あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
沖縄キャラバンを前にしてなんですが、やはりキャラバンというのは訪問する地域の状況を知っている必要があることを痛感します。
現地の交通事情や特別の行事等の情報は、そのエリアのキャラバンを考える場合、やはり重要です。重要なのはわかっているつもりでしたが、思っていた以上に重要でした。
旅というより、人と会う約束というのが保存の会の活動としてはメインで、そこを最優先するわけですが、最優先するためには、それ以外の部分でできることが多い方がいいわけです。選択肢を広げるという意味で。
同時に、どうしても制約となる部分は、できるだけあらかじめ避けておくことが出来る方がよいことになります。

思えば、全国キャラバンの1つ目、西東北キャラバンで、地域の大きなお祭りの時期に後で気づいて日程変更したということがありました。
実際に行く予定がないと気づかないことはたくさんあります。
ただ、これまでに行ったキャラバンについて、聞き取りという面の振り返りだけでなく、旅という面についても振り返るということを、できればやった方がよいのだと思いました。
キャラバンの振り返りの会で反省点を共有するときに、実際行ったメンバーに特につっこんで聞いておくべきポイントを、一度考えてみるべきかな、と思っています。

なんだか抽象的でもやっとしたことを言っていますが。保存の会の初期メンバーは多少の無理等ものともせずに動いていますが、あんまりできる無理が少ない私等は、その分情報収集で補う必要があるという話です。
今後、地域のお祭り情報だとかお得なチケット情報をブログに書くことになるのでしょうか。たぶんメンバーどうしで話し合えばいい内容の方が多いだろうと見込んでいますが・・・もっと旅ブログらしくなることもあり得そうです。
スポンサーサイト
沖縄戦の経過として、基本的なところは前に載せましたが、今回、もう少し作戦や戦闘に注目して年表を書いてみます。時期によって32軍の戦況がどう変わったか、それに伴って住民がどういう状況におかれたかが少し見えてくればと思います。
年表だけでは位置的なことがわかりづらいですが・・・地図は今後余力があれば、ということで。
また、本やサイトにより、日付がずれている場合があります。今回、聞き取りのためにだいたいの時期がわかるようにという意図でスピード重視でまとめました。正確なところは、落ちついて公的一次資料等を見て確認する必要があるでしょう。

●1941年
沖縄本島中城湾、西表島船浮に臨時要塞建設。

●1943(昭和18)年
6月25日 「学徒戦時動員体制確立要綱」決定

●1944年(昭和19)年
2月25日 「決戦非常措置要綱」決定。
3月22日 南西諸島に第32軍創設。(最初の拠点は那覇市安里の蚕種試験場)
4月10日 沖縄方面根拠地隊(海軍)新設。
5月   各地に飛行場建設が始まる。
7月7日 南西諸島の老幼婦女子・学童の集団疎開閣議決定。
7月   第32軍の各師団、独立混成旅団着任。
8月22日 対馬丸、悪石島付近で撃沈される。
10月10日 沖縄大空襲(十・十空襲)。
10月29日 第1次防衛召集(17歳から45歳までの健全な男子を防衛隊として召集)主に飛行場建設に従事。
11月   第9師団の台湾抽出決定。

●1945(昭和20)年
1月10日 第32軍司令部を首里に移転。
1月22日 大本営、第32軍に第84師団の編入を内報、翌日取り消す。
1月26日 第32軍、戦略持久へ配備変更開始。
1月20~31日頃 第2次防衛召集(17歳から45歳までのほとんどの男子を召集)
2月15日 第32軍、沖縄県下の軍民に「1機1艦船、1艇1船、1人10殺1戦車」の戦闘指針を示達。
    県下各市町村単位の「国土防衛義勇隊」が結成される。
3月1日 米機動部隊、沖縄県内各地を爆撃。
    大本営「天一号」航空作戦を決定。
    沖縄県立第2中学校生徒の一部、部隊へ入隊する。
3月5日 沖縄県民の県外疎開打ち切り。
3月6日 国民勤労動員令公布。
    沖縄県の15歳から45歳までの男女を「根こそぎ」動員する。
3月10日 第32軍、伊江島飛行場破壊を命令。
3月17日 硫黄島の日本軍守備隊、玉砕する。
3月20日 大本営「当面の作戦計画大綱」発令、沖縄作戦に重点を置くことを決定。
3月23日 米軍が沖縄諸島に空襲を開始。
     国民義勇隊の編成が閣議決定。(国民学校初等科終了以上~男子65歳以下、女子45歳以下の全国民が国民義勇隊に原則的に参加することとされる)
3月26日 米軍、慶良間列島に上陸。地上戦が始まる。
3月30日 米軍、本島南部湊川方面に陽動作戦。
4月1日 米軍が沖縄島西海岸の読谷・嘉手納・北谷に上陸する。
4月6日 大本営、「菊水作戦」により神風特攻隊、戦艦大和の出撃を命令。
4月7日 南西諸島防衛のため沖縄に向けて出撃した戦艦「大和」が九州南方において撃沈される。
    米軍、名護侵攻。
4月9日~20日 嘉数高地の激戦
4月16日 米軍が伊江島に上陸。
5月4日 第32軍、総攻撃に出るが失敗。翌日中止。
5月8日~18日 シュガーローフの攻防。
5月24日 義烈空挺隊、北・中飛行場に強行着陸。
5月27日 第32軍司令部首里撤退。南部へ。
5月31日 米軍が首里を占領。
6月2日 八重山で住民をマラリア有病地帯へ強制疎開。
6月13日 海軍大田実少将自決。日本軍の海軍部隊が壊滅。
6月18日 米軍司令官バックナー中将が糸満市真栄里で戦死。
6月19~20日頃 沖縄における日本軍の組織的抵抗がほぼ終わる。
6月22日 「戦時緊急措置法」公布(6/23施行)
6月23日 牛島第32軍司令官が糸満市摩文仁で自決。
6月26日 米軍が久米島に上陸。
7月2日 米軍が沖縄作戦の終了を宣言。
7月26日 連合軍が対日ポツダム宣言を発表。
8月14日 ポツダム宣言の無条件受諾を決定。
8月15日 昭和天皇による玉音放送。終戦。
9月2日 日本政府が東京湾のミズリー号で降伏文書に調印。
9月7日 南西諸島の日本軍が降伏文書に調印。
全国キャラバンは、だいたい直前はおろか旅が始まっても日程の変更が発生するものですが、今度の沖縄キャラバン2012も、仮の日程を組んで1週間の間にだいぶ変更が生じています。
体験者の方の体調の他、沖縄ならではの冠婚葬祭関係による都合もあるようです。これは、今後また沖縄で聞き取りを行う場合に頭に入れておく必要があるでしょう。
今後も変わる可能性がありますが、ひとまず現在のところの日程をお知らせしておきます。

沖縄キャラバン2012
日程:2月3日(金)~2月6日(月)(これが中心の日程です。)
   一部メンバーは2月9日(木)まで。
訪問地:沖縄本島、石垣島
参加人数:世話役含めて5名

◆◆2月2日(木)◆◆

夜、1名沖縄入りして前泊。

◆◆2月3日(金)◆◆

早朝より2名沖縄入り
午後さらに1名沖縄入り

●1班
那覇市内で収録会
午前:体験者の方2名
午後:体験者の方2名

●2班
午前は1班と一緒に行動
午後:那覇市内で聞き取り。体験者の方1名

夜、全員合流して那覇市内の協力者の方にごあいさつ

◆◆2月4日(土)◆◆

早朝より1名沖縄入り

●1班
西原町にて聞き取り
午前:体験者の方1名
午後:体験者の方1名

●2班
午前
南風原町~糸満市
体験者の方1名、戦地だったところで聞き取り
午後
那覇市にて聞き取り。体験者の方1名

●3班
午前
八重瀬町にて聞き取り。体験者の方1名。
午後
嘉手納町又は沖縄市にて聞き取り。体験者の方1名。(体験者の方の体調次第)

●4班
午後
宜野湾市にて聞き取り。体験者の方1名。

◆◆2月5日(日)◆◆

●1班
3名で石垣島へ
体験者の方4名の聞き取り

●2班
沖縄本島北部で聞き取り
午前
国頭村で体験者の方1名
午後
東村で体験者の方1名

●3班
午前
沖縄本島北部で聞き取り
今帰仁村(予定)で体験者の方1名
午後
那覇市で体験者の方1名聞き取り

◆◆2月6日(月)◆◆

●1班
午前
糸満市で体験者の方1名聞き取り
午後
与那原町で体験者の方1名聞き取り

●2班
午後
与那原町で体験者の方1名聞き取り

●3班
午前
うるま市で体験者の方1名聞き取り
午後
那覇市で体験者の方1名聞き取り

夜、3名東京へ戻る

◆◆2月7日(火)◆◆

●1班
南部戦跡等を回り、東京へ戻る

●2班
予備日

◆◆2月8日(水)◆◆

糸満市で聞き取り
午前:体験者の方1名
午後:体験者の方1名

◆◆2月9日(木)◆◆

午前
与那原町で体験者の方1名聞き取り
午後
那覇市で体験者の方1名聞き取り
夜、東京へ戻る
沖縄キャラバン2012では一部メンバーが石垣島へ行くことになっています。
ここでは、主に戦争マラリアのお話を伺うことになっているようです。

八重山地区は地上戦は行われませんでしたが、主にイギリス軍による艦砲射撃や空襲を受けました。
沖縄本島の戦闘が劣勢になる中、八重山地区も上陸に備えて住民疎開が行われます。
この時疎開先とされたところが、マラリアの有病地帯であり、栄養状態・衛生状態の悪さが重なって、多くの住民がマラリアにより犠牲になりました。
また、疎開を行う際に家畜等を処分していたために、疎開から戻っても数カ月は食糧難であり、マラリアの発生や衰弱死は長く続いたということです。多くの人がすでにマラリアに罹患した状態で戻ってきたため、体力が落ちると発病するわけです。1947年頃まで、戦争マラリアによる死亡者が出ていたようです。

沖縄本島北部にも、同様にマラリア有病地域があり、米軍の収容所になった場所でも多数の犠牲者を出したようです。
米軍上陸以前、北部への疎開が決定された後もなかなか疎開が進まなかった要因の1つでもあります。

現在は沖縄のマラリアは撲滅されています。
西表島の「忘勿石(わするないし)」等、戦争マラリアに関係する戦跡もあります。今回のキャラバンでは、疎開先までは行けませんが、今後戦場体験アーカイブスをつくっていく中では、現地に行ってみることができればよいと思います。
沖縄戦のおおまかな経過です。
資料によって微妙に日付が違うことがあるところについては、○日頃という形でまとめました。

●1943(昭和18)年
6月25日 「学徒戦時動員体制確立要綱」決定

●1944年(昭和19)年
2月25日 「決戦非常措置要綱」決定。
3月22日 南西諸島に第32軍創設する。
7月7日 南西諸島の老幼婦女子・学童の集団疎開閣議決定。
8月22日 対馬丸、悪石島付近で撃沈される。
10月10日 沖縄大空襲(十・十空襲)。
10月29日 第1次防衛召集(17歳から45歳までの健全な男子を防衛隊として召集)主に飛行場建設に従事。

●1945(昭和20)年
1月20~31日頃 第2次防衛召集(17歳から45歳までのほとんどの男子を召集)
3月1日 米機動部隊、沖縄県内各地を爆撃。
    沖縄県立第2中学校生徒の一部、部隊へ入隊する。
3月6日 国民勤労動員令公布。
    沖縄県の15歳から45歳までの男女を「根こそぎ」動員する。
3月17日 硫黄島の日本軍守備隊、玉砕する。
3月20日 大本営「当面の作戦計画大綱」発令、沖縄作戦に重点を置くことを決定。
3月23日 米軍が沖縄諸島に空襲を開始。
     国民義勇隊の編成が閣議決定。(国民学校初等科終了以上~男子65歳以下、女子45歳以下の全国民が国民義勇隊に原則的に参加することとされる)
3月26日 米軍、慶良間列島に上陸。地上戦が始まる。
4月1日 米軍が沖縄島西海岸の読谷・嘉手納・北谷に上陸する。
4月7日 南西諸島防衛のため沖縄に向けて出撃した戦艦「大和」が九州南方において撃沈される。
4月16日 米軍が伊江島に上陸。
5月27日 第32軍司令部首里撤退。南部へ。
5月31日 米軍が首里を占領。
6月13日 海軍大田実少将自決。日本軍の海軍部隊が壊滅。
6月18日 米軍司令官バックナー中将が糸満市真栄里で戦死。
6月19~20日頃 沖縄における日本軍の組織的抵抗がほぼ終わる。
6月22日 「戦時緊急措置法」公布(6/23施行)
6月23日 牛島第32軍司令官が糸満市摩文仁で自決。
6月26日 米軍が久米島に上陸。
7月2日 米軍が沖縄作戦の終了を宣言。
7月26日 連合軍が対日ポツダム宣言を発表。
8月14日 ポツダム宣言の無条件受諾を決定。
8月15日 昭和天皇による玉音放送。終戦。
9月2日 日本政府が東京湾のミズリー号で降伏文書に調印。
9月7日 南西諸島の日本軍が降伏文書に調印。