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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
百人展in長野で、貴重な戦時資料を貸していただいた信州戦争資料センターが、7月に地元長野で展示イベントを開催されるとのことです。
「人が語る、モノが語るー戦争の時代展」というのが今のところのイベント名。
昭和12年~20年の国民の暮らしとその周辺に関するものを展示する方向で、あえて戦場でない部分にこだわっての出品となるようです。
その分、保存の会から長野にまつわる戦場体験のパネルを貸出し、戦争の全体像が見える形になります。

主催者ブログが始動していますので、正確な情報はそちらをご覧ください。

信州戦争資料センター
http://sensou184.naganoblog.jp/

実は、「戦争の時代展」について書きはじめられて1時間もしないタイミングで、この信州戦争資料センターのページを覗きに行っていたのですが。(目撃して早々に、保存の会に「7月にやることに決まったようですよ」というメールをこっそり送っていました。)
信州戦争資料センターから、昨日保存の会事務局のほうにご案内と宣伝OKメールが届いたということなので、安心して宣伝します。
保存の会も一枚かむことになりましたし、今後もちょくちょく様子をみてお知らせしていきたいと思います。
今日は午後から戦場体験史料館で、ちょっとした話し合いをしました。
沖縄キャラバンの話を最初に少し、それから、日比谷証言集会に向けての話となりました。

沖縄キャラバンの方は、まだ日程表が作れる段階ではありませんでした。
というのは、今回公民館にご協力いただいているのですが、それら公民館はカレンダーどおりの休日のため、なかなか連絡をするタイミングが合わないためです。
あと、何人か呼びましょうと言われていて正確な人数がわからないというところもありますが、その点は本当に行ってみてのお楽しみということもあり得ます。
だいたい今週いっぱいをめどに、だいたいの日程がまとまってくる見込みです。

日比谷証言集会の方は、今回のテーマを一言で表すとどういうものなのかという本質的なところから話がスタート。
6年前までと比べると、それだけみんな歳をとっているという当たり前のことが、だいぶ影響する状況になっています。
一方で、今回は若者層に足を運んでもらうことを、これまで以上に意識することになりそうで、そのあたりをまとめる表現をどうするのがいいかというところで、問題提起というのか、意見のぶつけ合いをしました。(少人数会議だと、まったく歯に衣着せないので、妙な勢いがつきますが、その場では決着しないことがしばしばです。)
沖縄キャラバンをはさんでいくつか宿題を抱えることになりました。

3月の総会までには、日比谷証言集会への取り組み方を具体化させておくことになります。
今年度前半は、ほんとうに日比谷へ向けてのカウントダウンを意識した活動になるのではないかと思います。

日比谷証言集会まで あと238日
本日、12月13日(土)に引き続き、山形での2度目の聞き取りです。

山形県東根市
体験者の方
◎占守島の少年戦車兵

何やらお土産も準備したようです。
雪が深そう、という情報もいただいていますが、頑張ってきてほしいと思います。
ここのところ、戦後70年特集で沖縄の話がずいぶんとよく出てくると感じられている方もいらっしゃるかと思います。
来月沖縄キャラバンを行うから、というのも理由の一つです。
が、もう1つ。

今年は沖縄戦展を開催します。

6月23日(火)、70年目の沖縄慰霊の日に合わせての開催です。
土日を挟んだ期間となります。6月20日(土)または19日(金)から23日(火)までの日程です。

実は、日比谷証言集会よりも前に開催を考えていました。
ところが、予定していた会場が抽選漏れに遭いまして、会場が決まっていないため、言い出すタイミングをはずしてしまったのでした。
しかし、すでにお一人、沖縄から体験者の方をお呼びする予約をとっていますので、開催しないということはありません。
(この時期、当然沖縄でも様々な平和学習やイベントがあるので、お話しいただくお願いは一番にやりました。それはもう、会場申し込みより前に。)

昨年12月23日の忘年会では、メインの時間は日比谷証言集会の件で時間切れとなったので、沖縄戦展の話は残った若手の間で行いました。
ゆえに、保存の会メンバーの中でも、あまり共有されていない状況ですが。
12月23日というと、慰霊の日からちょうど半年前だったわけです。
それから、1ヶ月がたちました。今日は1月23日です。

米軍の沖縄上陸へのカウントダウン、機動部隊による直前の砲爆撃が始まったのは1945年3月23日。
第32軍の牛島満司令官と長勇参謀長の自決をもって沖縄戦の組織的戦闘が終わったとされるのが、慰霊の日6月23日です。(※最近は、2人の自決は22日が正しいといわれてきています。)

もう、今日言うしかないだろう、ということで、当ブログとしては初の発表といたしました。
今後、会場や正式タイトル等々、決まりましたら随時お知らせします。
1945年1月22日、南西諸島方面に米軍機動部隊が来襲。
奄美・宮古・八重山・沖縄本島が艦載機のべ900機による本格的な空襲を受けました。
前年10月10日の大空襲で、沖縄の一般市民は初めて戦争の恐怖を感じたという証言がありますが、今度の空襲は、米軍がやがて沖縄にやってくることを感じさせるものだったと思います。
2日前に、「沖縄県防衛強化実施要綱」が閣議決定されたばかりでした。

この日、大本営から沖縄守備軍(第32軍)に向けて、84師団の派遣が報じられました。
前年11月に第9師団を台湾に転出させた穴埋め、というわけです。
ところが、この報は翌日には取り消されます。
1月22日の夜には、陸軍参謀本部第一作戦部長の宮崎周一中将は、84師団の派遣中止を決意していました。本土防衛の部隊を海没の危険にさらすわけにはいかない、という判断だったといいます。
これにより、第32軍の大本営に対する不信感は決定的なものとなり、沖縄戦中も影響を及ぼすことになるのでした。

沖縄にとって、この日は混乱の日だったといえるかもしれません。
そして、これからほぼ2か月後の3月23日、米軍機動部隊が、いよいよ沖縄を攻略するためにやってくるのです。


敗戦まで あと205日
2015年、日比谷証言集会まで あと241日