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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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今更ではありますが、それでも年が明ける前に、浅草茶話会2019での実際の茶話会実施状況をまとめておきます。
すでに記憶が飛んでいるところがあり、今回はホワイトボードに書く形でなかったので、リアルタイムの変化が残っていません。(変な話ですが、あらかじめ時間割を作成して張っている場合のほうが、記録が残っていないのです。)
本来、こういう記憶勝負のものは早めにやっておくべきだし、今後はもう少し変更を記録しておくようにしたいと思います。
他のメンバーから間違いの指摘があれば修正します。

◆◆12月6日(金)◆◆

●1日3回茶話会
◆10:30~
学徒出陣・97歳(体調により)
仏領インドシナ衛生兵・96歳
シベリア抑留・94歳(1回目)
東京大空襲、駅の子・85歳(1回目)

◆13:00~
隼操縦士・96歳(1回目)
滑空飛行戦隊で朝鮮、カザフスタン抑留・92歳
シベリア抑留・94歳(2回目)
択捉島蘂取村・91歳(その1)
加治木空襲(鹿児島)、米兵との交流・87歳(1回目)
東京大空襲、駅の子・85歳(2回目)

◆14:40~
船舶特別甲種幹部候補生で豊浜・94歳
択捉島蘂取村・91歳(その2)
東京大空襲被災直後召集、シベリア抑留・94歳(1回目)
隼操縦士・96歳(2回目)
神戸空襲・86歳
東京大空襲、駅の子・85歳(3回目)

◆◆12月7日(土)◆◆

◆10:30~
千島列島、ルソン整備兵・95歳
ソ満国境での戦闘、抑留・96歳
シベリア抑留・94歳(3回目)
中国3000キロ・95歳(1回目)
ミンダナオ島・94歳(1回目)
少年飛行兵・航空総軍司令部通信班・93歳(1回目)
東京大空襲、駅の子・85歳(4回目)

◆13:00~
瑞鶴、大和田海軍通信隊・90歳(1回目)
中国3000キロ・95歳(2回目)
ジャワで爆撃機操縦訓練、敗戦後緑十字機・91歳(体調により)
敗戦後も満州で生活、3年後引揚げ・85歳(1回目)
シベリア抑留・94歳(4回目)
東京大空襲、駅の子・85歳(5回目)
少年飛行兵・航空総軍司令部通信班・93歳(1回目)

◆14:40~
戦中・GHQ下速記者・93歳
ミンダナオ島・94歳(2回目)
東京大空襲被災直後召集、シベリア抑留・94歳(2回目)
回天・93歳
瑞鶴、大和田海軍通信隊・90歳(2回目)
敗戦後も満州で生活、3年後引揚げ・85歳(2回目)
東京大空襲、仙台空襲、進駐軍クラブ・88歳

◆◆12月8日(日)◆◆

◆10:30~
隼操縦士・96歳(3回目)
中国で戦闘中捕虜に、モンゴル抑留・95歳
4年間のシベリア抑留・95歳
ミンダナオ島・94歳(3回目)
少年飛行兵・航空総軍司令部通信班・93歳(3回目)
加治木空襲(鹿児島)、米兵との交流・87歳(2回目)

◆13:00~
隼操縦士・96歳(4回目)
日赤看護婦、相武台陸軍病院・91歳(体調により)
テニアン民間人・88歳(1回目)
満州より引揚げ・82歳
関東軍憲兵教育隊、抑留・95歳(日程変更有)
少年飛行兵・航空総軍司令部通信班・93歳(3回目)
東京大空襲・88歳(3回目)
仙台空襲で足を失い傷痍軍人に・96歳

◆14:40~
ラバウル偵察員・96歳
ミンダナオ島・94歳(4回目)
テニアン民間人・88歳(2回目)
葛根廟事件・84歳
朝鮮半島より引揚げ・87歳
東京大空襲、義父が傷痍軍人で寝たきり・85歳
東京大空襲・88歳(4回目)
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浅草茶話会2019、展示パートとして手記の展示を行いました。
2日目から、各展示ボードにQRコードを設置、それを読み込めば、お手持ちのスマホなどで手記の全ページのPDFを見ることができるようになっていました。

保存の会HPである「戦場体験史料館・電子版」の中にあるのですが、トップページからは今のところリンクしていません。
どちらかというと、イベントに参加できなかった方のほうが見たいものだと思います。
個人的に、昨日の忘年会で確認すべき第一の事項としていたので、アップロード担当者に聞いてみました。
資料館・電子版の中に、手記関連のPDFをまとめたリンクのあるトップページを作る作業が入るので、もう少しかかるということです。
何しろ、保存の会の活動はボランティア。それぞれ本職を持っているので、年末は特にそちらで慌ただしいのです。
ということで、年末年始の休みに入ったら作業をする予定とのことです。
年内には手記のページが出来上がると思われます。

もうしばらくお待ちください。
2019/12/16(月)

浅草茶話会2019では、12月7日(土)、8日(日)の3回目の茶話会終了後に、交流座談会を行いました。
お客さんの中で希望者を募り、この先戦争体験を語り継いでいくことについてを中心に、意見交換などを行いました。
1回目の7日(土)は、10人ほどでこぢんまりとやっていましたが、2回目の8日(日)は、30人余りが集まりました。
スタッフも半分以上が参加して、内容をちゃんと聞いておこうということになり、この日は私もフル参加していました。

福井や長野など、遠くから来てくださった方が目立ちました。
福井の方は、福井で空襲を語り継ぐ会に参加されている若い女性で、福井でも茶話会ができないだろうかと相談もされていたのですが。
やはり、若いメンバーが自分だけという状況でどうすればいいのかに悩んでいるということでした。
長野からの方は、体験者の方の息子世代と孫世代の間ぐらいかなと思われる男性でした。
長野の新聞で茶話会を知って来てくださったのですが、浅草公会堂貸し切りというのを見て、どんな巨大な団体だと思われたようです。「どっちでも嫌だなと思った」との一言が印象的でした。
実際には、常にスタッフ不足に喘いでいる、右も左もウエルカムな結果全体として無職というか中性というか、そんな団体です。
その辺がやはり馴染んでいただけるポイントであったようです。
その、長野の新聞にもイベント紹介が載ったのは、共同通信の配信のおかげでして、書いたのは別の方ですが、共同通信の記者の方も参加してくださっていました。保存の会とは長い付き合いです。

というところまで書いて、すでにだいぶ忘れていることに気づきました。
1週間余りなのですが、どんどん記憶は薄れていくものなのだなと、記録することの大切さを身をもって感じるところです。

集めた記録が消されないようにしてほしいという声がありました。
保存の会のビデオの保存のこと、ネット上に上げて、全て消すことなどできないほど拡散してもらおうと思っていることなど、事務局長が説明していました。
集めたものの活用の仕方もこれからさらに広げていきたいということで、結論が出るには至りませんでしたが、今後また意見交換を続けてふくらませていきたいと思えるひと時でした。

こちらも、映像記録は撮ってあるので、後日レポートが出てくると思います。
まっとうな報告ができず、すみません。
参加してくださった皆様、ありがとうございました。
浅草茶話会2019では、12月7日(土)、8日(日)の3回目の茶話会終了後に、交流座談会を行いました。
お客さんの中で希望者を募り、この先戦争体験を語り継いでいくことについてを中心に、意見交換などを行いました。
といいつつ、1回目、12月7日は、いつものようになんとなく茶話会の余韻が続いていて、各テーブルの体験者の方の周りに人が集まっているかんじでした。
もうこのまま放っておくか、という気配もあったのですが、8日は必ずやることにしていたので、リハーサルとしてやってみることになりました。
その時点で、すでに予定開始時間をオーバーしていました。
残っている方の中で、興味をもっていただけそうな方に声をかけて集まっていただきました。
実のところ、ブログ係、1回目はほとんど参加していないので話の内容があまりわかりませんが、ひとまず雰囲気を書いておきたいと思います。

ミンダナオ島の体験者坂上さんの茶話会が行われた後のテーブルでスタート。
始まってだいぶ長いこと、坂上さんのお話が継続していました。
参加者はわりと若いお客さんが多く、教育に関わる方々が積極的に発言されていました。
どちらかというと、現状報告というかんじです。
私がしばらく離れている間に、いつの間にか、沖縄の学校の話が始まっていました。
なんか、功刀先生みたいな人がいるなあ、と思っていたらご本人でした。
たまたま沖縄から東京に出ていたタイミングだったとのことです。
沖縄の学校での平和教育について話をされていましたが、これからというところで18:00ごろになり。
スタッフとしては、会場の時間を延長したところだったのですが、残念ながらお開きとなりました。
この日だけ参加できるという方もいらっしゃったので、できたのはよかったと思います。

その後、さらに残れる方も一緒に、晩御飯に出掛けまして、その方々は、保存の会の初期メンバーとがっぷりで、深い話が進んだようです。
意見交換はまたそれなりの時間を確保してやる余地があるだろうか、と思いました。

座談会の様子はビデオに記録してあるので、後で内容をまとめた報告もあるのではないかと思います。
浅草茶話会2019について、昨日、保存の会事務局からメーリングリストに報告メールが流れました。
これで全体の状況がわかると思います。転載します。

◆◆◆

皆様へ

6~8日浅草で開催した茶話会が無事終了しました。
遅くなりましたが、ご来場いただいた皆様、ありがとうございました!
スタッフの皆様、本当にお疲れさまでした!!

3日間で約400名が来場、前半は雨もあり少し出足が鈍いと感じましたが
日曜は天気にも恵まれ人出はどんどん増え、昨年に比べて来場者数は減っているのですが
イベント、会場、スタッフのキャパとしてこれぐらいで十二分というふうにも思います。
体験者は病欠も出ましたが、33名が話しました。

今回は浅草では初めてブースを設けましたが、格段にお話が聞こえやすくなり好評でした。
一方で視界がかなり狭まり、運営や警備スタッフが回遊魚の様にブース周囲を回り続けるはめに。
とはいえ全体としては人の移動が減り各ブースの集中力が上がったように思います。

リピーターの多さは以前からで、趣味の会みたいになっていくならどうかと思っていましたが、
各地で活動をしている老若や、語り部を始めた戦争を知らない世代、
出版、映像制作などに関わる方等々様々な方の交差点になっているようで、
それなら体験者探しの場になっている事も含めて悪くはないのかなと思いました。
それに毎回来て今回も来ようと思うのが3年も4年も続くのはありがたい事ですね。

個人的には、仙台空襲で片足を失くされた日佐戸さんのテーブルの一番前に
仙台空襲を経験したおばあさまが座られて(彼女はお兄さんがフィリピンで戦死したので
ミンダナオの話を聞きたくて来場されたのですが)、光景が一つ一つ思い浮かぶと
涙しておられたのが印象に残りました。
他にも遺族、遺児の方は幾人もみえていました。

手記の展示は、2日目からですがQRコードを付けてネット上の全文を読めるようにしました。
すごく活用されたという訳でもありませんが、そういう展示室の中と
証言アーカイブをつなぐとか、記念碑とアーカイブをつなぐというような形は
今後開拓すべき畑の一つと思っています。

またこの一年で寄贈頂いた品々も展示しましたが
静岡からの戦争遺児の方とそのお子さん、お孫さんたちのご一行や、
嫁がれた娘さんたちが順番にいらっしゃったケースなど
喜んで頂くと同時にご家族の中で改めて戦争体験と邂逅して頂けたのも
印象的な事でした。

最終日は、第4部として、戦場体験を語り継ぐことについて語る茶話会を開催
すぐに答えが出る話でもありませんが、多くの方が熱心に残って頂き
取り組みや悩みを話しました。
こちらはアンケートの分析などとあわせて改めてご紹介したいと思います。
なお富山の方から地元で茶話会開催を出来ないかご相談があり
こちらも来年度の事業について考える中で検討させて頂ければと思います。

以上取りあえずのご報告でした。