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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
ブログ係の環境の都合で報告が遅れ気味ですみません。
すでに戻ってきました、大阪キャラバン後半最終日10月19日(土)に伺った証言の概要速報です。
定期報告メールから転載します。

◆◆◆

◎正田信夫さん

大正14年生まれ。

特幹一期
学校を出て就職していたが、自分より若い人が予科練に行ったりしていたので自分も志願することに。

19年

特幹と予科練に願書をだす。入隊が早いほうに行くつもりだった。予科練に合格して7月に入隊予定になっていたが、4月に特幹の二次試験を受けたらそのまま軍服を着せられて入隊することになってしまう。そのことで上官にクレームをつけたため問題児扱いに。
三重の中部131部隊で教育を受ける。

19年12月、南京へ。

気象連隊。風船を飛ばして、いろいろ計測したり、各観測所からの無線情報で天気図を作成。(詳細に説明していただきました)がんばって成績トップになったのと、上官のおかげで問題児扱いされなくなった。

20年、石家荘の飛行場へ。

P51の襲撃を受ける。飛行機のまわりに蛸壺を掘って、小銃、飛行機から外した機関銃で武装して、敵機と刺し違えようとしたがやっぱりダメだった。

20年7月、京城へ移動。

終戦
朝鮮人が日本人の家から略奪をはじめる。隊に家で泊まってくれと電話がかかってきた。
野球好きの朝鮮人と野球をした。日本側は寄せ集めだったので負けてしまう。その時突き指をして今も跡が残っている。

10月復員
大阪キャラバン後半3日目、10月19日(土)の様子です。
結局、この日で最終日となりました。
これからバスに乗りますという連絡が届いていました。

午前中の方は、現代の名工に選ばれた判子職人とのことで、戦時中から重宝されていたようなお話だったようです。

午後の方については、簡単な証言概要メモが届いていましたので、また改めて転載します。

後半も、全体を通して体験者の皆様には、やはり熱心にお話をしていただいたのはもちろん、いろいろとお気遣いいただいたようです。

皆様大変ありがとうございました。
大阪キャラバン後半3日目(最終日になるかも)、10月19日(土)の日程です。

午前:
大阪府大阪市中央区
体験者の方
◎特幹1期、天津飛行場で終戦

午後:
大阪府吹田市
体験者の方
◎気象隊、京城の測候所

今日もよろしくお願いいたします。
大阪キャラバン2日目、10月18日(金)の様子です。
主に証言概要の速報です。後日、詳細版もメーリングリストに流れると思います。
最前線からのメールより転載します。

◆◆◆

◎阪口繁昭さん

昭和3年生まれ

昭和18年、義勇軍に志願。
親に内緒でハンコを持ち出して応募。

内原訓練所。
開拓のことより軍事訓練ばかりで、思っていたのと違った。

昭和19年10月 渡満。東寧へ。

そのうち第6国境守備隊に行かせられる。国境付近の監視にあたる。

20年8月9日、ソ連満州侵攻。

口頭命令で陸軍二等兵に。
斥候に出る。

12日、斥候中に負傷。

15日ごろ、捕虜に。

その後捕虜になりライチハ収容所へ抑留。
22年10月、復員。

軍籍がなかったが、戦友が証明書をかいてくれた。

◆◆◆

同じくメールからの情報ですが、阪口さんは地元でたくさんのボランティアをされている有名人で、今日は、日ごろから協力関係にあるらしい地元の交番で待ち合わせだったとのこと。
終戦直後に夜警のようなものを結成されたころからのつきあいのようですが、図らずも「出頭」状態になったキャラバンメンバーでありました。
迷わないようにとのお心遣い、ありがとうございました。
大阪キャラバン2日目、10月18日(金)の日程です。
大阪キャラバンといいつつ、後半唯一の府外、和歌山県です。

午後:
14:00~
和歌山県橋本市
体験者の方
◎義勇軍、シベリア抑留

無事たどりつけるか体験者の方が心配されて、意外なところで待ち合わせすることになったようですが・・・
その辺も含めて、報告を期待したいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。