナーも見ていて、基地建設に伴う自然の破壊とともに自分たちも危険にさらされている、というのが伝わってきましたが。

そういう中で、初めて沖縄キャラバンに行ったとき、運転してくださった大嶺先生が、しょっちゅう県民集会をしないといけないから大変だと話しておられたのを思い出しました。
国会議事堂の周りでも、仕事をどうにか調整して座り込んでいる人たちがいて、けっこうな頻度で集会がありますが。
資金的にも時間的にも圧迫されるけれど、やらないわけにはいかないという状況があって、日常の中に「集会」があることが普通になっている事態をリアルに思い浮かべて、それがきっかけで、最初の疲労感を自覚したのでした。

昨年、「松村幸子さんの戦争展」に平日ちょっと顔を出していて、「戦争展のある日常」というのを感じていたときは、状況が許すならこういうのもありだなあと思って、そんなことをブログでも書いたのですが。
差し迫った現実を相手に、繰り返し声を上げ、無視されるというのは、まったく違うしんどさがあるのだろうなと思います。

保存の会の活動は、平和というものにつながるものであるとしても、そういう「集会」とはだいぶ趣が異なっていて、関心のある意外な人たちと出会える場ともなっているし、自分たち自身も体験者の方々のお話が聴けるのが楽しみなところも大きく。
無茶なイベントを繰り返すのも、大変といっても、充実感があるものであったりもして。
けれども、そういう活動がどれほどの人に届いているのだろうか、伝わっているのだろうか、というのがよくわからない、というのは、日々実感するところで。
その辺のもやもやが、ミュージカルを見ている最中に、自分の中で、ふとシンクロしてしまったようです。
どうであっても、発信を続けていくということには、変わりないのですけれども。
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祖父の命日、の話と少々関係あるかもしれません。
保存の会の現在最若手のメンバーのひいおじいさんが沖縄戦で戦死されています。
それもあって、このメンバー、最近2回の沖縄キャラバンに参加して、けっこう熱の入った聞き取りをしていました。
それで、今回の「沖縄の戦争展」で、個人発表コーナーを作ってはどうか、と、周りのメンバーが提案しています。
ひいおじいさんの軍歴をとるところから、その足取りをたどっていくあたりの過程を展示にしてはどうかというわけです。

保存の会に体験者を紹介してほしいとご遺族から問い合わせがあるときも、まずは軍歴をとって亡くなった方の所属部隊を確認していただくところから案内する場合が多いです。
遺族会などに入っていらっしゃる方は、その段階はクリアされていることが多いのですが。
どのあたりが戦場だったらしい、といっても、部隊がわからないことには足取りもわからないし、一緒にいたかもしれない方を探すことはできません。
そういう方々にとっても、戦死された方の足取りをたどる方法が実例としてあると役に立つだろうと思われます。
実際、今は保存の会に問い合わせがあって、軍歴をとってくださいということになると、私が祖父の軍歴をとったときのことを書いた当ブログの記事を案内する、ということもよくあるようです。
うちの祖父の場合は、戦死せずに帰ってきていますし、軍歴はだいぶちゃんと残っているほうです。それでも、部隊についての情報があまり見つからなかったりするのですが。

そんなこんなで、2~3回、個人展示をしないかと勧めたようですが、前回の会議までの時点では、軍歴をとったような話は聞いていません。
まあ、ひいおじいさんだと、ぎりぎり3親等で取り寄せられますが、本籍地を確認しておじいさんの戸籍謄本を取り寄せるという辺りでひっかかるかもしれないとは思います。その点でも、私の場合は2親等で本籍地が実家の隣近所だったので、運が良い例なのでしょう。
展示するとなると、個人情報のことなどもあるかもしれません。といいつつ、証言パネルがすでにそれなりに個人情報なのですが。

できればチャレンジしてみてほしいところですが、さて、どうなるでしょうか。
5月3日につづき、「憲法ミュージカル」で、けっこうたくさんの方にチラシが届いたところですので、暫定ながら「沖縄の戦争展」の告知記事を掲載しました。
ネットで宣伝してくださる方は、ひとまず昨日の記事をご利用ください。左サイドの「まずは注目」のところからもリンクしています。

イベントの内容的には、チラシに書いてあることに尽きるのですが、茶話会にご参加いただく体験者の方の紹介が、これから増えるはずの部分です。
6月23日(金)は、比較的首都圏やその周辺にお住いの方をお呼びできるように調整中です。
この日、夕方までに、沖縄からの体験者の方が東京入りし、ナイトセミナーを一緒に聴かれる予定です。
24日(土)、25日(日)に、沖縄からの体験者の方々が茶話会に参加されることになります。

今のところ、沖縄戦、南洋戦それぞれからお2人ずつが決定しているという速報が来ています。
沖縄からはもうお1人ぐらい増えるかもしれません。
土日は午前・午後の2部制の予定ですが、人前で話をすることにあまり慣れていらっしゃらない方も多いこと、その結果精神的に疲労される可能性があることから、実際はそれぞれの方の体調などと相談しながらの運営になると思われます。
一方で、それはこれまでなかなか話す場がなかった方々ということでもあるので、この機会にできるだけ交流していただきたいと思っています。

新しい情報が入りましたら、改めて告知記事を出していきます。
沖縄の戦争展(2017年6月浅草で開催)の暫定告知記事です。

沖縄の戦争展 表 沖縄の戦争展 裏

生の体験談から知る
沖縄の戦争展

日時:6月23日(金)~25日(日)
会場:浅草公会堂 1F展示ホール

◆展示で知る沖縄の戦争証言
沖縄・南洋(パラオ・サイパン等)の戦場体験、写真、戦地の遺物
10:00~17:00
※23日(金)は18:00まで

◆戦場体験者と出会える茶話会
沖縄・南洋の戦場を生き延びたあの時子供たちだった方々と語り合いましょう
6月23日(金)13:00~16:00
6月24日(土)10:00~16:00
6月25日(日)10:00~16:00

◆ナイトセミナー
沖縄の戦後補償問題
6月23日(金)18:00~19:30
地上戦の民間戦災者はなぜ放置されてきたか
講師:瑞慶山茂弁護士(沖縄戦被害・南洋戦被害国家賠償訴訟)

主催:戦場体験放映保存の会
協力・沖縄・民間戦争被害者の会
8、でいいんだっけ?と、本気で何回目かわからなくなってきました。
ブログ何周年というのより1回多くなるのですよね。

本日、祖父の命日です。
2008年だったので、来年は10年になるのだなあとしみじみ。
祖父より数年遅く生まれた方が、100歳に届く前に亡くなった話を聞くにつけ、亡くなったことが悲しいのと同時に、どうしてもそういうものなのかと思うところです。あと、「残念」と思うのも確かです。

過去7回、毎年毎年この機会にいろいろなことを考えるわけですが。
今年は、昨日とおとといのことに関連した辺りを考えてみましょうか。

おととい、昨日と、潜水艦と、撃沈された船の話をしました。
それから、日付を見て、今日が祖父の命日だと思い出したのですが、そうなると、これまでの蓄積で、この日が海軍記念日だったことを思い出しました。
となると、潜水艦の調査も、もしかしてある程度海軍記念日を意識してやっていたりしたのだろうか?と考えたのですが、どうなのでしょう?もしくは、ニュースの方で、少し海軍記念日だった日の要素が入っていたのでしょうか?いや、まったく関係ないよということでしたら、いらぬ勘ぐりですね。

ブログをやっている間に、祖父の軍歴を取り寄せたことがありました。過去の記事をあさると、2011年の秋のことです。
祖父は満州に配属されていて、所属は、独立守備歩兵第22大隊と書かれていました。
これについては、保存の会関係の詳しい人に聞いてみたところ、「何か間違ってない?」みたいなことを言われました。独立守備歩兵大隊は22までないのでは?と。
それで、ネットで調べてみたところ、当時(2011年末~2012年初頭ごろ)そのキーワードでひっかかってきたのは、撃沈された輸送船に載っていた部隊というものだけでした。他は完全に一致する情報なし。
部隊は大戦後半、満州から台湾に移ったようなので、輸送船に載ったことはあるのかもしれませんが。部隊の全て、ではなかったということなのでしょうか。
この検索結果には、今は到達できないので、確認できませんが、本当に、沈没したということだけの3行ぐらいの文だった気がします。それも、特にその部隊について書いてあるものではなかっただろうと思います。

今調べると、戦友会データベースというのにたどり着きました。今度はこれ以外、完全一致するものが見当たりません・・・
戦友会は、松山市にある「独立守備歩兵第22大隊会」。部隊情報としては、「独立守備歩兵第22大隊(満洲428) 満州-セレベス・サンギヘ島」となっています。
隣には、独立守備歩兵第39大隊の戦友会も出ていたので、独立守備歩兵部隊は22よりたくさんあっただろうというのもわかりました。こちらは、大阪府にある「山口部隊ネグロス会」となっています。
満州から南方に移る途中で台湾を経ていて、そこで台湾に残る隊もあって、祖父の原隊もそのグループだったということになるのでしょうか?
そして、南方に向かった隊の一部は輸送船の撃沈に遭い、無事に着いたグループはセレベス・ザンギヘ島等で戦闘についた?
どうも、独立守備隊というのは、師団とその直下にある連隊のようにはよくわからないもののようで・・・
また落ち着いたら調べてみようと思います。といいつつ、来年の今日までにそんな日があるんだろうか?

部隊名で検索していると「22大隊」の辺りで、沖縄の部隊がやたらと引っかかってきます。24師団の22連隊や、62師団の歩兵第64旅団独立歩兵第22大隊があるためでしょうが、こういう検索結果は、以前調べたときから相変わらずだなあと思いました。
時期的にも、72年前は沖縄戦の最中。32軍が首里を捨てた日だということも、これまで書いたことがあります。
祖父の命日と沖縄戦とは、直接関係はないのに、どうしてもつながってきてしまうもののようです。