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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
戦争が国民一人一人の暮らしの中に浸透している有様を表現するといえば、信州戦争資料センターの企画展「信州と戦争の時代展」です。
7月3日(金)~5日(日)、長野市のかんてんぱぱ門前ギャラリーにて開催です。
その図録代わりにつくられたのが、「S12-S20 信州と戦争の時代」という本です。
すでに受注は開始されているようですが、本日現品が届くそうで、明日から発送開始ということです。

「S12-S20 信州と戦争の時代」
A4版 40ページ
定価 1000円(送料別)

昭和12年から20年の主に長野県民の生活に関連する「モノ」と、長野県民の戦場体験の2本立てです。
モノの部分は写真を多用し、まさに図録というかんじの構成のようです。
長野県民の戦場体験の方は、戦場体験放映保存の会が昨年11月に開催した「百人展in長野」で使用した証言パネルが掲載されています。

信州戦争資料センターのホームページには、本の中身がわかる写真があります。注文の仕方もそちらでご覧ください。

兵士を戦争に送り出す側、労働力の面でも物資の面でも戦争を支えた市民の姿が視覚的に感じられると思います。
長野のことですが、全国的にそういう状況が展開していたということを念頭に手に取ってみられてはいかがでしょう。

信州戦争資料センターホームページ
http://sensou184.naganoblog.jp/
沖縄戦展が終わって、いよいよ日比谷証言集会に向けての準備が本格化します。

沖縄戦展は、おそらく1年ぐらいは前から、やろうという考えがあったと思います。
一昨年百人展を東京と大阪でやったときから、種はまかれていた気がします。
そして、昨年、長野での百人展が終わった直後、実行委員長となった板橋さんの「日比谷集会、一度見てみたい」という一言から、日比谷証言集会をやることが決定したのでした。
それまでは、戦後70年は「百人展キャラバン」みたいなことになるのかな、とみんな思っていたのですが。様相が変わりました。

ものすごく不謹慎だけれどもそのまんまだと思う表現をするなら、日比谷証言集会というのは、ある意味、体験者の方々の見本市のようなイベントだと思います。
あの大戦の様々な戦場から生還した方々が、4分間でその片鱗を語られるのですから。
それは、戦場体験を伝え残す活動の集大成というよりは、重厚な門構えの「入口」というべきなのかもしれません。
戦争の全体像につながる、第一歩の部分です。

沖縄戦展では、自分の暮らしているところが戦場になるというのはどういうことなのかというのが生々しく感じられたのではないでしょうか。
その一方で、そこにやってきた兵士には共感できない場合もあったのではないだろうか、と思いました。戦争とセットで「やってきた」人たちだから。
しかし、言うまでもなく、戦争の時代には、戦場に送られる立場になることもあれば、戦場に送り出す立場になることもあります。
戦場となった沖縄に思いを巡らせることは、必要なことです。先の大戦の中で、そしてそれから続く米国施政から今に至るまで、沖縄は確かに特別なのです。
けれども、「あれは沖縄だったから」と言ったとしたら、その特別扱いは、もう一度考え直してみたほうがいいのではないかと思います。

戦場になった場所も、戦場に赴いた兵士も、送り出した民間人も、千人いれば千の体験がありますが、それぞれがその時代に生きていれば自分が体験したかもしれないことです。
今回は、元兵士の方々の他、戦場となった地域の民間人の方、空襲体験者の方々にもご登壇いただく予定です。
絶対にすべてを語りつくせるわけがない4分間の集積に出会い、何かを得ていただきたいと思っています。
沖縄戦で亡くなった方々を悼むとともに、今なお傷を抱えて生きておられる方々をお見舞い申し上げます。

70年前の今日、沖縄では組織的戦闘が終結しました。
しかし、その後も至るところで兵士は戦い続け、人々は逃げまどい続け、命を落としていったのでした。

そして、この日、義勇兵役法が公布されました。
1945年3月23日、「国民義勇隊組織ニ関スル件」が閣議決定されてから、日本中の各地や職場で国民義勇隊が結成されていました。
もともとは戦争を遂行するための労働力確保を目的としていましたが、情勢が緊迫化した際には戦闘も担うことになっていました。
6月、大政翼賛会・大日本翼賛壮年団・大日本婦人会も国民義勇隊に組み込まれました。
義勇兵役法に基づき、国民義勇戦闘隊が組織されました。武器は数世紀前の鉄砲や竹槍、陶器製の手榴弾だったといいます。それでも、戦時国際法上の戦闘員資格を有する形をとっていたということです。
沖縄で組織的戦闘が終結した日、ヤマトでは組織的戦闘をするための法整備が出来上がったのです。
このとき日本の指導者たちが沖縄戦から学んだことは、残念ながら日本全土を戦場にするための方法論だったということでしょう。
日本では、沖縄が陥落し、いよいよ本土に敵が上がってくるという、そのことに意識が集中していたでしょう。

静かに悼むことさえも、平静な時代でなければできません。
戦闘状態が終わった後でも、悲しんでいる余裕はなく、傷を癒すことも忘れる日々が長らく続いたはずです。
そして、沖縄の場合は、そのまま27年間、それまで敵だった国の施政権下に置かれ続けました。
本当に長らく、沖縄の人々に、平静な日々は訪れなかったのです。

敗戦まで あと53日
沖縄の戦いが終わるまで あとどれだけだったのか、本当に終わったのか、答えはまだ出ていないようです。
そして、それは、日本にとってあの大戦が本当に終わったのかという問いでもあるのかもしれません。
今日は沖縄慰霊の日です。70年前の今日(昨日という説もありますが)、第32軍の牛島満司令官と長勇参謀長が自決し、沖縄戦は組織的戦闘が終結しました。

沖縄では、全戦没者追悼式典が開かれます。
今日まで沖縄戦展ができていたら会場全体で行うところでしたが、正午にはできるだけ、ヤマトのほうでも黙祷をしたいと思います。

いろいろな議論はひとまず置いて、沖縄戦で20万人に上る人々が亡くなったことを忘れず、悼むことは、人として大切なことでしょう。
沖縄戦のことはよく知らない方も、まずは今日、この時間は、沖縄を意識していただければと思います。
昨日沖縄戦展が終了しましたが、明日は沖縄慰霊の日。牛島満司令官と長勇参謀長が自決した日にちなんでいますが、自決したのは今日だという説もあります。
沖縄は今まさに慰霊の期間です。

祈りをささげつつも、保存の会は次の日比谷証言集会に向けて動かねばなりません。
ここで一度、今度の週末に開く第4回実行委員会のお知らせをしておきます。

日比谷証言集会第4回実行委員会

【日時】6月28日(日)13:30~ 2時間程度
【場所】戦場体験史料館(戦場体験放映保存の会事務所)

沖縄戦展の振り返りと、その経験を日比谷証言集会にどう生かすかというところから入ります。
体験者の方の募集が佳境に入っています。現在名乗りを上げてくださっている方を確認します。
沖縄戦展でも会場で500人委員に参加してくださった方がいらっしゃいました。現在の500人委員の登録状況を確認します。
第2部シンポジウムの3人目のパネリストについても、何かしらの状況説明をします。

沖縄戦展では1000人以上の方にお越しいただきましたが、日比谷公会堂の定員は2000人。今回4日の来場者の2倍を1日で集める大イベントです。
これを成功させるため、引き続きご協力をお願いいたします。
実行委員会はどなたでもご参加いただけます。今回は、沖縄戦展の舞台裏等厳しい意見も飛び交っているかもしれませんが、気になった方、一度覗いていただければと思います。