あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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65年前の私たちの戦場体験を放映保存する
元兵士の連絡所


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昨日5月13日(土)からの沖縄ミニキャラバンについては、昨夜23時頃にメールが来ました。

結局14時過ぎに沖縄に到着。(本当は9時半には着いている予定だった)
世話役をしてくださっている大城さんと、訴訟団の野里さんは、飛行機の到着をずっと待っていてくださったそうで、4時間半遅れはだいぶ大変だっただろうと思います。
16時ごろに体験者の方のお宅に到着し、渡嘉敷島集団自決の体験を聞き取り。19時ごろまで。
それから20時半から夕食をとりつつ、「沖縄の戦争展」に向けての打ち合わせ。
3名ほど、「戦場体験者と出会える茶話会」に参加いただく体験者の方が候補として挙がったのですが、これからご本人と調整となるようです。

もう1名のメンバーの様子はまだ届いていません。
順調なら昼ごろに那覇到着していたはずですが。

今日も聞き取りの調整を試みていただいたものの、実現に至らず、メンバーは昼過ぎの飛行機で那覇を立ち、東京に戻ったようです。

聞き取りについては、保存の会公式twitterに少しつぶやかれていますので、併せてご覧ください。
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今日明日でボランティアメンバー2人が沖縄に行って、聞き取りと「沖縄の戦争展」の打ち合わせをしてくることになっており。
朝6時過ぎに、間もなく離陸の連絡が来ました。
と思ったら、昼前に、「鹿児島にいます」というメールが来ました。荒天のため、那覇に着陸できなかったそうです。九州も大雨だったはずですが、東京まで引き返さなかったのをよしとするべきでしょうか。
お話をしてくださる方の都合上、どうしても今日行く必要があるので、沖縄に向かうのを待っているようでしたが、その後は連絡が来ていません。

予定通りなら、今日は1名が渡嘉敷島集団自決の体験者の方のお話を伺い、もう1名が南洋戦の体験者の方の聞き取り、夕方から「沖縄の戦争展」の打ち合わせ、ということになっているところですが。
連絡がないということは、現在(20:20頃)打ち合わせ中ということなのか。
最終的にどうなったのか、続報を待ちたいと思います。
沖縄キャラバン2017、3日目3月25日(土)の様子です。
保存の会メーリングリストに流れた、わりとリアルタイムレポート(当日ではないけれどもまだ沖縄にいる間に報告されたもの)を転載します。その2でまとめたメンバーDのつぶやきのやや詳細版となります。
文中の日付はブログ係が挿入しました。

◆◆◆

沖縄キャラバンも今日(3月27日)を含めてあと2日。
前半に入ったメンバーは昨日までに帰京、あと3名が残っています。
この数日は日中は最大4班に分かれて聞き取り、
夜には沖縄料理店に集合して一日のそれぞれの聞き取りを報告しあう毎日です。

一昨日(3月25日)の私は午前中は恩納村でサイパンで孤児になった大城スミ子さんの聞き取り。
7人家族が避難途中ではぐれ収容所で誰かと再会することはありませんでした。
平和な頃のサイパンのお話は、おそらくは沖縄よりかなり豊かで、
牛車で家族で沖縄の同じ地区の出身者の集りに出かけたこと
かまぼこやそうめんを売るお店があったこと、牛も豚も鶏もヤギも買っていたこと、
亡くなった弟さんたちの世話をするために遊べないのが不満だったことなど
大家族の賑やかな様子が伝わってきました。

だからこそそれが一人ぼっちになってしまったお話の落差は大きく、
祖父や祖母がいらしたり、孤児の方としてはご親族も親切な方だったと
ご本人も話しておられたとおりだとは思うのですが、
「どんなに良くして貰っても、お母さんがいたら違ったのではないかと
我儘な気持ちが出て来て」と、行っていいよと言ってはくれたけれど
遠慮する気持ちがあって中学も途中でやめてしまいました。

沖縄で孤児になったご主人と結婚、8人の子供をもうけ今は幸せだと。
たまたま東京の従妹が新聞記事で訴訟の事を教えてくれて
自分のような思いをするものは作りたくないと加わったそうです。
お昼には、もずくのてんぷらやパパイヤや昆布を炒めた家庭料理をごちそうになりました。

その日の午後は嘉手納でテニアンで孤児になった喜瀬光子さんの聞き取り。
午前中の大城スミ子さん、今回全体をお世話になった会の大城絹枝さんもご一緒してくれました。

大人数で出かけたのは、近く公判でも陳述をすることになっている喜瀬さんが
裁判も私たちへの証言も自信をもちきれずにいるのを後押し?するため。
戦後苦しさを誰にも言わず全部自分で抱えてきた喜瀬さんは
小学校にもほとんど行けなかった事もあり、とても迫真のお話なのに
ずっとご自分に自信が持てなかったり前向きの気持ちになりにくかったりするそうなのです。

遠い親族に世話になるのが心苦しく、11歳で孤児院に一人で行って
入れて下さいと言ったけれど親戚がいるなら駄目だと断られたと。

戦争が70年以上たっても影響を与え続けていることを感じずにはいられない時間でしたが
午前中の大城スミ子さんに出会って励まされておられたことや
今日は良かったと最後は少し笑顔をみせていただけたことは救いではありました。

今日は午前中は首里で、午後は北上してうるま市まで行きます。
順番がだいぶ前後していますが、沖縄キャラバン2017が始まった日に保存の会メーリングリストに流れたスタート宣言メールを転載します。
沖縄キャラバン2017についての解説、ともいえるもので、証言一覧ページでもこれがあったほうがいいだろうと思いますので。
本格的な証言概要は、パネル作成に向けてゴールデンウイークに入るころから飛び交うようになると思います。
今のところは、旅の期間中にメーリングリストにリアルタイムレポートで上がっていたものを、遅ればせながら転載します。

3月23日(木)夜に流れたメールです。

◆◆◆

皆様へ

本日から沖縄キャラバンが始まっています。
私は明日の夜の沖縄入りですが、今日から2名が聞き取りに当たってくれており
23日から~28日までで7名のメンバーが五月雨式に参加、
20数名の皆さんのお話を聞かせていただくことになっています。

今回のキャラバンですが、「沖縄・民間戦争被害者の会」の全面的なご協力のもと
会員の皆様たちのお話を聞く予定です。
この会は沖縄戦、南洋戦(移民が戦争に巻き込まれたサイパン、パラオなど)の
民間人の被害者の方々が、救済を求める国賠訴訟と、
民間人を対象とする恒久的な援護法制定を目指し活動しています。

沖縄戦については空襲とは違い、軍人軍属だけではなく、
ひめゆりのような学徒隊や鉄血勤皇隊、防衛隊、さらには集団自決や壕の追い出し
の被害者などが「準軍属」として補償の対象になっているのですが、
3人以上の現認が必要など厳しい条件があり(←周りが皆亡くなっていると証明できない)
民間人を補償される人とされない人に2分する結果になっています。

その結果としてなのでしょうが、今回の聞き取りでは今までなかなか接点を持てなかった

戦争孤児の方、後遺障害を負った方などが多くいらっしゃいます。
また沖縄から移民の多かった、サイパンやパラオの体験者・孤児の方のお話も
伺っていくことができそうです。
またご報告していきます。
沖縄キャラバン2017、6日目3月28日(火)の様子です。
保存の会公式twitterでのつぶやきを、日付ごとにまとめます。

メンバーDのつぶやき

昨日は330名が亡くなった渡嘉敷の集団自決から72年、当時を知る方と島の慰霊祭にご一緒させて頂いた。同世代の姿は決して多くない。写真は彼女が生まれ育った阿波連の海。知り合いの息子という民宿の親父さんが、与太話をしながらコブダイの刺身を振舞ってくれた。慰霊祭のバスが出ますと村内放送

沖縄キャラバン20170328D