あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
戦場体験史料館に、体験者の方の訃報が届きました。
この方は、数年前に聞き取りをさせていただいた方でした。
ご家族からのお手紙には、「送っていただいたビデオを、葬儀の前に流しました」との文面がありました。

確かに、80代前後の方のお元気なころの映像というのは、なかなか残っていないものかもしれません。
お葬式には、普段はなかなか顔を合わせることもない人たちが一堂に会します。そんな中で、在りし日のその方が思い出を語られる映像が流れたということです。集まられた方々にとって、体験者の方のなつかしいお話であるとともに、一度も聞いたことのないお話でもあったのではないでしょうか。
戦場体験を残す活動が、故人の人生の記録としてご家族のお役に立つこともあるのですね。

戦場体験を収録したビデオは、最終的にはDVDにして、いつでも視聴できる形で残すことになっています。
聞き取りをさせていただいた体験者の方には、そのときのDVDを差し上げています。
ただ、ビデオからDVDに焼く作業ができるメンバーが限られているため、現在、生テープの状態のものがたまっていっている状況です。
まずは聞き取りができなければ始まらないので、できる限り多くの方のお話を収録することを最優先にしている結果なのですが。
今回のようなお便りをいただくと、体験者の方がお元気なうちにDVDを差し上げることが大切なのだと、改めて思います。
DVD化や検索システムへの登録等、分担してできるように、裏方作業の勉強の機会を持つ必要がありそうです。
そして、もちろん、よりたくさんの方に、保存の会の活動に参加していただきたいと思います。
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昨日は、特に定期収録会でもイベントでもないのに、戦場体験史料館がにぎやかでした。

全国キャラバンホットラインを機会に初めて史料館にご来館された方が、その日いらっしゃった体験者の方のお話をもっと聞きたい、ということだったので、「どうぞ史料館を使ってください」と、場所提供。
それがメーリングリストに流れると、ぞくぞくとギャラリーが集まってきました。いつものメンバーから、これからボランティアに参加?という方まで。年齢層も、いつもより幅広い模様。
大戦時10代前半で、ギリギリ兵隊にならなかった年代の方々がいらっしゃったので、当時の世相は勉強するよりわかっている、というかんじで質問が飛び交います。
基本的には、今回は、最初お話を聞きたいとおっしゃった方が中心で、周りは思い思いにメモを取りながら便乗して聞いている、という形でした。せっかくだから、ということで、カメラも回したため、自然発生的収録会の様相になりました。

聞き取りの中心がボランティアスタッフではないため、聞き手の関心がいつもより強く表れているかんじがありました。お話の中身は、以前の聞き取りとだいたい同じでしたが、やはり新しいエピソードも出てきました。
個人的関心で繰り返し聞き取りにうかがっているメンバーの場合も、こんなかんじなのかもしれません。
史料館のお客様の個人的関心によるものとはいっても、一応、戦場体験放映保存の会を通してのことなので、体験者の方との信頼関係を考えて少々ハラハラドキドキなこともあります。それでも、こういった自然発生的聞き取りができるのは、喜ばしいことだと言えるでしょう。
全国キャラバン隊「夏の陣?」の日程調整が進行中です。
現時点で決まっていることを発表します。

8月上旬:西東北(秋田・山形+宮城?)
8月9日(月)~13日(金):高円寺・中野でイベント
8月14日(土)~19日(木):東東北(青森・岩手+福島?)
8月20日(金)~26日(木):北海道(旭川~札幌周辺)
8月28日(土)~9月5日(日):信州・北陸(長野・新潟・富山・石川)

各チームそれぞれ1週間前後の日程で、できるだけかぶらないように考えています。
信州と北陸は、少し長めに日程をとって、まとめて1回にしています。信州では、首都圏の戦場体験者の方と一緒に旅をする、「出張交歓会?」のようなイベントも入ってくる予定です。
東北は、特に体験者の方大募集中です。

ひきつづき、詳細が決まり次第、お知らせしていきます。
昨日「玉砕」ということを考えたところで、そういった激戦地のことについて少々、これまでの聞き取り経験をもとにお話します。
全滅した部隊の生き残り、ということについて。

「全滅した」ということは、全員亡くなったということになりそうですが、そういう戦地から帰還された方もいらっしゃいます。数字でいうと数%と推定されるということですので、意外といらっしゃるもののようです。が、今でもご健在な方となると、さらにその中の数%になってきます。なかなか巡り合えないものです。
なのですが、ありがたいことに、戦場体験放映保存の会は、そのなかなか巡り合えない方が、けっこう登録してくださっています。

私しょうみー(仮)は、保存の会では比較的新しいメンバーですので、聞き取り経験はまだそう多くはありません。
それでも、「玉砕の戦場」と言われる戦地の方の体験は何度か伺ったことがあります。
部隊が全滅したはずの戦場で、どうして生き残られたのか?というのは、とても気になることですが、これも体験者の方によって状況が違っています。

・圧倒的不利な戦闘中銃を持つ手を撃たれて負傷。自決しようとしたが、弾が出なかった。撃たれたときに自分の銃の弾丸が抜けていたのに気付いていなかった。
・自分の部隊のいた場所が敵の集中砲撃を受けた。全滅したと報じられたが、実はその前日にその場所を移動していた。
・隣の小隊は小隊長が突撃命令を下して飛び出し、全滅。自分の小隊は、小隊長が違う指示をした。

こういったお話がありました。
また、部隊が最後の激戦地に向かう直前に病気やけがで病院に入られていたという場合などもあります。
たくさんの方に聞き取りをしていくと、もっといろいろなお話が出てくると思います。

「部隊が全滅=その部隊の兵士は死んでいるはず」ということで、ご家族に戦死の知らせが届くもののようです。
それで、先月定期収録会でお話を伺った方のように、帰ったらご自分のお墓が立っていた、ということもあります。終戦後、ご本人が復員されているところに戦死の知らせが届いた、という場合もありました。
こういったエピソードから、大戦末期の時代の状況も垣間見えます。

無事に帰還できたことを恥じて、ご自分の体験を隠されている場合もあるようです。
しかし、激戦地から生きて帰ってきていただいて、その方にお話をうかがって初めて、その戦場の実際がわかるものなのです。その戦いで亡くなった戦友のことも、その方にしか語れません。
生還されたことに感謝しつつ、聞き取りを続けていきたいと思います。
ゴールデンウイーク中に3回忌の法事は済ませていたので忘れそうになっていましたが、今日が祖父の命日でした。
祖父が他界したころの時間に、天気雨が降りました。お参りするには遠いので、その場で、「忘れてないよ」と、心の中で呟きました。

玉砕した部隊の方々は、ほとんどが、玉砕の日が命日になるのだということを、保存の会の活動を始めてから意識するようになりました。
原爆や空襲で、同じ日にたくさんの方が亡くなったことは、小学生ぐらいのころから知っていたわけですが。「玉砕」という言葉は知っていても、同じ命日の兵士の方がたくさんいらっしゃるということは、あまり意識したことがありませんでした。
一方には、いつどこで亡くなったのかもわからない方もいらっしゃいます。
ご家族の方とは、遠く離れたところで亡くなっていることがほとんどでしょうから。
あるいは、戦場となった場所で暮らされていた方は、一緒に自決された場合もあったでしょう。

元陸軍中尉だった祖父は、幸いに、復員して故郷に帰り、90歳を過ぎて、家族・親戚に看取られました。(私は、そこにはいませんでしたが)
祖父の記憶の中には、おそらく、たくさんの戦友たちの命日が刻まれていたのだろうと思います。

戦場体験者の方々が語られる記憶の中には、やはり多くの戦友たちの命日が刻まれているだろうことに、今日は改めて思いいたったのでした。