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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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65年前の私たちの戦場体験を放映保存する
元兵士の連絡所


元兵士から孫世代まで、ご連絡をお待ちしています
※質問、疑問などもお気軽にお問い合わせください
電話 03-3916-2664
※戦場体験史料館開館時間=火・木・土・日・祝日の10時~17時
FAX 03-3916-2676
e-Mail senjyou@notnet.jp
※FAX、Mailは24時間受付
住所 〒114-0023 東京都北区滝野川6-82-2
     戦場体験史料館内・元兵士の連絡所

戦場体験史料館までの道順
来週、6月8日(土)に、聞き取りがあります。

13:00から一緒にお食事、14:00から聞き取りです。
最寄り駅 小田急多摩線 栗平駅
ビルマの体験者の方(インパール作戦?)
お食事処での聞き取りなので、数名同行可能の見込みですが、ご飯代が必要だと思われます。

同行希望の方は、保存の会事務局にお問い合わせください。

今回、大手資料館からご紹介いただきました。
保存の会は聞き取りを行う範囲が広い(というより、今や大戦関係のお話は何でも聞く態勢)ですので、今後も体験を話したい方、取材してほしい体験者の方をご存知の方、ぜひお声がけください。
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今週末4月13日(土)、以下のような聞き取りが予定されています。
参加希望の方は、保存の会事務局までお問い合わせください。

【日時】4月13日(土)14時頃~
【場所】
  京浜急行線 金沢文庫駅付近
【話し手】
 海軍 瑞鶴、大和田通信隊など
 1944(昭和19)年1月 15歳で防府海軍通信学校入校
 1944(昭和19)年2月 横須賀海軍通信学校
 1944(昭和19)年3月 鈴川海軍通信隊 特信班(海軍軍令部特務班)教育
 1944(昭和19)年10月 第70期普通科練習生 卒業
            空母・瑞鶴 配属
  乗艦後6日ほどで、レイテ沖海戦で瑞鶴は沈没
  10名ほどの新兵が乗っていたそうです
 1944(昭和19)年11月 大和田海軍通信隊配属(現新座市~清瀬市)
 1945(昭和20)年9月 復員
昨日に引き続き、先日の慶良間諸島への旅の報告を転載します。

◆◆◆

長くなったので、渡嘉敷編はメールを分けることにしました。
といっても渡嘉敷は聞き取りはなく、慰霊祭のみの参加です。

渡嘉敷の慰霊祭に参加するのは3年連続、最初の年は本島に住む
体験者の方の参加にご一緒しました。
昨年もその方とご一緒のはずが体調を崩されて一人で行くことに。
その時に島に住んででフィールドをしておられた岩手大学の麦倉先生が
慰霊祭後「語り継ぐサロン」を開催して下さっていて
その場で知り合ったお2人を含めた3人から昨年は聞き取りをしました。

そこで今年。遠方ですから迷いましたが、
話を聞くだけ聞いたら来なくなるのもなんだなあと思い今年も伺ったところ、
島を離れたはずの麦倉先生がさらにバージョンアップされた「語り継ぐサロン」を
開催、今年は村の教育委員会の後援がついていました。
私の方もおばあから数年ぶりに島に戻ってきた役場の人に「この人は
毎年慰霊祭に来てくれる親せきみたいな人」と紹介されるまでに成長し…(笑)

座間味や阿嘉は慰霊祭は5年に一度で、もう先が長くないのだから
毎年やって欲しいという声を体験者から伺うのですが、渡嘉敷は毎年開催されていま
す。
私たちが沖縄に行き始めたころはやっていなかったような気がするけど??
と何となく疑問に思っていたのですが、今回のサロンの挨拶で
33回忌で一度止めた後前の村長さんの時に復活させたことを知りました。
確か当時山中で生まれた方だと伺ったことがありますが、今年の慰霊祭では
新しい村長さんが「初の戦後生まれの村長になりますが」と挨拶をしておられまし
た。

サロンに参加している人のほとんど、まして体験者世代の島民は全員知り合いですか

サロンそのものは私のためにやってくれているんじゃないかぐらい
麦倉先生の積み重ねに乗っかっている申し訳なさはあるのですが
(実際に今年も新しい聞き取りのお約束をしましたし、
サロン様に用意されていた島言葉の地名が入った地図も頂いてしまいました!)
麦倉先生の生活史を含めた穏やかなフィールドワークの積み重ねと
話を出来る場所があり、そこに役場の人が顔を出したり後援をしたりする状況の中
いろいろな人が話をしていく土壌が醸成されてきているのを肌感覚で感じました。

島の若い人がそのサロンに足を運ぶまでにはまだ段階が必要そうですし
(式典には地元の小中学生が参加しています)
各家庭での語り継ぎがどの程度か私には分かりませんが、
話す場所づくり、環境づくりの効果を見る思いです。

親せきと言われてしまった以上、少なくともあのおばあが慰霊祭に出られる間は
私も毎年通うことになるのだろうなという予感。
慰霊祭の翌日が91歳のお誕生日でしたけれど、イノシシに負けず畑も続ける
グランドゴルフの名手なので、あと5年や10年は行くことになるのかもしれません。
とりあえず来年の3月28日は土曜日であることを確認しています!
(土曜日でも村の行事ってやるよねえ)
先日沖縄慶良間諸島に行ってきたメンバーの報告がメーリングリストに流れていましたので、転載します。
まずは3月27日(水)の、座間味島と阿嘉島です。

◆◆◆

皆様へ

今年は3月恒例の沖縄キャラバンと言うほどのものはなかったのですが
私は27日に座間味島、阿嘉島(あかじま)に、28日は渡嘉敷の慰霊祭に行き、
阿嘉島の部隊で炊事班にいた宮平梅さん(96歳)のお話を座間味のデーサービスで
阿嘉島の少年義勇隊にいた垣花武一さん(89歳)のお話を阿嘉島で伺うことが出来ました。

この部隊の炊事班にいた島の女性は6名、少年義勇軍は、島に戻っていた
旧制中学1年生と島の尋常学校高等科の少年たちで構成された18名だったそうですから
ともに「もう他に話せる人はいないかな」と言いながらの聞き取りでした。
もともとは昨夏の沖縄でのゆんたくイベントにいらして下さった方の取材に
12月に伺ったところ、年の離れたお姉さんと、従兄弟を紹介いただき
わらしべ長者?の様になった経緯です。

阿嘉島は座間味・渡嘉敷から船で15分ほどの島で、座間味・渡嘉敷同様
日本軍が駐留し、米軍が上陸してきたのですが
二つの島のように集団自決は起こりませんでした…と思っていましたが、
実際のお話を伺うとこれは偶然も多く重なった幸運で
住民に手りゅう弾は配られており一か所に集まって待機
(12月の方のお話では別途住民を狙う機関銃も据え付けられていた)。
最後のお伺いを戦隊長にたてに行った時、米軍が上陸後徹底的には攻め込んでこないので
「もう少し待て」と言ったところ、それを伝える防衛隊員が「戦隊長が中止と言ってる」
と伝えたため、死ぬ空気になっていた住民は一気に息を吹き返したというお話でした。

またそこにいくまでも、梅さんは手榴弾が足りないので崖から飛び降りるつもりで
移動していたら、たまたま知り合いの朝鮮人軍属に会い住民の集結場所を教えられたとか、
武一さんの方もその夜切り込みたいの道案内の命令が一度出てまた手榴弾が配られたものの
年長の切り込み隊長(戦死)の判断で、少年たちは連れて行かないことになったとか
それぞれが紙一重の経験をしておられました。

また自決は起こらなかったものの、そこから8月23日の投降まで
島民と兵士ともどもの飢餓との戦いが起こります。
島のものは一木一草も勝手に取ってはならないという戦隊長命令が出され
実際に自分が植えた作物を採った島民が激しい暴行を受けているので
自決にならない道筋を作ったと言え島民の戦隊長への評判は非常に悪いのですが
一方で飢えているということで言えば島の生活のノウハウのない一般兵士の方が
島民より酷かったとの話でした。

このほか島ではおにぎりを盗った濡れ衣で朝鮮人軍夫7名が処刑されていますが
(病気などを含めて亡くなった朝鮮人軍夫は12名)、梅さんは実際に盗んだ
日本兵も知っていて、処刑後の遺体もつぶさに見ておられました。
また日本人の老夫妻がスパイの疑いで殺されていますが
これは今回話して下さったお二人の親族で、武一さんは路上に放置された
ご遺体を見ておられました。

何かと陰惨さのあるお話ですが、一方で集団自決が起こらなかったので
いろいろお話にタブーがないのだなという感じはありました。
戦隊長は戦後島を何度か訪れ、いろいろ経過はあるものの
最終的にはスパイで殺されたご夫婦の遺族に頭をついて詫び、
武一さんも「水には流さないけれど許す気になった」と。
戦隊長は「その当時はそれが正しいと思っていた」と話したそうですが、
自分の子供たちからも「お父さんは沖縄で何をしてきたのだ」と
激しく責められていた、亡くなるまで毎年お供えを送ってきて
それは一つの気持ちなのだとは受け止めていたとのこと。
陸士を出たと言え20代の戦隊長が判断、背負えるものについては
考えさせられるところもありました。

本当は阿嘉島に泊まればまだまだお話の続きがあったのですが、
民宿は春休みの観光客でいっぱいで16時の最終高速船に飛び乗り帰って来ました。
出航15分前にお話を断ち切り、目の前のケラマジカの写真も撮らず、
港まで全速力でダッシュ! 島で宿もなく取り残されるとどうしようもないので…。
島にはマルレの壕も残っており、もう一度お話を聞きに行きたいと思っています。
3月28日、渡嘉敷島の慰霊祭を訪れたメンバーの、保存の会公式twitterへのつぶやきをまとめます。

2019年3月28日 2:47
今日は渡嘉敷村の慰霊祭でした。初めての渡嘉敷の聞き取りで「ギョクサイバ」と聞いた時、固有名詞で呼ばれていることと、音の響きににギョッとしました。慰霊祭の後にあった集まりで、明日91歳の誕生日のおばあがいて、思いがけずみんなでハッピーバースデーを歌いました。写真はお供えのケラマツツジ
渡嘉敷島 ケラマツツジ


2019年3月28日 2:48
死ぬのは恐くないから、もう先に死んでいるほうがいいという感じだから。だけど手榴弾が、兵隊の経験はない叔父さんだったけど、自分で持って破裂させたから、自分の手がみんなとんで叔父さんだけ亡くなったわけ(渡嘉敷Iさんのお話より)