今日は、『戦場体験キャラバン』座談会5人衆が集まって、百人展のことを中心に、来年の予定を考えました。
百人展in長野から1週間もたっていないのですが、その反省会という空気ではなく、そろったら早速「来年は・・・」という話が始まりました。
話し合いの前にすでに確定事項状態となっていたのは、来年は東京で2回イベントを行うということ。
そのうち1回は6月下旬。テーマを絞っての展示イベントです。
もう1回をどうするか、首都圏以外での百人展開催はどうするか、という話になると、開催時期をめぐって長考が続きました。
当初、9月の連休が候補でしたが、8月に何もしないというのはどうなのか?ということもあり。
そして、結果、開催する側としては非常に恐ろしい計画となったのでした。
いや、来年は限界に挑戦するということは、今年の百人展準備中からなんとなく話をしていて覚悟はしていたのですが、それが想定外の方向で固まってきてしまったのです。
明日になったらやっぱりやめようということになることはないですが、いろいろと確認しなければならないことがあるので、発表は後日ということにさせていただきます。
まあしかし、それなりの規模のイベントなりが、言いだしっぺが1~2人、それに乗っかるのが3~4人いると「やろう」ということになってしまうのは、実は本当にすごい(というよりひどい?)ことなんだろうなあと思います。
5人いて、誰も「いや、大変だよね」とは言っても「やらない」とは言い出さないのもどうなのでしょう?
そういうわけで、年内には、来年のアウトラインを発表することになるのではないかという状況です。
一応、信州戦争資料センターと一緒に長野でちょっとしたイベントを行うというのと、首都圏以外で1回百人展を開催するというのも、ほぼ決定です。
はっきりしているのは、戦後70年に向けて、というのは、「戦後70年以降にいかに戦場体験を伝え残すか」ということである、ということです。戦後70年で一区切り、では絶対にありません。
百人展in長野から1週間もたっていないのですが、その反省会という空気ではなく、そろったら早速「来年は・・・」という話が始まりました。
話し合いの前にすでに確定事項状態となっていたのは、来年は東京で2回イベントを行うということ。
そのうち1回は6月下旬。テーマを絞っての展示イベントです。
もう1回をどうするか、首都圏以外での百人展開催はどうするか、という話になると、開催時期をめぐって長考が続きました。
当初、9月の連休が候補でしたが、8月に何もしないというのはどうなのか?ということもあり。
そして、結果、開催する側としては非常に恐ろしい計画となったのでした。
いや、来年は限界に挑戦するということは、今年の百人展準備中からなんとなく話をしていて覚悟はしていたのですが、それが想定外の方向で固まってきてしまったのです。
明日になったらやっぱりやめようということになることはないですが、いろいろと確認しなければならないことがあるので、発表は後日ということにさせていただきます。
まあしかし、それなりの規模のイベントなりが、言いだしっぺが1~2人、それに乗っかるのが3~4人いると「やろう」ということになってしまうのは、実は本当にすごい(というよりひどい?)ことなんだろうなあと思います。
5人いて、誰も「いや、大変だよね」とは言っても「やらない」とは言い出さないのもどうなのでしょう?
そういうわけで、年内には、来年のアウトラインを発表することになるのではないかという状況です。
一応、信州戦争資料センターと一緒に長野でちょっとしたイベントを行うというのと、首都圏以外で1回百人展を開催するというのも、ほぼ決定です。
はっきりしているのは、戦後70年に向けて、というのは、「戦後70年以降にいかに戦場体験を伝え残すか」ということである、ということです。戦後70年で一区切り、では絶対にありません。
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百人展in長野を終えて、個人的に課題だと感じたことを、備忘録的に書いておきます。
参加したメンバー誰もが思っただろうことは、事前広報をどうすればよいかということでしょう。
衆議院解散、大地震が重なったとはいえ、長野県内での認知度が低かったのは確かだと思います。
仙台に比べて体験者世代の方は多かったので、もう少しつながりを作れる方法がほしいところです。
個人的には、時代背景をもっと理解して伝えられるようにすることが必要だと感じました。
今回特に気になったのは、貨幣価値の移り変わりについてです。
証言集会で、復員時に受け取った手当て(基本的には交通費)の額について、会場から疑問の声がありました。お札だったか軍票のようなものだったかという点でも疑問が残っていましたが、残念ながら私には、いつまでがこういう制度でこの時期だと1円は今の何円にあたる、といったことが補足できませんでした。
戦闘経過等は、部隊史や文献を確認するものですが、貨幣価値等はほとんど注意したことがなかったのに気付きました。
証言を実感するには、本当はそういう歴史の知識が必要なのでしょう。
こういうことに気づくのも、展示や証言が多くの人の目や耳に触れるからこそ、です。
いろいろとやることが山積みですが、なんとか、より時代認識の溝を浅くすることを考えたいと思います。
参加したメンバー誰もが思っただろうことは、事前広報をどうすればよいかということでしょう。
衆議院解散、大地震が重なったとはいえ、長野県内での認知度が低かったのは確かだと思います。
仙台に比べて体験者世代の方は多かったので、もう少しつながりを作れる方法がほしいところです。
個人的には、時代背景をもっと理解して伝えられるようにすることが必要だと感じました。
今回特に気になったのは、貨幣価値の移り変わりについてです。
証言集会で、復員時に受け取った手当て(基本的には交通費)の額について、会場から疑問の声がありました。お札だったか軍票のようなものだったかという点でも疑問が残っていましたが、残念ながら私には、いつまでがこういう制度でこの時期だと1円は今の何円にあたる、といったことが補足できませんでした。
戦闘経過等は、部隊史や文献を確認するものですが、貨幣価値等はほとんど注意したことがなかったのに気付きました。
証言を実感するには、本当はそういう歴史の知識が必要なのでしょう。
こういうことに気づくのも、展示や証言が多くの人の目や耳に触れるからこそ、です。
いろいろとやることが山積みですが、なんとか、より時代認識の溝を浅くすることを考えたいと思います。



今回の百人展in長野では、地元の信州戦争資料センターから、資料を20点ほどお借りしました。
写真はまとめて机1つに置かれたものですが、他にポスター等、壁に設置したものもあります。
当日配布資料に案内を1枚入れさせていただきましたが、信州戦争資料センターは、「資金も名声もない、しかし熱意のある長野市の一個人が、散逸する戦争資料を後世に伝えたいと名乗っている組織」ということです。
つまり1人で展開しているセンターですが、長野に関する資料・物品を中心に7年間で約1900件、2800点余りを集めておられデータ整理も完璧です。
これまで資料を時系列で整理していたところが、今回の出展で、テーマに沿った整理を考えはじめられたとのこと。
来年は、信州戦争資料センターの資料をごっそり使った展示イベントを期待するところです。
保存の会も、共催、とまで行くかどうかはまだ未定ですが、協力して開催したいと考えています。
そのため、長野では思った以上に早く2回目のようなイベントがあるかもしれません。
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