FC2ブログ
あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
今回の話は、聞き取りに役に立つのかむしろ混乱するのかわからない内容ですが、先日「沖縄戦における動員の形」と関係あるので、一応書いておこうと思います。
2011年12月4日付『琉球新報』に、「17歳未満召集で規則改正 沖縄戦前に法的根拠」という記事が出ています。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-184796-storytopic-1.html

先日沖縄戦の防衛隊・義勇隊についてまとめたときは、1944年10月の陸軍防衛召集規則改正と1945年3月の国民義勇隊編成の閣議決定が根拠というので、私はなんとなく納得していたのですが、そういうものでもないということでしょうか。
ちなみに、先日の内容は、沖縄県平和祈念資料館の図録等をもとにまとめたものでした。

上記の新聞記事によると、
◆1944年10月20日、陸軍特別志願兵令施行規則の改正で、14歳以上も志願すれば第2国民兵役に編入可能となる。
◆同年12月12日の防衛召集規則改正で、志願した14歳から17歳未満を防衛召集として実際戦地等に導入可能となる。
◆14歳以上の召集は沖縄等から適用、1945年3月に地域制限撤廃。

1945年3月に国民義勇隊の編成が閣議決定されるより前に、志願していれば1944年10月の時点で14歳以上の作業中心の動員、12月からは防衛召集で戦闘要員としての動員ができることになっていた、ということでしょうか。
一応、17歳未満の兵役編入では、本人や親権者の印鑑、市町村長の書面等が必要で、審査も行われることになっていたけれども、実際はそういう手続きを踏まずに召集された例が多い、とあります。
少年兵の方の体験を伺うと、親の印鑑をこっそり押したという話がよく出てきますが、そういった例を含めても印鑑を押しているというのは実は少数派だったということのようですが。
この辺りは、戦場体験放映保存の会で集めた証言とそれ以外のところでの証言蓄積とで傾向が違うのかどうか、比べてみる余地があるのかもしれません。

しかし、どんな法的根拠があったのかということについては、実際召集された方々にとってはあまり関係なく、ともかく召集とあれば行くことになっていたのでは?という気がするのですが。
聞き取りを行う際に、その辺りをどこまで意識して聞くのがいいのかは、正直よくわかりません。「聞き取りのための知識」として言えるのは、召集されたときの様子、気持ちについて質問してみよう、というところまでかと思います。
ここしばらく、沖縄戦豆知識をやっていますが、やってみて、これまでこういう予習の面はなかなかできなかったなと、改めて思いました。
あらかじめ軍歴表をいただいて、その方の戦地や部隊について調べておくというのができれば理想的です。が、キャラバンはそれが間に合わないことが特に多いです。現地に何のあてもない状況からお話をしてくださる方を探すことになるため、とにかく取材許可をいただき日程を組むので精いっぱいになる場合がどうしても多くなるから、でしょうか。
加えて、キャラバンの場合は、数日にわたっての現地での移動手段等の予習がついてくるので、首都圏の聞き取りより準備することがだいぶ多くなるわけです。

一方、キャラバンの場合、各地の郷土部隊について調べておくことは有効といえます。
郷土部隊が赴いた戦地について調べるというのを、体験者の方を探す傍らでやっておけるとよいと思います。
部隊のあらましについての資料、戦地での戦況についての年表、その土地の地図を用意できれば、聞き取りでより深いところまで質問できるでしょう。

沖縄の場合は、戦場になったという面と、その場所で根こそぎ動員が行われたという面の両方があり、国内のことである分、資料も多いので、基本的に知っておくとよさそうな内容を見つけやすいように思いました。
もちろん体験は人それぞれなので、あまり先入観を持っているのもよくないのかもしれません。
それでも、聞き取りの旅をその前後まで含めて記録するという当ブログとしては、豆知識としてちょっと調べた内容が実際の聞き取りにどの程度役に立つかというのも確かめてみたいところです。
実際に取材する予定となっている学徒隊や護郷隊のことを調べる中で、動員のしくみについて改めて知ることもありました。その辺りは、今後別の地域での聞き取りをする場合にも、予習するポイントを考える参考になるのではないかと思います。

戦場体験を集めることで大戦の全体像が浮かび上がってくると考えての活動ですが、聞き取りを行う個人にも、大戦の全体像が蓄積されていく過程でもあるのだなとしみじみ思っているところです。
問題発言になるかもしれませんが、そうした過程をブログに記録しているというのは、ある意味「役得」であるような気もします。
沖縄戦豆知識です。

沖縄戦で特徴的な部隊に「護郷隊」があります。
これは秘匿名であり、第1護郷隊=第3遊撃隊、第2護郷隊=第4遊撃隊です。(ちなみに、第1遊撃隊はニューギニア、第2遊撃隊はフィリピンで編成され、現地で活動)
名前の通り遊撃戦を展開する部隊ですが、大本営直轄の秘密部隊でした。

以下のような構成です。
◆大隊長・中隊長:中野学校出身将校
◆小隊長・分隊長:在郷軍人を臨時召集。一度外地で兵役を経験した人も。
◆一般隊員:17、18歳の青年のみを防衛召集。他、第3遊撃隊に県立第三中学校鉄血勤皇隊の一部、第4遊撃隊に県立水産学校の鉄血勤皇隊の一部が参加。

独立混成第44旅団第2歩兵隊を中心とした国頭支隊に配属された形になっています。
第1は多野岳、第2は恩納岳に拠点をおきつつ、主に沖縄本島中部で斬り込みや破壊活動を行いました。
情報収集や諜報活動を行っていたのが特徴的です。護郷隊に限っては、捕虜となって米軍の情報を探るということも推奨されたということです。
激しい戦闘もあったため、多くの犠牲者を出しました。
第32軍の崩壊後も、遊撃戦を展開。8月15日の終戦後、第1護郷隊は1946年1月3日、第2護郷隊は1945年10月2日に米軍に投降して、役目を終えることになります。
ひきつづき、沖縄戦の豆知識です。
沖縄の人たちがどのように軍隊に動員されたのかということを大まかにまとめます。
召集に関する法制度を根拠にしているようですが、沖縄では、そうした法制度の改正・制定に先んじて召集が行われているともいえます。

●一般的な徴兵検査による入隊
本来沖縄には郷土部隊というものはありませんでした。
琉球人の部隊をつくることを危惧していたためといわれていますが、徴兵検査を経て県外の各地の部隊に分散して配置されていました。
しかし、サイパンの玉砕を経て、いよいよ沖縄が戦場になることが予想されると、徴兵検査後、沖縄に配備されていた部隊にそのまま入隊する場合も多くなります。
当初沖縄に配備されていた第9師団に入隊し、師団の台湾への移動のために沖縄戦を体験しなかったという場合もありました。

●防衛隊
防衛召集によって編成された部隊です。
沖縄において大規模な防衛召集が行われた時期が2回あります。
◆1回目:1944(昭和19)年10月~12月
 1944年10月19日、兵役法改正をふまえて陸軍防衛召集規則が改正され、17歳~45歳までの男子を全員防衛召集することができるようになりました。それを根拠として、防衛召集が行われます。
 このとき召集された人はほとんどが飛行場設営に携わる特設警備工兵隊と、秘密部隊である第3遊撃隊、第4遊撃隊に配備されたということです。
◆2回目:1945(昭和20)年2月~3月
 1944年11月、第9師団の台湾転出に伴い、沖縄に配備されていた部隊が大幅に編成を変えることになりました。
 戦力を補うために、沖縄本島、周辺離島の全市町村に亘る大規模な防衛召集が行われました。特に米軍上陸が濃厚となってきた1945年2月~3月上旬に集中して召集されています。
 このときは、各市町村に駐留していた部隊をはじめ、各部隊に配備されました。
 こうした防衛召集は、各市町村の兵事係や各字の区長の協力の下召集令状が配られていたということです。
 米軍上陸後も防衛召集は続き、正式な令状もなく口頭で召集された場合もあったようです。
 斬り込みに参加することがある一方、部隊が解散状態になった後地元の警備を担うこともあり、一般的な軍隊以上に状況は様々だといえます。

●義勇隊
女性を含む住民も動員されました。
1945年3月23日には、国民義勇隊の編成が閣議決定され、国民学校初等科終了以上~男子65歳以下、女子45歳以下の全国民が国民義勇隊に原則的に参加することとされます。
沖縄本島の女子学徒隊が病院壕に動員されたのも、この日かこの前後です。
沖縄の場合は、この決定より前からほとんど全住民を対象とした動員が始まっており、米軍上陸後も部隊の移動した先で、避難民を含めた住民動員が行われるということもあったということです。
伊江島等では、女性も兵士に混じって戦闘に参加しました。
沖縄戦の組織的戦闘が終わったとされる6月23日、義勇兵役法が施行され、15歳以上~60歳以下の男子、17歳以上~40歳以下の女子を国民義勇戦闘隊に編入できるということが正式に法制化されました。
本日、沖縄キャラバン2012に参加するメンバー及び調整役メンバーで会議を行いました。
1人1人の状況(参加日程、可能な移動手段等)をふまえて、だいたい誰がどこに行くかをわりふりました。現地の方々との確認はこれからですので、今のところ仮の日程です。ただ、ここから変更が生じるとけっこう大変・・・という、かなり検討して組んだ日程です。
今回、石垣島まで足を延ばしつつ、沖縄本島は最北端から最南端まで手分けして回る状況になりました。たくさんの方のご協力をいただき、ありがとうございます。

沖縄キャラバン2012
日程:2月3日(金)~2月6日(月)(これが中心の日程です。)
   一部メンバーは2月9日(木)まで。
訪問地:沖縄本島、石垣島
参加人数:世話役含めて5名の予定

◆◆2月2日(木)◆◆

夜、1名沖縄入りして前泊。

◆◆2月3日(金)◆◆

早朝より2名沖縄入り
午後?さらに1名沖縄入り

●1班
那覇市内で収録会
午前:体験者の方2名
午後:体験者の方2名
夜、体験者の方のご自宅にて聞き取り。体験者の方1名。

●2班
午前は1班と一緒に行動
午後:那覇市内で聞き取り。体験者の方1名

◆◆2月4日(土)◆◆

早朝より1名沖縄入り

●1班
西原町にて聞き取り
午前:体験者の方1名
午後:体験者の方1名

●2班
那覇市にて聞き取り
午前:体験者の方1名
午後:体験者の方1名

●3班
午前
八重瀬町にて聞き取り。体験者の方1名。
午後
嘉手納町にて聞き取り。体験者の方1名。

●4班
午後
宜野湾市にて聞き取り。体験者の方1名。

◆◆2月5日(日)◆◆

●1班
3名で石垣島へ
体験者の方4名の聞き取り

●2班
沖縄本島北部で聞き取り
午前
国頭村で体験者の方1名
午後
今帰仁村または東村で体験者の方1名

●3班
午前
那覇市または恩納村で体験者の方1名聞き取り
午後
沖縄本島北部で聞き取り
今帰仁村または東村で体験者の方1名

◆◆2月6日(月)◆◆

●1班
午前
糸満市で体験者の方1名聞き取り
午後
与那原町で体験者の方1名聞き取り

●2班
午後
与那原町で体験者の方1名聞き取り

●3班
午前
うるま市で体験者の方1名聞き取り
午後
那覇市で体験者の方1名聞き取り

夜、3名東京へ戻る

◆◆2月7日(火)◆◆

●1班
午前
南風原町~糸満市
体験者の方1名、戦地だったところで聞き取り
午後
南部戦跡等を回り、東京へ戻る

●2班
予備日

◆◆2月8日(水)◆◆

糸満市で聞き取り
午前:体験者の方1名
午後:体験者の方1名

◆◆2月9日(木)◆◆

午前
与那原町で体験者の方1名聞き取り
午後
那覇市で体験者の方1名聞き取り
夜、東京へ戻る