あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
実は前回の状態からあまり変わっていませんが、この秋~冬のキャラバンおよびイベントの予定です。

●11月2日~ 北部九州(長崎、佐賀、福岡?)
 保存の会メンバー(ブログ係)の帰省をかねての聞き取りです。
 今のところ、歩兵第55連隊(菊、ビルマ)の方の聞き取りが決まっています。

●11月12日~13日 福島
 8月の福島収録会でたくさんの体験者の方にお集まりいただいていたので、改めて個別に取材します。

●11月26日~27日
 A班 徳島
  市場飛行場を語り継ぐ会の方等にご紹介いただいた方中心に取材の計画が進行しています。 
 B班 山梨
 C班 栃木or茨城
  少し足をのばす関東の聞き取り。柔軟に調整中です。

◎12月2日、4日 「大本営最後の司令」上映会
  中野ゼロ 視聴覚ホール
 「語らずに死ねるか」「続・語らずに死ねるか」に続くユニモトの第3弾。
 長野県大町で見つかった兵事資料とそれに纏わる人たちの映画です。
 
●12月10日~11日
 A班 山梨or千葉
 B班 栃木or茨城
●12月10日~15日 山陽キャラバン(岡山、広島、山口)

◎12月17日 「大本営最後の司令」 長野県大町上映会(大町文化会館)

●1月前半 大分
 保存の会メンバーの帰省を兼ねての聞き取りで、長くお待たせしている既存名簿の方にあたります。

●2月初旬 沖縄キャラバン
 今年に続けて比較的大人数でのキャラバンになる見込み。

どの地域も、戦場体験をお話いただける体験者の方を募集中です。
まだキャラバンを行っていない地域を中心に組んでいますが、ここに上がっていない地域の方も大歓迎です。
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キャラバンブログですので、今度は旅の方向から昨日のレポートを。
第15回常民文化研究講座会場の神奈川大学は、学園祭の最中でした。


白楽駅を出ると、商店街に神大祭の横断幕が。


常民文化研究講座会場隣室のテラスからの眺め

学園祭に合わせてオープンキャンパスも、講座と同じ建物で実施中でした。講座の会場は8階。大変よい眺めです。
講座の最中は写真撮影できないので、代わりに撮りました。


神大祭の露店で売っていた韓国かき氷パッピンス

せっかく学園祭中なので、お昼は露店で調達しました。
せっかく沖縄関係の講座に来たので、沖縄そばを、と思ったのですが、20分待ちとのことで断念。
他の学園祭で見かけたことのない、韓国かき氷パッピンスを試してみました。かき氷の上に、フルーツとアイスが乗っているのを、全部ぐちゃぐちゃに混ぜて食べます。※これをご飯代わりにしたわけではありません。
行った場所の特徴としては、合っているような、何か違うような。

到着したのがギリギリだったこともあり、学園祭のアーチや露店の様子等は写真に撮りそびれました。
キャラバン本番に向けて、その辺もう少し意識をしたいと思いました。
体験者の方に見せていただく資料や軍装品を撮る方は抜かさないようにしたいところですが、携帯電話をそばに置いていると、収録中何かしら音が入ってしまうのが難点です。

一日中講座だったので、学園祭の出し物を見る機会はありませんでした。
パンフレットを見た限り、歴史関係の展示等はなかったようです。密かに、出張百人展の営業先として大学はどうだろうということを考えながらの参加でした。
神奈川大学で開催された第15回常民文化研究講座に行ってきました。
テーマは、「オーラルヒストリーの可能性―歴史学と民俗学との対話―沖縄戦から祖国復帰へ―」ということで、証言の伝承に関する内容でした。
今回は、戦場体験放映保存の会の関係ではなく、新聞で見て申し込みをしており、完全に個人的な参加です。

基調報告をされるはずだったお1人の中村政則先生がご病気のため欠席されたのが残念でしたが(経過は順調とのことです。どうぞお大事に)、4人の講師の方により、午前中から夕方まで、みっちり濃いお話が展開されました。
民俗学方面は、直接戦場体験の語り継ぎには関係なかったですが、戦争中も続けられた伝統があったという点は興味深かったです。

もうお1人の基調報告の講師である石原昌家先生は、「集団自決」に関する訴訟の背景とその中でオーラルヒストリーの持つ意味について詳しく話されていました。実は、「集団自決」という言葉も、もともと沖縄戦の体験者の方の証言から出た言葉ではなく、適切ではないということです。
語られる「事実」と実際に起きた「真実」との関係に気をつける必要があるとのこと。

保存の会の活動に関係しそうな内容としては、語られたことが本人の体験なのかどうかは、よく確かめるべし、というお話がありました。証言の中には、後で勉強して知りえた話や他の人から聞いた話が含まれていることがあり、それは確認しなければならないと。聞き手が勉強し聞き取りの経験を重ねていると、その区別がよりできるようになっていくというところは、保存の会でも感じるところです。
聞き取りを上達させるために、まずは石原先生が聞き取りをされたテープをたくさん聞いて、聞くべきことをカードにして、それを右から左に移動させながら聞く訓練をする、という具体的なお話は、応用できるかもしれません。
証言を聞いていく中で、「そこまで話していいの?」というような内容が出てくることもあり、そうしたところについては、公表を控えることも考える必要があるということで、そのままを残すという方向であるにしても、利き手の側が配慮すべき点があるというのも、今後のアーカイブ化の際に考えていくことと通じます。

と、こうしてレポートしている内容は、講座のごく一部であり、それで講座全体のイメージが違った形で伝わっている可能性が高いことは、意識はしていましたが、改めてお断りしておくべきだろうか、とも思うのでした。
報告5、栗原俊雄さんは、「シベリア抑留の問題はまだ終わっていない」ということで、「未完の悲劇」と表現されていました。
抑留者が補償を求める戦いは、お金の問題ではなく、名誉回復の戦い。労働賃金なしで強制労働したということは奴隷であるということであり、奴隷のまま死ぬわけにはいかない、ということ。
そういう前提があり、特措法が出来た後も続いている裁判が2つあるとのことです。1つは、日本政府の棄民政策にオトシマエをつけるための戦い、もう1つは韓国籍の抑留者の戦い。
それは、シベリア特措法が制度として不十分だということを意味してもいるのですが、運用の面でも不十分だと指摘されています。
もともとが平和記念財団の200億円があったからそれを使って出来る範囲でつくられたものであり、資料の翻訳や遺骨収集も本気でできる規模ではない、本来はプロジェクトチームをつくって取り組むべきことであるのに、と熱く話されていました。
シベリア抑留は、原爆忌や沖縄慰霊の日のようなシンボリックな日も場所もないことで、大戦の最大の悲劇になっているのではないか?と問われます。マスコミの方としての自省もこめたお話でした。

全ての報告の後、質疑応答となりました。
抑留の範囲としてモンゴルが含まれることもあり、「ソ連・モンゴル抑留」と呼ぶべきでは?という意見、日本は本来ソ連と戦争はしておらず、抑留はソ連の一方的な行為であるという指摘等、活発な意見が出ていました。
抑留体験者の方でも、そのときの階級や立場によって民主運動の捉え方が違うのがわかる場面もありました。
参加されている方々に比べて、私が勉強不足であるため、ニュアンスの違いや勘違いも出るかと思いますので、簡単ですが「抑留パネル」のレポートは以上とさせていただきます。
もし参加されている方で、私の表現に間違いを発見された方がいらっしゃいましたら、ご指摘いただければと思います。
報告3、安部軍治さんによる、シベリアの三重苦についてのお話。
時間の都合だと思いますが、あらかじめ用意した原稿を読まれているようでした。
シベリアの三重苦というのは、飢えと寒さと重労働ですが、それぞれについてそれがどのくらいのものだったか、データをもとに話されていました。
抑留初期は、収容施設の建物がほとんどなく、抑留地までの過酷な旅を経た体でほとんど野宿のような状態におかれ、最初のころに多くの方が亡くなったということです。
クズネツォーフさんのお話で、抑留が用意周到になされていたという研究結果があったのですが、それとのギャップがあるように感じました。
食事については、捕虜に対して支給することになっていた食糧の一覧がありましたが、そのうち米が欠落した状態が続いたため、絶対的な食糧不足だったとのこと。
強制労働の内訳表から、仕事内容は多岐にわたっていたことがわかりました。
中国・朝鮮を経由した抑留については、ほとんどリストがなく、埋葬地もよくわからない状況になっているため、これらの調査が急がれる、ということを強調されていました。

報告4、小林昭菜さんによる、抑留中の「民主運動」についての研究報告。
こちらも、用意されていた原稿を読まれていたようです。聞いている私がまだあまり勉強していない部分のため、内務省令の内容等、聞いただけではよくわからない面が多かったです。(すみません。)
いわゆる赤化教育とラーゲリでの民主化運動の関係についての研究です。日本の諜報活動の摘発や、文通の管理といったいきすぎた管理があったこと等述べられていました。
この辺は、研究会のHPにあるそうですので、どこをみればいいのかわかったらリンクをしたいと思います。