あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
番組のお知らせです。
映画『語らずに死ねるか!』、『大本営最後の指令』等の監督長尾栄治さんが手がけられた特集番組が放映されます。

BSフジ 開局15周年特別番組
「戦後70年と『失敗の本質』」

第1夜 8月1日(土) 19時~21時
第1夜 8月2日(日) 19時~21時

http://www.bsfuji.tv/top/pub/shippainohonshitu.html

第1夜のVTRディレクターを務められたそうです。

番組のページを見たところ、組織運営のバイブルともなっている本『失敗の本質』の映像化を試みた番組であるようです。
第1夜は、あの大戦の作戦を、当時の映像と体験者の証言で再現し、戦史専門家を交えて検証する内容ということで、戦時の特集です。
第2夜は、様々な分野のリーダーを招き、戦後の歩みとこれからを議論する内容です。

戦後70年目の8月のスタートをきる番組ともいえそうです。
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原爆の材料の要であるウラン235がテニアンに届いたのが、70年前の一昨日~昨日ぐらいということです。
それ以外の材料を運んだ重巡洋艦インディアナポリスが、70年前の昨夜から今日にかけての真夜中、日本の潜水艦伊58により撃沈されました。

特攻は沖縄戦で特に盛んに行われました。飛行機での体当たりの他、特攻艇や特攻用の潜水艦もありました。敵の弾幕をかいくぐるのは至難でしたが、特攻用の潜水艦回天を外洋で使う作戦は効果ありと判断されていたようです。
伊58潜水艦は、魚雷と併せて回天を搭載して、インディアナポリスがサンフランシスコを出たのと同じ7月16日、太平洋に向けて出航していました。インディアナポリスに遭遇する前に、タンカーの護衛をしていた駆逐艦に回天特攻で損傷を与えます。
そして、7月29日22:00を回って、インディアナポリスに遭遇、魚雷を発射。翌30日に入ったころ、インディアナポリスは沈没。(この辺りは、見る資料によって現地時間と日本時間が入り組んでいてつかみにくいです。)魚雷が命中しても沈まなければとどめをさそうと、回天搭乗員が出撃命令を求めていたという話もあります。

インディアナポリスは、太平洋戦争の主要な作戦にはほとんど参加しており、硫黄島や沖縄への砲撃も行っていました。
沖縄への砲撃中の3月31日、特攻機による攻撃でスクリューを損傷し、修理のためにアメリカ本国に戻っていました。そして、修理が終わったところで、原爆運搬の任務につくことになるのです。
任務を終えてレイテに向かう途中、伊58に遭遇して撃沈されたわけです。
このとき、敵に遭遇するとはまったく考えておらず、警戒は形式的なものになっていたといいます。(そのため、後に艦長が軍法会議にかけられ、有罪となります。)

沈没したインディアナポリスは31日にはレイテに着くはずとなっていたにもかかわらず、姿が見えないことに米軍は気づかず、8月2日になるまで、乗員は漂流することになったため、死者900名という、米軍艦船としては大戦中最大の犠牲を出すことになったのでした。

後から見れば、インディアナポリスは特攻作戦の中で撃沈を運命づけられた船のように見えます。
特攻作戦に出るより仕方ないほど追いつめられていた日本と、重巡洋艦1隻が見当たらなくても気づかないほどのアメリカという、対比がものすごい事件でもあります。

インディアナポリスの沈没から数日後、原爆投下は予定通り行われ、日本は降伏。終戦を迎えるわけですが、先勝に湧くアメリカに、最大の悲劇の知らせが届くことになるのです。

敗戦まで あと16日

2015年、日比谷証言集会まで あと52日
沖縄戦展の最中に上映開始されたジャン・ユンカーマン監督の映画『沖縄 うりずんの雨』、今月いっぱいの公開ということで、今日観に行ってきました。
沖縄戦とそこから続く米軍による「占領」と「凌辱」そして未来につづくきっかけを描いたドキュメンタリー映画です。
沖縄戦に従軍した元米兵や1995年の少女暴行事件の犯人へのインタビュー等、米国人だからこそ撮れるであろうシーンもありました。普天間基地のフェンスに基地はいらないという主張としてテープで×を書く人たちと、貼られたテープを「市内の美化」ということで剥がしていく人たちの両方が登場するのですが、これはなかなか本土にいると知らないことだと思いました。
復帰運動のときにしても、アメリカとヤマトの思惑の間で、沖縄の人たちどうしが真剣にそれぞれの立場を主張し、ときには衝突しているのは、本土の人間としては痛いところであり、沖縄の人たちの力強さでもあるような。

沖縄戦の様子に関しては、体験者の方々の証言と当時の記録映像から描かれており、「ドラマ」的な演出はないのですが、相当臨場感がありました。
元62師団兵士の近藤一さんと梯梧学徒隊の稲福マサさんが一緒にお話されているシーンがありました。確かにあってしかるべきことなのですが、なんだか不思議な感じがしたのは、お2人の証言を別々に伺っている保存の会にいるからこその感覚でしょうか。
違う立場で同じ戦場にいた方々が今一緒にいらっしゃることに、なんともいえない感慨が浮かんでくるのです。
そしてまた、実際に戦場を体験されたその場所での証言というのは、やはり特別なものがあります。

映画のチラシにも出ている「私たちは沖縄のことをどれくらいしっているのだろう?」という問いかけがそのまま静かに突きつけられるような気がしました。

ものすごく蛇足なのですが、映画の中であのシーサーの写真が大きく使われているところがあって、沖縄戦展のチラシと妙にシンクロしたのにおののきました。これも、あってしかるべきといえばそうなのですが。
お話を伺った方の登場に親近感をおぼえつつ、沖縄戦展をやったけれども、保存の会もまだまだ沖縄戦には迫り切れていないのを感じました。


福岡で行われている戦後70年追悼展示会「―九大生体解剖事件の真相―『今、振り返るいのち』に行きました。
休みと安い飛行機を取っての日帰り弾丸ツアーです。

事件の最後の証言者、東野利夫先生が、ご自身の開業されている産婦人科病院で開催。
普段は妊婦さんの憩いの場であるギャラリーに、生々しい資料が並んでいました。裁判の記録、関係者の証言、平光教授の獄中記、後に墜落したB29の機長と対面されたときの会話の様子等資料の束が並べられています。
今日は人が少なめだったようですが、この病院でお産をした方やそのご家族が見にこられているのが独特でした。

墜落したB29の搭乗員を、来るべき本土決戦の医療活動のための研究の検体に使ったこの事件は、取り出した肝臓を嗜食したというデマまで出る騒ぎとなりました。「生体解剖事件」という言葉も、センセーショナルなアピールを意図してつけられたものということです。
軍関係者が責任逃れを画策する中、中心的な立場だった教授が自殺、ほとんど全ての責任を、教室を解剖に使われてしまった教授が負うことになります。
展示は、積極的に責任を負ったこの平光教授の苦悩と信念を教え子である東野先生が受け取り、長年にわたり事件に向き合い続けられた記録でもあります。
淡々と詳細に伝えられる事実と同時に、本来医師は命を救うべきものであるという純粋な思いが流れているように感じました。
それだけに、それを狂わせてしまう戦争とはどういうものかという問いかけが、切々と迫ってきます。

言葉にすると軽くなる気がするので、ぜひ直接ご覧いただきたいと思います。
昨日お知らせしました、シベリア抑留体験者中島裕さんの特集は、明日に延期となりました。
昨日の調布市での飛行機墜落事故のため、とのことです。明日も、もしかしたらさらに延期ということもあるかもしれません。
しかし、シベリア支局が中島さんの抑留されていた場所の取材までしていたということですので、お蔵入りになることはないはずです。

今のところの新しい予定は以下のとおりです。

TBS ニュース23
7月28日(火)

調布の事故はもちろん大変です。十分に検証し、絶対に再発がないようにしてもらう必要があります。

ただ、中島さんの特集も数か月にわたって準備されていたものです。明日ご注目ください。