あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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沖縄キャラバン2017、3日目3月25日(土)の様子です。
保存の会メーリングリストに流れた、わりとリアルタイムレポート(当日ではないけれどもまだ沖縄にいる間に報告されたもの)を転載します。その2でまとめたメンバーDのつぶやきのやや詳細版となります。
文中の日付はブログ係が挿入しました。

◆◆◆

沖縄キャラバンも今日(3月27日)を含めてあと2日。
前半に入ったメンバーは昨日までに帰京、あと3名が残っています。
この数日は日中は最大4班に分かれて聞き取り、
夜には沖縄料理店に集合して一日のそれぞれの聞き取りを報告しあう毎日です。

一昨日(3月25日)の私は午前中は恩納村でサイパンで孤児になった大城スミ子さんの聞き取り。
7人家族が避難途中ではぐれ収容所で誰かと再会することはありませんでした。
平和な頃のサイパンのお話は、おそらくは沖縄よりかなり豊かで、
牛車で家族で沖縄の同じ地区の出身者の集りに出かけたこと
かまぼこやそうめんを売るお店があったこと、牛も豚も鶏もヤギも買っていたこと、
亡くなった弟さんたちの世話をするために遊べないのが不満だったことなど
大家族の賑やかな様子が伝わってきました。

だからこそそれが一人ぼっちになってしまったお話の落差は大きく、
祖父や祖母がいらしたり、孤児の方としてはご親族も親切な方だったと
ご本人も話しておられたとおりだとは思うのですが、
「どんなに良くして貰っても、お母さんがいたら違ったのではないかと
我儘な気持ちが出て来て」と、行っていいよと言ってはくれたけれど
遠慮する気持ちがあって中学も途中でやめてしまいました。

沖縄で孤児になったご主人と結婚、8人の子供をもうけ今は幸せだと。
たまたま東京の従妹が新聞記事で訴訟の事を教えてくれて
自分のような思いをするものは作りたくないと加わったそうです。
お昼には、もずくのてんぷらやパパイヤや昆布を炒めた家庭料理をごちそうになりました。

その日の午後は嘉手納でテニアンで孤児になった喜瀬光子さんの聞き取り。
午前中の大城スミ子さん、今回全体をお世話になった会の大城絹枝さんもご一緒してくれました。

大人数で出かけたのは、近く公判でも陳述をすることになっている喜瀬さんが
裁判も私たちへの証言も自信をもちきれずにいるのを後押し?するため。
戦後苦しさを誰にも言わず全部自分で抱えてきた喜瀬さんは
小学校にもほとんど行けなかった事もあり、とても迫真のお話なのに
ずっとご自分に自信が持てなかったり前向きの気持ちになりにくかったりするそうなのです。

遠い親族に世話になるのが心苦しく、11歳で孤児院に一人で行って
入れて下さいと言ったけれど親戚がいるなら駄目だと断られたと。

戦争が70年以上たっても影響を与え続けていることを感じずにはいられない時間でしたが
午前中の大城スミ子さんに出会って励まされておられたことや
今日は良かったと最後は少し笑顔をみせていただけたことは救いではありました。

今日は午前中は首里で、午後は北上してうるま市まで行きます。
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順番がだいぶ前後していますが、沖縄キャラバン2017が始まった日に保存の会メーリングリストに流れたスタート宣言メールを転載します。
沖縄キャラバン2017についての解説、ともいえるもので、証言一覧ページでもこれがあったほうがいいだろうと思いますので。
本格的な証言概要は、パネル作成に向けてゴールデンウイークに入るころから飛び交うようになると思います。
今のところは、旅の期間中にメーリングリストにリアルタイムレポートで上がっていたものを、遅ればせながら転載します。

3月23日(木)夜に流れたメールです。

◆◆◆

皆様へ

本日から沖縄キャラバンが始まっています。
私は明日の夜の沖縄入りですが、今日から2名が聞き取りに当たってくれており
23日から~28日までで7名のメンバーが五月雨式に参加、
20数名の皆さんのお話を聞かせていただくことになっています。

今回のキャラバンですが、「沖縄・民間戦争被害者の会」の全面的なご協力のもと
会員の皆様たちのお話を聞く予定です。
この会は沖縄戦、南洋戦(移民が戦争に巻き込まれたサイパン、パラオなど)の
民間人の被害者の方々が、救済を求める国賠訴訟と、
民間人を対象とする恒久的な援護法制定を目指し活動しています。

沖縄戦については空襲とは違い、軍人軍属だけではなく、
ひめゆりのような学徒隊や鉄血勤皇隊、防衛隊、さらには集団自決や壕の追い出し
の被害者などが「準軍属」として補償の対象になっているのですが、
3人以上の現認が必要など厳しい条件があり(←周りが皆亡くなっていると証明できない)
民間人を補償される人とされない人に2分する結果になっています。

その結果としてなのでしょうが、今回の聞き取りでは今までなかなか接点を持てなかった

戦争孤児の方、後遺障害を負った方などが多くいらっしゃいます。
また沖縄から移民の多かった、サイパンやパラオの体験者・孤児の方のお話も
伺っていくことができそうです。
またご報告していきます。
沖縄キャラバン2017、6日目3月28日(火)の様子です。
保存の会公式twitterでのつぶやきを、日付ごとにまとめます。

メンバーDのつぶやき

昨日は330名が亡くなった渡嘉敷の集団自決から72年、当時を知る方と島の慰霊祭にご一緒させて頂いた。同世代の姿は決して多くない。写真は彼女が生まれ育った阿波連の海。知り合いの息子という民宿の親父さんが、与太話をしながらコブダイの刺身を振舞ってくれた。慰霊祭のバスが出ますと村内放送

沖縄キャラバン20170328D
沖縄キャラバン2017、5日目3月27日(月)の様子です。
保存の会公式twitterでのつぶやきを、日付ごとにまとめます。

メンバーDのつぶやき

今日の午後はバンザイクリフの生還者。5歳の少女が半ば本能的に、生きる選択を選び取っていく過程に胸を打たれた。「3、4歳までなら親の言うなりだもんね」。真黒な船の間いっぱいに遺体が浮いていたこと、水だまりをバシャバシャと遊ぶように米兵の手から逃げ回っていたことを覚えている。

3歳上のねえねえは、「秀ちゃん手榴弾で死のう」と言っていたが、妹が捕まるのが聞こえてきたので、どうせ死ぬなら妹を一人にもできないと投降した。くぼみから引き上げてくれたのは日本兵で、「生きれるだけ生きてみなさい」と言われた。写真は聞き取り後立ち寄った伊計島の海。

沖縄キャラバン20170327D-1

バンザイクリフの生還者による「カメ―カメ―攻撃」は、なかみ汁と、大根・豚肉・きくらげなどの煮物に、苦菜と豆腐の和え物など。お正月や催事には必ず作る献立らしい。

沖縄キャラバン20170327D-2
沖縄キャラバン2017、4日目3月26日(日)の様子です。
保存の会公式twitterでのつぶやきを、日付ごとにまとめます。

メンバーDのつぶやき

沖縄キャラバン4日目。宮古島出身のTさん。集落中の女性も小学生も、飛行場整備に駆り出された。6歳ながら健康優良児で郡下2位のTさんも参加。ある日滑走路の穴に飛行機の車輪が引っかかり、集落の皆で自動車を押すように飛行機を押したのが忘れられない。友軍機を見たのはその1度だけだった。

別の日、Tさんは、飛行場の作業中に機銃掃射を受けて両足に貫通銃創を負った。この日、同じ飛行機の攻撃で1人の女の子が死亡、3名の子供が負傷した。3歳上の女の子は上腕がもげかけていてなたで落とした。Tさんもこの子も、宮古島には米軍の上陸はなかったからと援護法の補償は適用されていない。

沖縄キャラバン4日目。Tさんのお話や口調は明朗だが、しばしば口をつぐんで何かを見ておられる。今日はその沈黙の向う側に行くことが出来なかった。