あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
「大戦とその前後」にあたるはずです。

1959年6月30日、沖縄県石川市(現うるま市石川)の宮森小学校に米軍戦闘機が墜落しました。
35件の民家をなぎ倒した後、校舎を直撃して炎上、死者18人(小学生12人、民間人6人、1人は後遺症による死亡)、重軽傷者210人の大惨事となりました。ちょうど小学校のミルク給食の時間で、生徒がほぼ全員校舎に集まっていたところだったのです。
嘉手納基地所属のこのF100ジェット戦闘機は、飛行中、エンジン火災を知らせる警告が出たため、搭載していた25ポンド爆弾4発を海上に投機し引き返そうとするもエンジンが爆発、パイロットはパラシュートで脱出。一応人気のない丘陵地に機首を向けてから脱出したということですが・・・
事故原因はエンジントラブルとされましたが、実際は整備不良だったということです。
この事故の前年にも、同じ機種で100件を超える重大事故が多発していたということが、今日の沖縄の新聞で報じられているようです。

1959年、サンフランシスコ講和条約発効から7年、東京オリンピックの5年前、日本は国際社会に復帰し高度成長に向かおうとする時期、沖縄はいまだ米軍占領下に近い状態にありました。
むしろ、その7年間に、本土にあった米軍基地が次々と沖縄に移動し、沖縄に基地が集中していっていました。
米国施政権下にあったため、沖縄は米軍に自由に使用されるという状況で、「基地の中に沖縄がある」と言われたりもしたようです。
本土から米軍の姿が遠のいた一方で、沖縄には危険が増していたといえます。

だから、大戦とその前後、大戦の延長上のことだと思います。
6月は沖縄は慰霊の月ですが、その末日にこの宮森小学校の事故の追悼が行われることになってしまっています。
終戦のはずの1945年から14年たって、戦争がまだ終わっていないことを思い知らされた6月だったでしょう。
いえ、もしかしたら、12年間、戦争が終わったという実感はなかったのかもしれません。

事故当時、沖縄のテレビは開局前で、事件がリアルタイムで伝わったのはむしろ本土のほうだったという話もありますが。
今、世間一般的にこの事件はどのくらい知られているのでしょうか?
正直、全国キャラバンが始まったころまでは、私はあまりよく知りませんでした。今は、普通に知っていることになり、周りからも情報が入ってくるので、一般的な感覚がわかりません。
この事件を同じ時代に知っている沖縄の方々から見ると、私なんぞ知っているうちには入らないことでしょうが。
せめて8月ジャーナリズムと同じくらいに、6月23日だけではなく6月は沖縄のことに目を向けるべきときだと思います。
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「沖縄戦を知っている人は、基地のない沖縄を知っている人だ」と、元沖縄県知事太田昌秀さんがおっしゃったのだと、保存の会の事務局長づてで聞きました。
沖縄の米軍基地が作られたのは沖縄戦の最中から。だから、沖縄戦を生き延びた方々は、それ以前の基地の無かった沖縄をご存知であるのだと。
そして、沖縄戦どころか沖縄復帰も知らない世代が多くなった今、基地のある沖縄を普通のことと感じる沖縄県民も多くなったのだと。
それは、本土でもそうであるというか、一層その傾向は強いのだと思います。

昨日、1946年のことを書いてみて、「これ、勉強しながら得意満面そうに?書いているけど、実際この時代を体験した方々からみると笑止千万なんではないのかな?」とふと思いまして。
今、テレビや新聞で報道される以上に、当時は憲法改正の動きが大々的なニュースになっていたのでは?いや、ときどき「政府、○○案を発表」というのが年表に出てくるので、わりと閉ざされた中で審議されていたのでしょうか。
そういうことさえ、今の私は知りません。勉強不足というのは間違いありませんが。
大々的にかどうかはともかく、日々新聞はその手続きに注目し、追いかけていたのではないでしょうか。
生きていくのが精いっぱいだった人々も、多少なりともこれからのことに注目したのでは?
そういう、1946年~1947年、日本国憲法成立のころを覚えているのは、大戦を生き延びた方々であるわけです。このころ、物心ついている以上の人ということになりますから。
前に、戦場に行って捕虜になった将兵やシベリア抑留された人たち、引き揚げることができなかった人たちは、1946年4月10日の選挙には参加できなかったということだろうと考えたことがあります。
それを意識したのも今年になってからですが、選挙を体験した人たちが大戦を生き残った人たちだという認識はあるのに、日本国憲法制定までの様子をリアルタイムで見ていた人たちというのはあまり意識していなかったのです。なんだか、自分の中で時間が分断されているようです。
この辺、もう少し気にしたほうがよいだろうと思いました。

さて、戦後生まれが8割を占める時代になったと言われています。
ということは、終戦直後の2年間ぐらいを知っている人たちも、2割そこそこになっているということですね。
私が昨日書いたような話に、実体験をもとにつっこみを入れられる人は、もっと少ないはずです。
そう考えてみると、私と同じくらい歴史がわかっていない人というのはそうとういらっしゃるということであり。
鵜呑みにしてもらっては困るのだけれども、こうやって70年前を調べてなにやら書いていくことには、思っていた以上に意味があるのかもしれないと思います。

70年前に比べれば、情報を得る手段はものすごくたくさんあるわけなので、様々な情報を見比べながら考えてみるのがよいでしょう。
そしてまた、70年前のことを知るのと同じぐらい、今自分たちが、大戦を生き延びた方々が70年前そうだったのと同じかそれ以上に、今の社会、政治の動きに関心を持っているのかどうかということも省みる必要があるのだろうと思います。
70年後、この時代のことを調べて知ったかぶって書いている「若いもん」を笑えるぐらいには。

あの大戦の体験を追いかけていると、突然そういうことも考えるようになるものなのですね。
今日は日本の自衛権について質疑が行われた日です。
久しぶりに、70年前、1946年の話です。

1946年6月20日、第90回帝国議会が開院し、口語体の憲法改正案が衆議院に提出されました。
そこから、本会議で可決する8月24日まで2ヶ月あまり、衆議院での審議が行われます。
6月25日、「帝国憲法改正案」が衆議院本会議に上程されました。本会議を28日までやって、その最終日に、委員会を設置することになるのです。

6月26日、時の首相吉田茂は、「9条は自衛戦争も放棄」とする答弁をします。
6月27日、憲法問題担当国務相に就任したばかりの金森徳次郎が、天皇の地位と国体の変更について、変更されるのは「政体」(天皇を中心とする政治機構)であって「国体」(天皇をあこがれの中心として国民が統合していること)ではない、という答弁をします。いわゆる「あこがれ天皇論」です。
これは、GHQに懸念を抱かせることになり、金森はケーディス民生局長から改めて真意を問われました。
それに答えて、金森6原則と呼ばれるものが出てきます。(7月17日に会談を持ち、そこで金森が語った内容を文書化したもの)
◆→
第一 従来の天皇中心の基本的政治機構は新憲法では根本的に変更されてゐる
(従来の天皇中心の根本的政治機構を以てわが国の国体と考へる者があるが、之は政体であつて、国体ではないと信ずる)
第二 現行憲法に於て国民意思は天皇により具体的に表現されるが新憲法では然らず。
(新憲法では国民意思は主として国会を通じて具体的に表現される)
第三 天皇は新憲法に於ては象徴たるに止まる。象徴の本質は天皇を通じて日本の姿を見ることが出来る。と云ふことに在るのであつて、国家意思又は国民意思を体現すると云ふやうな意味をもたない。
第四 現行憲法では天皇は何事も為し得る建前になつてゐるが、新憲法では、憲法に明記された事項以外は何事も為し得ない。
(法律を以て其の権限を追加することも絶対に出来ない。)
第五 現行憲法に於ける天皇の地位は天皇の意思又は皇室の世襲的意思に基くものと一般に考へられて居たが、新憲法に於ては天皇の地位は全く国民主権に由来する。
第六 政治機構とは別個の道徳的、精神的国家組織に於ては天皇が国民のセンターオブデヴォーションであることは憲法改正の前後を通じて変りはない。
(国体が変らないと云ふのは此のことを云ふのである。)
→◆
新憲法の下では国民主権であり、国民の意思は国会を通じて具体化されるものである、ということを述べているようです。
天皇は、政治機構と別の存在として国民の心の中にあり続けるということでしょうが、「道徳的」「精神的」というのは、やっぱり微妙な言い回しだと思います。これは、国内へ配慮した表現でしょうか。

6月28日、共産党の野坂参三が衆議院で「自衛権の確保・侵略戦争放棄」の質問をします。
野坂は、戦争には正しい戦争と正しくない戦争があり、侵略される国が自衛するための戦争は正しい戦争にあたるという趣旨の発言をしました。満州事変に始まる大戦を侵略戦争、正しくない戦争の例として挙げています。
自衛のための戦争までは放棄すべきでないということです。
これに対する吉田茂の答弁は以下のようなものでした。
◆→
戦争放棄に関する憲法草案の条項におきまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行なわれたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることがたまたま戦争を誘発する所以であると思うのであります。……御意見の如きは有害無益の議論と私は考えます
→◆
戦争というのは防衛の名のもとに行われるものだから、自衛戦争なら正しいという考えは有害無益、というわけです。
吉田はまた、武力というのは持っていると使いたくなるものだから持たないほうがよいというようなことも述べているということです。

こうした質疑を経て、この6月28日、衆議院帝国憲法改正案委員会が設置され、「帝国憲法改正案」を付託されます。委員長は芦田均。8月21日まで21回開催されることになります。

同日、共産党は「日本人民共和国憲法草案」決定しました。

なんというか、現在の政党の主張から見ると、いろいろと衝撃的です。
外部イベントのお知らせです。

福岡にて、福岡大空襲と九大B29捕虜実験手術についての展示会が開催されます。
昨年、体験者である東野利夫先生がご自身の病院で開催された展示が福岡市民の方々の活動と結びつき、発展版で広い会場で展開されます。

戦後70年からさらに活動を進めた先例があることを、とても心強く思います。

送っていただいたハガキより転載します。

◆◆◆

戦争を知らない世代の方へ

 昨年(2015)は戦後70年の節目に当り、福岡市民の有志の方々の「反戦平和」への運動が活発化し、さらに「核廃絶(米大統領)」に向っての方向性も見え始めました。
 この期に際し、戦争末期に起った福岡市の二大悲劇
◆福岡大空襲体験記
◆九大B29捕虜実験手術の真相
について展示資料を公開し追悼展示会を開催いたします。

展示資料公開展
【会期】
6月27日(月)~7月3日(日)
13:00~19:00
【会場】
アクロス福岡 2階 交流ギャラリー
 福岡市中央区天神1丁目1-1
 福岡市地下鉄空港線「天神」駅 16番出口から徒歩約3分
お問い合わせ 092-433-0070

【講演】
 7月3日(日)14:00~15:30
 2階 セミナー室2
 講師 東野 利夫氏(90才)

【入場無料】学生歓迎

【主催】
健康と平和を守る福岡の会[代表 東野 利夫(90才)]
本日6月26日(日)、拡大事務局会議を行いました。
若手10人参加。

沖縄戦展in大阪の反省からスタート。
会期中に新聞に出たのが最終日の朝だったため、お客さんが最終日に集中したのが、やはり残念。
今回はとても熱心に読んでいただいていたので、その上で読み切れないという方への対応等どうするかということは課題になりました。インターネットを使える層には、「戦場体験放映保存の会・電子版」でご覧いただけるようになったのですが、体験者世代、当時子供だった世代にはやはり紙媒体の要望が多いのです。
冊子などを作るとしたら、越えなければならないハードルがかなりあるのですが、もう少しちょっとした要望にお応えするすべは今後試みていく予定です。
展示自体は、内容はだいぶ充実してきたし、地元の方々ともつながりができて、満足度は高いものだったといえます。
ただ、中之島公会堂証言集会に向けては、もっと効果的に広報していかなければ、開場をいっぱいにするのは難しいだろうというのは確かです。
いつもそこにいるわけではないので、実感として大阪のことがわかっていないというのも大きいです。それは首都圏以外ではほぼそうであり、これから先を見据える上で一番の課題といえそうです。

ということで、中之島公会堂証言集会のことへ。
現状、登壇者の方は、確定といえそうな方が7名、調整の必要な方が10名ほどという状況です。
第2部のパネリストの方は、方向性はあるものの、まだ何も確定していません。
7月半ばごろまでに諸々決めていく必要があります。
広報についても、改めて大阪で展開することになりますが、この方面は特に出来る限り地元の方々に参加していただきたいと思います。

首都圏での秋~冬のイベントについても、これから動きが出始めます。

主要な課題の一つとして、戦後71年となって、世間一般的には(というのか、マスメディア的にというのか)昨年で一段落という空気が漂っているということがあります。
あの戦場体験を今後もずっと伝え続けていくことの意味が問われているということを、改めてかみしめました。