あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
今日は、2015年総会前の拡大事務局会議でした。
キャラバンに行くメンバーに加えてややお久しぶりのメンバーや体験者の方を交えて15人が集まり、4月からの新年度のことを話し合いました。

といっても、議題は主に日比谷証言集会と沖縄戦展です。
特に、沖縄戦展の話は、直接関係のある体験者の方がいらっしゃらないにもかかわらず、予想外の盛り上がりに。
チラシや会場で、一般の人の関心をいかに集めるかということでは、それぞれの人生経験に基づく提案がたくさん出てきて、だいぶイメージができました。具体的にやることも挙がって、日比谷に向けての流れをつくるという勢いも出ています。

日比谷証言集会については、コンセプトの面でそれぞれの日頃の思い等も出て紛糾、とはいわないまでも、すぐには結論の出ない議論となりました。
ただ、伝えたい「体験」を伝えるということでは一致。
今後月1ぐらいで煮詰めていくことになります。

次回は、総会後、会員の皆さんにも正式に発表、決議を経ての本格的な話し合いということになります。
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沖縄キャラバン2015、2日目2月8日(日)の様子です。
海が荒れるということで座間味行きが延期となったため、座間味に行くはずだった2名は、最終日に行うはずだった戦跡写真撮影等を今日に回すことにしました。
那覇の港「とまりん」から、Nさんがまずは中山きくさんに連絡をとろうとするも、まったくつながらず。表敬訪問するとしたら今日しかないのだけれど、と思いながら、そのあと何度も電話をするも、やはりつながらず。
それでは、と、前回までの沖縄キャラバンでお世話になっていた大嶺初子先生に電話したところ、イベントがあって首里にいらっしゃるとのこと。撮影スポットが首里城周辺にいくつかあるし、ゆいレールで行けるので、近くに行ってみようかという話しになりました。
そして、最終日にお世話になることになっていた大城晃さん(三中通信隊)が、今日でも来てくださるだろうか、ということで連絡を試みつつ、一番近くの撮影スポット、シュガーローフへ行ってみました。


シュガーローフ

これは、シュガーローフの丘の上にある碑です。
ここが、米軍を恐怖に陥れたという激戦地だということを物語っています。
向こう側に見えるのがDFS、大規模なショッピングセンターですが、実はそこも沖縄戦ではチャーリーヒルと呼ばれていた激戦地だったということです。開発時には相当遺骨が出ていたようです。
それを目印に、この後、借りる予定の写真パネルと同じ構図での写真撮影を試みました。こだわってやってみると、なんだか気分が盛り上がってきました。

と、そこで大城さんに連絡がつきました。
実はメンバーの一人の宿泊先(那覇市内)に資料を届けて帰り着かれたところだったようですが、状況を話すととても快く来てくださることになり。
近くの別のショッピングセンターで合流して、本格的な戦跡めぐりが始まりました。
最初は首里を経由していただき、そこでNさんは車を降りて、首里周辺のスポットを巡ることになりました。その後の奇跡的な展開は、メーリングリストに出ていた報告の通りです。

今日は中部を回ることにして、まずは嘉数高台を目指しました。
合流してすぐ、コーヒーを飲みながら、米軍の戦車が通った道を説明していただいていましたが、そこを通りながら「この道がそう」と教えていただきました。
そこまで向かう途中も、首里から嘉数高台へ、米軍の侵攻を逆にたどるように進み、途中の山が戦場になっていたということを説明してくださっていました。(運転しながらスピードを落として指さされるのは、違う意味でドキドキしましたが)、前日路線バスで通ったコースも含めて、リアルに「ここが戦場だった場所」というのを実感しました。


嘉数高台

嘉数高台の写真は、「安保の見える丘」と称される展望台です。
ここに上ると、広大に広がる普天間基地が見えました。
この日は静かだったのですが、プロ野球のキャンプ中は離着陸の爆音が控えめだというのは本当なのでしょうか。

嘉数高台からほど近い、宜野湾市我如古には、井戸の底がつながった形の自然壕があり、住民が長期にわたって身を隠していました。
大城さんも昔行ったことがあるとのことで、そこを目指してみたのですが、近くまではきているはずなのにまったくわかりません。
そこで車を乗り降りしながら1時間以上さまよって、ついに近所の人に聞いてみることにしました。
年配の人をみつけて大城さんが呼びとめられたところ、その方はなんと三中出身とのこと。大城さんの後輩にあたる方だったのでした。だいぶ年下で、戦闘は経験されていません。
ということは、北部の出身の方で、戦時からこの場所にいたわけではないのでわからないとのことでした。
それで、車を降りて別の方を呼びとめると、その方も他の場所から来られた居留民の方。(この辺りは多いのだそうです)
「自治会長さんに聞くのがいい」とおっしゃるので、4人連れだって自治会長さんのお宅を訪ねました。
大城さんと後で声をかけた方が話をしに行かれ、しばらく待っていると、自治会長さん登場。
なんと、このお宅にもその壕につながる井戸があるとのこと。裏手に案内されて、井戸を見せていただきました。

そして、自治会長さんの案内で隣近所の、借りる予定の写真に出ている井戸のあるお宅へ。
本当にすぐ近くでした。
井戸は削って蓋をし、駐車場にしてあるとのことで、おうちも建て直されていたため、大城さんにもわからなかったのです。
おうちの方が出てきて、蓋をあけてくださると、まさに井戸がありました。


我如古の井戸

子どもさんが自由研究で入ってまとめたという写真集等見せていただきました。力作だったのですが、子どもさんの顔が写っているのを展示するわけには個人情報保護上いかないので、写真の写真は撮っていません。
大城さんは、いつも持ち歩いている8ミリビデオカメラを車に置いてきたとお嘆きでした。
いつか正式にお願いして中に降りてみたいものです。そのときには、ぜひカメラ持参の大城さんとご一緒に。
ご協力くださった方々に名刺を渡し、6月に浅草で展示をすることをお話しつつ、井戸を後にしました。
三中出身の方、「行こうかな」とおっしゃっていましたが、6月覚えていてくださるでしょうか。

この後、読谷村の米軍上陸地点を目指しましたが、工事中等で道がよくわからず、着くころには日没を迎えていました。
「上陸地点といっても広いからねえ」と言いながら、渡具知の浜へ連れて行ってくださったのですが、上陸地点を示す目印のようなものは発見できませんでした。
この場所は別のメンバーに頼むかな、と思いながら、那覇へ戻っていきました。

大城さん、我如古の皆さん、ありがとうございました。
最終日だったらたどり着けなかったのではないかと思うので、この日はやはり導かれた日であったのでしょう。

沖縄キャラバン2015、初日2月7日(土)の様子です。
2班=ブログ係の午後の様子になります。

午前中、名護市で1班と一緒の聞き取りの後、同じ名護市の市役所近くまで移動。1班と別れて(1班は平和祈念資料館へ)市役所隣の体育館のミーティングルームで、もうお一人の聞き取りをしました。

名護市の中でも東側の山地にある天仁屋という地区の出身。
最初那覇市の開南中学校に通っていたけれども途中で県立第三中学校へ転校、そこで三中鉄血勤皇隊となった方でした。
転校は、おじいさんおばあさんが名護市の中心部に住むことになったので、下宿するよりその家から学校へ行ったらどうかと言われたのがきっかけということでした。
鉄血勤皇隊に入ってからも、戦闘の少ない方の山に配属になり、間もなく帰されたので、戦闘の経験はないそうです。
銃の分解組み立てを叩き込まれたのが印象に残っているとのこと。

沖縄戦末期の南部戦線を考えると、転校は幸いだったといえるかもしれませんが、この転校のきっかけについては、翌日意外なところで浮上し、びっくりすることになるのでした。

戦後北部合同でできた宜野座高校の一期生となられたそうです。

さて、今日の写真ですが、名護高校敷地内にある、三中と第三高女の合同慰霊碑「南燈慰霊之塔」・・・だと思われます。
なにしろ土曜の夕方の高校の敷地内には入れない(先生に交渉もできない)ので、外からみてこれがその後ろ側だろうなあと思っただけです。敷地はだいぶ高さがあるので、後ろからも全貌はみえません。

三中鉄血勤皇隊の碑は、八重岳にもあるそうですが、そちらでの合同慰霊は来年が最後の予定だそうです。
沖縄キャラバン2015、3日目2月9日(月)の様子です。
翌2月10日(火)に投稿されたメーリングリストより転載します。

◆◆◆

今回の沖縄キャラバンは、地元の方のアドバイスで、名護市の各公民館に随分お世話になっています。
沖縄の公民館は箱モノがあるというのとは違う独自の文化で(多分)字(あざ)ごとにあるらしく、区長さんを中心に館の人たちが担当地域の方々の状況を実によく把握しています。

語り部でもない方には内地からの聞いた事のない団体の依頼は公民館を通してお願いし公民館での収録にした方が安心して頂けるうえ、「あ~あその人はもう話すのは難しいけれど、お年寄りに声をかければいいんでしょ」ととても親切。

昨日(2月9日)はNさん、Sさんは喜瀬(きせ)公民館で収録。
最初の電話で「4人ぐらいなら集めるよ」と言ってくれた区長さん。
直前打ち合わせで「6人ぐらいかな」
行ってみたら8人がお集まり。
1人ずつ撮りたいとお願いしていたのも何のその・・・
1人では無理だけど「ゆんたく」なら話せるだろうという判断なのでしょう。
「ゆんたく」はよく使われる沖縄の言葉で「集まってのおしゃべり」という感じでしょうか。「ゆんたく仲間」などと使います。

とりあえず沖縄にいた6人と、県外にいた2人のグループに分かれて貰って午前中の収録。
6人グループのうち4人は地域の戦場体験でしたが、残りの2名は防衛隊と、テニアンから疎開して沖縄に戻ってきていた
お話だったので午後再度来ていただいて今度はお一人ずつ。
テニアンの方の方が午後からもうお一人声をかけて下さって、最終的に9名の収録となりました。

一方Iさんは許田(きょだ)公民館、喜瀬と許田は1~2バス停の距離ですから公民館のきめ細かさが分かります。
こちらは午前中は102歳の男性(だったはず)、午後は喜瀬の応援をして夕方5時半からデーサービスから帰って来られた90歳女性。
当時すでに結婚をしておられました。
デーサービスのあとで良いんですか?!とは思いましたがそう言って下さるなら・・・。
一般的に沖縄の方々は高齢者も含めかなり宵っ張りの印象があり、ファーストフード店がかなり遅い時間でも高齢者で賑わっています。

一方私(T)は中南部、午前中はいつもお世話になっている与那原町町史編纂室を尋ね最近復元された与那原駅を案内して頂きました。
与那原駅は戦争で消失したケービン鉄道(沖縄県営鉄道)の終点駅で、当時としてはコンクリート作りの大変モダンな駅舎でした。
ここも例の展示会用の写真撮影スポットで、艦砲射撃でボロボロになった当時の写真が残されています。
復元もされ撮影はバッチリのはずと思っていましたが、実際に同じアングルで撮ろうとすると視界を遮る巨大な木造船。
やんばる船といって明治期から沖縄北部に物資を運んだ交易船。
町おこしになりそうなものを集めて並べて置いてしまったんですね・・・。
戦時の写真と今の写真を並べてより具体的にイメージを持ってもらおうというこの企画、説得力のある場所もある一方、民家のトビラしか映らないとかそういう目にもあっています。

午後はこちらも前回に続いて南城市の市史編纂課のご紹介で大城清子さん(85歳)の収録。当時16歳以上の未婚女性は
疎開を禁じられ移動時のチェックもありましたが、お婆さんの付き添いとして北部山中に疎開する事ができ、地域の同級生6名の中ただ一人無傷だったといいます。
とはいっても親戚の子供たち7人の食料確保を1人で担い、敗残兵に遭うと「今から切り込みに行くんだから」とその食料を要求され・・・。
当時は本当に頑張って貰いたくて渡したとおっしゃっていました。

数えの85歳のお祝いのときに彼女の戦前から日本復帰までの半生を、彼女の原案で字百名(あざひゃくな)の老若男女百名もの人が劇にして公民館で上演したそうで、お世話になっている市史編纂課の幸喜さんみたいな核になる方がおられてのことですが、長寿を字をあげて祝う文化がある沖縄ならではのパワー。
小さな子どもたちまでこういう形で地域の歴史を学ぶことも何よりだと思いました(まさしくロールプレイング)。

その後この劇は国立劇場おきなわでも上演され、県内各地での公演要請もあり、字が劇団と化しています?
お芝居はDVD化もされていてお土産に頂きました。
島言葉がある程度分かりそうなら、展示会で流しているのも良いかなと思ったりしています。

さて、本日(2月10日)の渡嘉敷へのフェリーは予定通り出航するみたいです。
戦場体験放映保存の会2015年総会を前に、拡大事務局会議を行います。
基本的に、事務局メンバー、体験者の方、ボランティアメンバーによる打ち合わせの集まりです。
特に入場制限はありませんが、保存の会の活動を理解していることが前提で話が展開します。
逆に、戦場体験史料館を利用したい方は、別の日にいらっしゃることをお勧めします。

以下、メーリングリストから転載します。

◆◆◆

皆様へ

下記のとおり拡大事務局会議を行います。

【日時】2月28日(土)13:30より 2時間程度
【場所】戦場体験放映保存の会事務所(戦場体験史料館)
【議題】2015年度活動方針

3月の総会に向けて、新年度の活動方針を実質練り上げていく会議です。
新年度は6年ぶりの日比谷公会堂での集会を開催する事が忘年会でのご相談などを経て確定といってよい状況になっていますが、その中で実際に何を訴え、何を考えていくのか幅広く議論したいと思います。
そのほか事務局からは、6月に沖縄戦の証言を中心に紹介する展示会の開催などを提案します。
戦後70年の盛り上がりのようなものはあるのでしょうが、その中でいかに保存会らしい企画をしていくのか、またそれをいかにブームに終わらせず71年目以降につなげていくのか、しっかり話しておきたいと思います。

総会は実質あまり討議の時間はありませんから、是非こちらにもおいで頂いていろいろご意見を頂ければと思います。
ふるってご参加ください。