あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
水木しげるさん死去のニュースに激しく動揺しながら、戦後70年という時間を考えてしまう本日。ご冥福をお祈りいたします。
明日からは師走に入り、今年を振り返れば、今年もそうそうたる戦場体験者の方々が亡くなっているのを顧みることになるのですね。

そういう戦後70年の今年ですが、今日の話は戦後70年特集ではありません。
1年前、去年の今日のことです。
百人展in長野を終えて早々の日曜日、「さて来年は・・・」と話をしていて、今年の日比谷証言集会開催が突如浮上、即日決定してしまったのでありました。
「第4回 あの戦場体験を語り継ぐ集い」へのカウントダウンが始まったのです。
毎度毎度イベントが終わったと思ったらその反省をしているそばから次のイベントが決まってしまうのは、いったい何なんでしょう?
そうして、水面下で動き出した少数精鋭(?)の思惑をよそに、日比谷公会堂の改修に伴う来年度から使用停止が決まったり、国会周辺が戦後空前の騒がしさになったり。
ギリギリの情勢がギリギリいいほうに働いて、日比谷証言集会は成功裏に終えることができたのですが、カウントダウンの最中は本当に気が気じゃありませんでした。

日比谷証言集会までの日々の中でも、保存の会を支えてくださっていた体験者の方々の訃報は届いていました。
プロモーション映像を作ろうと思ったとき、冒頭ではすでに故人となられていた第2回の登壇者の方々を紹介しようと思っていたのですが、それから半年ほどの間に第3回登壇者の方が亡くなったため、その方々の写真と証言テーマを使わせていただくことにしたのです。亡くなるとは思っていなかった方々でした。
日比谷集会と前後して、長く語り続けられてきた硫黄島の体験者の方が亡くなったり、写真家の福島菊次郎さんが亡くなったりということもありました。

多大なる犠牲を出したあの大戦、だから戦後70年には、それなりの規模のことを行わなければならない、という認識の結果が、6年ぶりの日比谷公会堂での証言集会という形になったのですが。
一区切りではなく、常に続いている時の流れ、否応なしの世代交代の最中、それを思い出すイベントであったのかもしれないと思います。

そんなことを、毎年毎年しょっちゅう繰り返しているわけです。
課題は多く、その分ネタは尽きないというべきなのか。
今日も何かへのカウントダウンの最中だったのだと、後で振り返ることになるのでしょう。
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保存の会公式twitterで紹介されていた「地図展2015 首都東京1945」、明日までだというので行ってきました。
地下鉄の三越前駅、銀座線と半蔵門線を結ぶ通路で開催。仕切りの柱の壁面と、通路の片方の壁面を使っての展示。日本地図センター等でつくる地図展推進協議会、全国街道交流会議、名橋「日本橋」保存会が主催、国土地理院や海上保安庁、日本地理学会等が後援というだけあって、こんな場所で大々的にやれるのですね。
幅広い年代の人が足を止めて見ていました。
「これが(東京大空襲の)直前で、こっちが直後ね」とカップルがふつうに会話しているのが耳に入り、東京大空襲はけっこう常識として浸透しているのか、今年が戦後70年で特集も多かったので入っていきやすいのか、罹災地に近い場所柄なのか、なんだか意外なかんじでした。ふだん戦争関係を扱っているのはそうとうマイナーな気がしているもので。

東京大空襲前後の東京の地図を中心として、真珠湾攻撃や広島、長崎の原爆投下に関する地図等並べられていました。
今回東京メインということで、スカイツリーから見た現在の東京の写真や、東京の移り変わりの航空写真等、比較できる形で出されています。これが、でかい!数枚の地図、航空写真をつなぎ合わせたものもあって、これが一堂に会するのはあんまりないのだろうというのがわかります。
東京大空襲の体験を語るパネルもありましたが、証言者が日本地図センター地図専門員の方なのですね。
講演もあったようです。日程合わなかったとはいえ、行けなくて残念です。
東京大空襲については、いち早くグーグルアースで当時の地図を見られるシステムがつくられていますが、地図にかかわる専門の方の力が集まっていたということでもあったのでしょうか。

海軍兵学校・陸軍予備士官学校の入試問題が一部パネルになっていたり、防空についての絵を集めた「人々は逃げることを許されていなかった」ことを伝えるパネル等もあり、かなり凝った展示でした。
これ、偵察員だった田中三也さん(戦後も国土地理院委託の航空測量に従事された)の証言や、信州戦争資料センターの「戦争の時代」展と併せてみるとまた味わいがあるのだろうなあとかも思ってしまいました。真珠湾攻撃の図上演習の話を思い出してみたり。やっぱり私もしっかりマイナーの域に行っているようです。

パネルの下の方に、図録的なものの販売の案内がありましたが、あいにく日曜日は販売所が空いていないようで。
講演会場になっていた八重洲ブックセンターまで行ってみると、それらしいのが1冊あったので買いました。その前身のようなムックもありました。(そちらは戦争に限らず歴史と組み合わせたシリーズもののようです。)
展示に出ていたもの以外に、横浜や名古屋、京都(!)等全国の都市について米軍が撮影していた航空写真資料が収載されています。隠された東南海地震についての資料も載っていました。

戦争の資料館を持っている官庁以外の戦争関係展示も侮れないどころかむしろプロフェッショナルなこだわりが効いているものだなと思いました。
戦争は国家をあげてやるもので、どの官庁も深いかかわりを持っているのだから、当然といえば当然なのかもしれませんが、正面から取り組んだ力の入った展示だと思います。
日比谷証言集会をきっかけに、保存の会に新しいボランティアメンバーが入ってくれました。
戦場体験史料館での収録会には参加してもらったのですが、今度は体験者の方のご自宅にお邪魔する通常の聞き取りに参加してもらいます。
一番聞き取り経験の豊富な事務局メンバーがメインで聞き取りを行うのについていってもらい、聞き取りの流れを体験しつつ質問をしてもらったり、もしかしたらビデオカメラの操作をしてもらったり、というかんじです。
当面はこの形で、慣れたら一人で行ってもらえるようになるのを目指します。
新人さんどうしのコンビでもよいので、一番仕事を抱えているメンバーがやっている聞き取りを一部引き受けてもらえるようになるのが理想です。とはいいつつ、私なんかは1年ぐらい一人での聞き取りはできませんでしたし、わりと古参のメンバーでもいつもビデオカメラの操作に一人ついてきてもらう人もいますので、人それぞれです。

ともかく、今後しばらくは、可能な範囲で新人さんに聞き取りに参加してもらうことになると思われます。
そういう聞き取りの1回目が、明日行われます。
ジャワ島の体験者の方とのことです。

聞き取りにはまってもらえるといいなあ、と実は思っています。(心の声ダダ漏らし)
先日2回目が行われた表郷周辺キャラバン、まだまだ聞きどころがありそう、ということで、早速3回目が決定しました。
12月12日(土)、また玉川村の元工兵の方のご自宅にお邪魔します。
1回目ついていったので、今回も誘ってもらったのですが、その日は先約があり残念ながら私は辞退。
2回目に引き続き、実行委員長コンビでの訪問となる見込みです。
2週間後の福島県南部、東京より少し早く冬本番を感じるのでしょうか。
いや、冬に入るということよりも、むしろ年内にこの方の聞き取りが完了するのかを気にするべきかもしれません。
1945年8月15日以降の占領期の日本に関する年表を検索してみると、「11月26日 軍人恩給停止」という記述のあるものをいくつか見つけました。
しかし、実際にこの日から停止されたという文書等は、ネットでみた限りではみつけられませんでした。
戦後70年特集、ネットに転がる年表上で見つけても、裏が取れない場合はネタにしない(できない)ことにしているのですが、今回、一応70年後になるかもしれない今日取り上げてみることにします。来年の2月1日も戦後70年的な特集やっているかどうかわからないですので。

GHQから、軍人恩給停止についての覚書が出されたのは11月24日となっています。そして、覚書を受けて軍人恩給が廃止されるのが翌1946年2月1日からであるようです。(サンフランシスコ講和条約発効に伴って復活します。)
当初「戦犯者の恩給停止」の指令であったようですが、結局重症者を除く傷痍軍人や戦没者遺族への支給も停止されることになります。「名誉の負傷」とされたり、戦死者を出して「誉の家」と呼ばれたりしていた社会は一変するのです。
ただ、一般的な軍人恩給については、軍人として一定の年限を満たした場合にのみ受けられるもので、根こそぎ動員された多くの人達は対象外でした。シベリア抑留されていた方々も、抑留の期間は戦時とみなされず、従軍した年限として数えることができないことになっているようです。
恩給停止によっていっそう苦難が続いたというのが一応知識としてあっても、実態はあまりよくわかっていないことに気づきます。

保存の会でも今後、戦後の部分まで広げて証言を伺うようにしようという話をしていますが、恩給については一つのポイントなのかもしれません。
そして、やっぱりネット上を調べるのでは限界があるものだと感じました。

実は戦中までは、軍人以外の被害を救済する制度もあったのだという記述も見つけました。恩給が復活したとき、そちらは顧みられなかったのだと。
この辺りも、確認ができていないので、今後調べてみたいと思います。