あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
昨日思いついたことを書いてみたら、さらに考え続けてしまったので、備忘録的に書いておきます。
沖縄戦展と百人展のハイブリッドについて。

昨日、仲井間千代さんの証言を沖縄の女子学徒隊の証言と並べたいということを言いました。
これはこれで絶対まとまりがあってかつ展示の幅が広がると思うのですが、こうなると、従軍看護婦の証言も集めてみたい気がします。
沖縄戦展のパネルには、沖縄戦を体験した正規の看護婦さんや、医務室勤務で看護の手伝いをした女子看護隊員の証言も含まれています。最初は「医療関係者」というくくりで計画したためです。最終的に看護に従事した10代の女性に絞られました。テーマは「学徒隊(戦場に動員された少女たち)」になりましたが、女子学徒隊以外も含まれています。
ここは、改めて、戦場で看護にあたった少女たちということで、百人展の中にコーナーをつくるというのは一つかと思います。
医療関係者でまとめると、しょうけい館のジャンルになってきそうなのが気になってそういうテーマ立てというのもありますが。

少年たちのほうになると、沖縄戦展ではやはり「戦場に動員された少年たち」というテーマでコーナーをつくっている一方、百人展のほうに「少年兵」関連のくくりがあります。これをうまいこと結びつけることができれば、というかんじですが、少年たちは志願の幅が広いので、10代で戦場に行った例はだいぶ多いと思います。(徴兵年齢が引き下げられた関係で19歳で現役兵になる場合等は除きます)

というかんじで見てきて、いっそ百人展のテーマに沖縄戦展の証言をそのまま当てはめてみたらどうだろう?と思いました。
例えば、上下2段で、上段が百人展の証言、下段が沖縄戦展の証言というかんじで。
沖縄戦はあの大戦の縮図だといわれています。ならば、それぞれのテーマに当てはめてみれば、それを確認できるのではないでしょうか。
南方戦線や満州の辺りにも、沖縄出身者は入ってくるはずです。
満州からの引き揚げの体験者の方の証言はありますが、南方戦線等は現地の人たちの証言はとれないものです。移民していた方という方面からなら、現地に暮らす人々の証言を加えていけそうです。

問題は、これまでの沖縄での聞き取りや、内地在住の沖縄出身者からの聞き取りだけでは、全部のテーマの証言がそろわないだろうということです。
とすると新しく聞き取りをすることになるのかということですが。なにしろ、「こういう戦地の体験者」というリクエストで体験者の方を紹介してもらうというのはほとんどできないもので。(保存の会への問い合わせにはよくありますが・・・)
現実には、「戦争の体験をお話しいただける方」を紹介していただけないかとお願いしてみても、なかなか該当者がいない場合が多くなっています。
まあ、こういう展示をしたいという事情を言って、一応聞いてみるのはありなのでしょうか。

これは、私が考えたことをそのまま垂れ流しているだけで、こういう展示をするかどうかという話は保存の会ではまったくしていません。
しかし、書いているうちに、具体的にこれまでにできているパネルや心当たりの体験者の方をテーマごとに並べた形を作ってみるべきかと思い始めました。とりあえず、やってみたら当ブログで何かしらまとめた報告特集をしようかと思います。
・・・・・・無茶ブリで自爆したような気が非常にします。長い目でみてやってください・・・
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まあ、保存の会というところは、凝りもせず毎年無茶ブリのハードル上げていくものだと思います。
とはいえ、昨日ちょっと言った内容は、はた目からはあんまり無茶に見えないだろうところが、一層きつい面がある気がします。日比谷証言集会は、それなりに「大変なでっかいイベント」というイメージを持ってはいただけたと思うのですが、次の無茶なネタは難易度が上がる割に、日比谷に比べて大変そうに見えないだろうなあと。
心強くあらねば、というのも課題です。

さてさて。
その無茶ブリと関係あるようなないようなですが、今思いついた無茶ブリを返しておこうと思います。
そういう割に大したことではないし、漠然としています。ご本家並の規模でやろうとすると途端に無茶になります。

それは、
沖縄から各戦場に行った人たちの証言を加えて沖縄戦展をやること
です。

今年6月の沖縄戦展では、あくまで沖縄での戦いを扱っていました。
本土出身で沖縄戦を戦った兵士の方々の証言は含まれています。一昨日「日比谷証言集会登壇者特集8」で紹介した井上理二さんのような海上特攻の艦船の乗員や、沖縄の敵を爆撃する飛行機のパイロットの方等の証言も入っています。

思いついたのは、沖縄県平和祈念資料館の今度の企画展のテーマが、「戦後70年伝え残す記憶 ウチナーンチュが見た戦前・戦時下の台湾・フィリピン」なのを見たからです。
いや、前から思ってはいたのですがこのテーマを見て思い出しました。(というと嘘くさいですが、パラオの女学生だった仲井間千代さんが日比谷証言集会に出られることが決まったときには、近いことを考えました。)
企画展は沖縄県平和祈念資料館で今開催中ですが、前の前のテーマが「日系ハワイ移民が見た戦争と沖縄」で、巡回展示「日系2世の戦中・戦後」のもとになったものでした。このパネルの一部を、今年の沖縄戦展でお借りしました。
ちなみに、前のテーマは「南洋の群星が見た理想郷と戦」だったようです。仲井間さんはそちらの方が近いでしょう。

キャラバンを始める前から、テニアンの体験者の方の証言には、沖縄からの移民が登場していました。亡くなった民間人の中で沖縄出身の人は特別多いのだというのも、そのころ初めて聞きました。
キャラバンが始まってからは、フィリピンにいらっしゃった方の証言にも、やはり沖縄からの移民の話が出てきました。
実は沖縄から満州への移民が多かったことや、初期の満蒙開拓から帰った人が農兵隊のリーダーになったこと等も知るようになりました。
沖縄キャラバンでは、沖縄から戦地に行かれた方からもお話を伺うことがあります。
内地にいらっしゃった方も、沖縄の外で戦闘に参加したり、戦争を支える仕事をしたりされていました。この辺りは、掘り下げると差別の問題が見えてきます。そこに触れそうなのが、私の提案の一番「無茶」なところかもしれません。
そんなこんなの積み重ねを経て、仲井間千代さんのお話を伺ったときには、「これは沖縄の女子学徒隊とセットで展示すべきだろう」と思ったのでした。

もう少しテーマを広げると、戦争で故郷が荒廃したことによる、戦後の移民もあります。
この辺になってくると、日比谷証言集会第2部から展開する新しい形の聞き取りにも踏み込むと思います。

例えば、沖縄出身の各戦場の体験者の方から見た日本兵というところから、通常の百人展とリンクすることはできないか、と考えます。
実際は、仙台や長野での百人展では、その地域出身の方の証言を集めたコーナーをつくっていたので、似たようなことはやっています。その土地から戦場に行かれた方の証言と、その土地に配属されて空襲に遭われた方の証言が並ぶということはありました。
それの応用ということでいいのか、とも思うのですが、パネルを増やすということだけではなくて、何か大変な気がします。

まあともかく。これは本当に今、「ああそうそう」というかんじで思いついたので、保存の会メンバーもここで初めて見る内容です。
実際に何か実になるのかどうかは、まったくわかりません。
ただ、一応、いずれ沖縄戦展と百人展のハイブリッドを何かやろうというのは、保存の会中心メンバーの中にはあるようです。
日比谷証言集会が終わって1ヶ月余り。保存の会は、ようやく普段の活動に戻ってきました。
当ブログは、登壇者特集で振り返っているところです。

そんなときに、(本当はもう1週間ほど前でしたが・・・)、日比谷証言集会実行委員長が、また無茶な希望をぽろりと述べたということで、メールが回ってきました。
内容はまだ言う段階ではないのですが、難易度は日比谷証言集会より高いと思います。
そして、正直なところ、反対はしないけど、自分もついていけるのかどうか正直自信ありません。今度は、2本の足があればなんとか頑張れるというもんではないもので。
また、実は、個人的な予想として、今度の提案については、日比谷証言集会の時のような満場一致とはいかないのではないかなと思っています。会議やイベントにいつも参加してくださる方、また総会に参加してくださる方の層と、この提案に直接関係する層が違っているからです。
実際のところどうなのかはわかりませんが。

ただ、これは、やるとしたら、基盤を新しく作るつもりで臨む必要があるのではないかと思います。
たぶん、これまで築いてきたものだけでは厳しいと。

そして、「史料館整備の3ヶ年」が今年度までで、来年度からどういうテーマを立てるのかということも含めて、位置づけを考えるものだろうと思うのです。
日比谷証言集会第2部から広がる活動や、当初からやろうと思っていたこととどう折り合いをつけるか等、関係してくるはずで。
はっきり言って、この提案をやらないとしても、けっこう無茶なことになる気がするのですが。
保存の会中心メンバーの怖いところは、やらなくてもどうせ大変ならやって限界に挑戦してしまいそうなところです。

どういう報告になるのか、それがいつ決まるのか、わかりませんが、ともかくまた何かしら報告すると思います。
いや、やらない場合はむしろやるときまで内容は秘密になるかも?たぶん、完全にあきらめるという選択肢は出てこない気がします。
「第4回 あの戦場体験を語り継ぐ集い」登壇者特集です。
第1部登壇順に、登壇者の方を紹介しつつ、日比谷証言集会を振り返ります。
登壇者4人目は、元駆逐艦「磯風」乗員、井上理二さんです。

井上理二さん

井上理二さん

スクリーンの画像です。
井上理二さん

1942(昭和17)年9月1日、海軍特別年少兵に志願(第1期) 大竹海兵団入団
1943(昭和18)年8月、横須賀海軍航海学校入校。卒業すると兵長です。
1944(昭和19)年1月、駆逐艦「磯風」乗艦 操舵に配置
同年6月19日、マリアナ沖海戦。魚雷で沈没した大鳳(空母)の乗組員の救助にあたります。
同年10月、レイテ沖海戦。栗田艦隊に参加。ここで「武蔵」の撃沈の現場に立ち会いました。40隻で出て行って8隻ぐらいしか残っていない状況に寂しい気持ちになったそうです。
同年11月、今度は「磯風」は、「金剛」「信濃」などの護衛、救助にあたります。
1945(昭和20)年2月、震洋、回天の訓練の補助。
同年4月、「大和」の護衛として沖縄特攻作戦に参加。4月7日、「大和」以下、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦4隻撃沈。「矢矧」の救助にあたっている最中、「磯風」も撃沈されます。たくさんの船の乗員の救助にあたってきましたが、このときは「雪風」に救助されました。
同年5月から、第1期特別幹部練習生の教員(大竹海兵団)につき、1期生を卒業させたところで終戦となります。

ミッドウェー海戦後間もないころ、15歳で海軍に志願してから、主な海戦を経験してこられました。それだけに、錚々たる戦艦や空母、駆逐艦の多くの撃沈にも立ち会われています。

日比谷証言集会に向けて、実は3回原稿を書かれていますが、どれも原稿用紙6枚の大作。絶対に時間が足りないので、沖縄特攻のことに絞ってお話いただきました。原稿集にも、時間一杯分までの原稿が掲載されています。
リハーサルを終えて昼食時間、遠くからご来場くださった方が井上さんに会いたいということだったので探したけれども、いらっしゃらない・・・と思ったら、緞帳の下りている壇上の席に悠然と座っていらっしゃいました。
証言はもちろん堂々としたものでしたが、4分経過を知らせる合図に、「戦争は絶対いけません」との一言で締められました。
後で、「本当はこれだけは言いたかったのに」と残念そうに、そばにいたボランティアに熱弁されていたそうです。
保存の会の総会・交歓会や忘年会にはよく顔を出されます。

井上さんの証言概要は「戦場体験史料館・電子版」に掲載されています。
また、(株)ユニモトの映画『はじめ嬉しく、あと悲し』に、主役の5人の少年少女の1人として登場されています。
併せてごらんください。
ご自身の著書もあります。
「第4回 あの戦場体験を語り継ぐ集い」登壇者特集です。
第1部登壇順に、登壇者の方を紹介しつつ、日比谷証言集会を振り返ります。
登壇者3人目は、ビルマ方面の戦闘に参加されていた中國義さんです。

中國義さん

中國義さん

スクリーンの画像です。
中國義さん

第55師団歩兵第143連隊所属。
1941(昭和16)年11月の夜、徳島を出発。行く先も告げられず、船の中で過ごし、仏印(今のベトナム)に到着。
同年12月8日、太平洋開戦時、タイへ上陸。平和進駐という名目での敵前上陸。
水中で撃たれて左腕を負傷。しかし、運んでいた車輪を置いて上がるわけにはいかず、車輪を抑えて首だけ出して死んだふりをしていると、1日たって迎えが来た。
1942年1月、ビルマに侵攻。日本軍は半年ほどでビルマ全土を制圧する。先頭になるとだいたい向こうが逃げてくれた。
1944(昭和19)年インパール作戦に伴い、143連隊はビルマ南西部で敵をひきつける陽動作戦につく。すぐに補給が途絶える。
1945(昭和20)年4月、インパール作戦が失敗し、敵がラングーンに迫る。決死の退却。ペグー山脈、シッタン河。どんどん戦友が力尽きていく。自決する者も。
シッタン河を渡って間もなく終戦。

四国、徳島県からのご参加です。
陸軍の方の太平洋開戦から、ビルマ戦線の全体を体験してこられました。
当日のお話はインパール作戦失敗以後を中心に。登壇表明からすぐに、3分以内で読み終える短い原稿をご用意されていましたが、他の方の原稿を見て「もう少し話していいかな」と、もう少し前の戦線からお話されました。
長距離移動は車いすですが、当日は演壇の前に立ってお話されています。
一緒に付き添って壇上に上がられたお孫さんはじめ、ご家族が大集結。
生き残ってこられてこその戦後の人生の象徴が、舞台裏や客席にもあったのです。

生き残る、という強い信念を物語るエピソードが、保存の会公式twitterで少し出てきます。