あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
イタリアでムッソリーニが処刑された2日後の1945年4月30日、ドイツ総統ヒトラーが地下壕で自殺しました。
独裁者の代名詞のようになったヒトラーは、ナチスとホロコーストとともにあまりにも有名です。
その中身を詳細に知っているかというと、そうでもないというのは私だけではないと思いますが。その辺りは調べ始めるときりがないので、またの機会に。
彼の死は、ドイツにおける独裁の終了であり、その後ほどなくドイツは降伏します。
5月8日にフランスのランスで降伏文書に調印し、また5月9日に首都ベルリンで批准手続きとなる降伏文書調印、これによりドイツは正式に敗戦となるわけですが、このときから3か月後に、ソ連が対日参戦し満州に侵攻することになるのは、「ヤルタ会談」のところで書いたとおりです。

ヒトラーとナチスについては、戦後ドイツでは絶対的悪として位置づけられ、ホロコーストに関わった人物を逮捕することが徹底されてきました。
それはドイツがヨーロッパの中で信用を得ていくもとになるのですが、戦争を担った人物は処罰されることから、元兵士が戦場体験を語る機会をほぼ失う原因ともなったといわれています。
ただ、実際のところどうなのかというのを、本当に調べたわけではありませんので、実感としてはわかりません。
日本とはだいぶ異なった状況だったのは確かで、それがどう違っているのかをじっくり確認することには意味があるでしょう。
それは、大戦がどのように記録され継承されてきたかを知ることでもあります。

さて、日本の場合は、ただ1人の独裁者の存在から戦争に向かうことになったイタリアやドイツとは、もちろん戦前~戦時の状況も違っています。
どのような思惑がぶつかり合いながら大戦が形作られているのか、ということについても、調べればきりがないでしょう。
ただ、そうしたぶつかり合いも、展開されているずっと下のほうや最前線にいた人たちの側から捉えていく視点が必要だろうと、私は思っています。
ドイツやイタリアをはじめ、戦時下のそれぞれの国で、無名の人々は実際のところどう感じ、どう過ごしていたのか、記録を持ち寄る機会がいつかあるでしょうか。

敗戦まで あと107日

2015年、日比谷証言集会まで あと143日
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兵庫~徳島のキャラバンの、本日4月30日(木)の日程です。

訪問地:徳島県阿波市
体験者の方
◎731部隊

2011年の四国キャラバンでもお世話になった方の紹介です。
よろしくお願いいたします。

旅の様子が保存の会公式twitterに出ていますので、併せてご覧ください。
パソコンからご覧の方、当ブログ右サイドからリンクしています。
キャラバン等に伴い、ゴールデンウイークちゅう、戦場体験史料館が臨時に休館する日があります。

臨時休館日
4月30日(木)
5月3日(日)

これ以外の日は、通常通り火・木・土・日・祝開館です。

5月3日は横浜みなとみらい界隈で、沖縄戦展・日比谷証言集会のチラシを配布します。保存の会メンバーで動ける人は全員そちらにいます。
兵庫~徳島のキャラバンの、本日4月29日(水・祝)の日程です。

訪問地:兵庫県淡路市
体験者の方
◎ビルマ、軍医

ゴールデンウイークのキャラバンの始まりは、淡路島での聞き取りです。
よろしくお願いいたします。
1945年4月、日本で沖縄戦が激戦に入っていたころ、ヨーロッパ戦線は最後の局面を迎えていました。
4月28日、日独伊三国同盟の一角をなすイタリアでは、ムッソリーニがパルチザンにより処刑されました。4月25日にパルチザンに捕えられると、略式裁判により即刻死刑判決、28日には銃殺され、翌29日にミラノの広場に逆さづりにされます。(生存説が出ないように、という意図だったといわれているようです。)
「ファシズム」という言葉のもとになったファシスト党を率いた独裁者の最後は、あっけなく、また悲惨なものとなったのでした。
イタリアの独裁制と戦争の終わりを意味するものではありましたが、独裁者を倒した側も、戦争の残虐を反映していたように感じられます。

私の世界史の知識は日本史に輪をかけて少ないので、ネットでムッソリーニについて調べてみたのですが、もともとは庶民出身を誇りにする有能な政治家だったようです。
社会主義とは何ぞやということを極限まで追い求めた人生だったようにも見えます。
クーデターにより一度ファシスト党から追放された後、ドイツの支援でイタリア社会共和国(RSI)及び共和ファシスト党(PFR)の指導者となりますが、これらの党を前身とする党が、現在も国政で議席を獲得しているそうです。

戦争というのは、上層部の主導で始められ、名もなき兵士たちが最前線で地獄の日々を強いられるものですが、指導者もどこかの分岐で道を間違えたという場合もあるのだろうか、と思いました。もしかしたら、戦争に向かう過程で、国民の側からの作用も、思ったより大きいのかもしれません。
日独伊それぞれの戦争に至る道から戦後までは、だいぶ違った様相を呈しているようで、戦争がどのようにしてつくられていくのか、誰がどう関わったのか、お互いに学ぶことの重要性は、その辺にあるような気がします。
そのときには、指導者のことを調べるのも意味がありますが、戦争前後の時代を一人一人がどう生きていいたのかという体験を拾い集めていくことで見えてくるのではないかと思います。
最初のキャラバンの報告&シンポジウムで、国際的なアーカイブスを作れたら、という話が出たこともありました。『戦場体験キャラバン』の本で、あの大戦の経験と今とのつながりについて考えたこともありました。
それぞれの国で、一人一人の戦争の体験を拾い集めて膨大に集積するということは、何か大きな叡智を作り上げる過程の始まりであり、しかし日常的な営みでもあるのではないか・・・と、変な方向にまとまってしまいました。

本当は、三国同盟の盟友である国が敗北していき、日本が世界全体の中で孤軍奮闘になっていく状況について話をするはずだったのですが。
どこかで道を間違えたようです。

敗戦まで あと109日

2015年、日比谷証言集会まで あと145日