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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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65年前の私たちの戦場体験を放映保存する
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戦場体験史料館までの道順
少し前に、保存の会公式twitterのリツイートで、長崎の民家から三・一運動の独立宣言書が発見されたニュースが目に入っていました。
そういえば、今年はその三・一運動から100年なのだなと気づきました。
ちょっとした個人的事情により、中学時代、駆け足で進められた歴史の近代の部分で、この運動の年月日は頭に残っていました。

大韓帝国初代皇帝高宗(李太王)が急死し、その葬儀が1919年3月3日に行われることになっていたのが直接のきっかけであるようです。
この日に向けた3月1日に、宗教家たちが中心になって、公の場で独立宣言を読むことを計画、実行。
独立宣言は、朝鮮が独立した国家であること、及びその国民である朝鮮人民が自由であることに重きを置いたものですが、日本から独立した先に、日本と対等な友好関係を結ぶことを望む、平和的なものであったようです。
この独立宣言から始まった運動は、市の立つ日に合わせたデモなどで展開し、都市部から農村にまで広がっていきます。
しかし、やがて暴徒化して破壊行為が行われる場合も多くなり、それと前後して日本による武力鎮圧も行われました。
多数の検挙者を出しながら終息していきますが、この運動の結果、日本の朝鮮統治が武力によるものから文化統治へとだいぶ変化し、ある程度の成果を残したとされるようです。
今も朝鮮では祭日になっているようです。

日本で5.15事件や2.26事件などが、大戦とのつながりの中でとらえられるように、朝鮮にも大戦に向かう歴史と切り離せない出来事があるわけです。
正直、歴史の授業で記憶に残っていたのは独立宣言の出された年月日だけでしたが、日本の中学校の教科書の中で扱われているということは、確かにそれなりに影響力のあった出来事だったということであり、大戦とのかかわりの中でとらえられていたということなのだろうと思います。
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明後日、択捉島の体験を伺うので、真珠湾攻撃ごろの択捉島について確認しておこうかと思いました。

wikipediaによると、1941年11月20日に、突如情報統制が始まったとあります。真珠湾攻撃当日の12月8日まで。
「海軍により突如、あらゆる船の島への入出港が禁じられ、また島唯一の紗那郵便局は通信業務を停止させられて電信機には常時、水兵の見張りがついた。」
そして単冠湾に南雲忠一中将率いる航空母艦6隻を含む軍艦30隻の機動部隊が秘密裏に集結、真珠湾攻撃のため11月26日にハワイへ向け出港。
このあたりについては、真珠湾攻撃に参加されたパイロットの故城武夫さんからお話を伺いました。
明後日のお話で、このときの択捉島の住民側から見た状況を伺えればよいと思います。

真珠湾攻撃の奇襲が成功したのが、この結集が米国に気づかれなかったからだとしたら、情報統制は功を奏したことになるのでしょうか。
ソ連も近いわけですが、全く気付かれないものなのでしょうか。
海戦を見ていくと、本当にお互いに気づかないものであるようで、現代の目から見ると不思議な気がします。

華々しい勝ち戦のスタートを切った場所ですが、戦争が終わりに近づくにつれて、兵力は本土決戦要員に引き抜かれていきます。
日本の降伏調印がなされる日、ソ連が侵攻してきて、そのまま実効支配が続くことになり、その問題はいまだに解決されずにいるのです。
今日11月11日は、「世界平和記念日」となっています。
ヨーロッパでは休日になっている国もあるようです。今年は土曜日なので、たまたま休みのところも多いと思われますが。

これは、第1次世界大戦の停戦記念日にちなんで設定された記念日であるようです。
1918年11月11日、パリ郊外コンピエーニュの森に停車中の食堂車2419Dの車内で、マティアス・エルツベルガーを代表とするドイツ軍代表団が連合軍との休戦協定に調印、ドイツの敗戦により大戦が終結するわけです。
「世界大戦」と呼ばれるだけあって、ヨーロッパのみならず世界中を巻き込んで戦われ、かつてない規模の被害を生んだ戦い。犠牲者もこれまでとはけた違いでした。
その悲劇を繰り返さないために、ということで、国際連盟の発足が提案されることにもなりました。
日本も、このときは戦勝国の一つであり、やがて国際連盟の常任理事国ともなりました。

しかし、日本ではこの日はあまり注目されていないと思います。かく言う私も最近(2ヶ月ぐらい前?)に知りました。それから、今日はそのことについて書こうと思っていました。
というか、第1次大戦自体があまり日本では意識されていない気がします。
第1次大戦の始まった日は1914年7月28日。オーストリアからセルビアへの宣戦布告が大戦の始まりにあたります。
1914年は中学校の歴史の授業前後から知っていましたが、日付は先ほど確認して知りました。
これについては、8月15日や原爆投下の日ほど知っているべき日という空気もない気がします。

それは、世界大戦といっても、第1次大戦はヨーロッパの戦いであり、日本は同盟国だった英国との関係で参戦したものだったため、本土には被害が出なかったというのが大きいと思います。
むしろ、第1次大戦中は、直接戦禍に見舞われない位置だっただけに、同盟国に軍需品の補給をすることで景気がよくなっていました。さらに、戦勝国として得たものもありました。
米国も同様でした。
戦闘による死傷者は出ていますので、被害がなかったとはいえません。
それでも、日本国民が戦争の悲劇を実感することにはならず。それは幸いなことではありました。

しかし、第1次大戦中の日本の行動が、やがて世界から孤立するきっかけともなっているわけで。
歴史としては、第2次大戦とのつながりをもう少し意識するべきなのかもしれません。
75年前の今日1942年10月26日~翌27日にかけて、南太平洋海戦が行われていました。

ガダルカナル島にある米軍のヘンダーソン飛行場に対し、日本陸軍第17軍が総攻撃を仕掛けることになり、海軍はその支援に当たりました。
それを阻止しようとする米軍の空母機動部隊との間で起こったのが南太平洋海戦でした。日米双方の機動部隊どうしの戦いです。
お互いに索敵に力を入れていたようで、日本軍も空母翔鶴にレーダーを搭載していたということです。それにより、効果的な防空ができたということなので、ミッドウェー海戦の失敗に学んだ部分ともいえるかもしれません。

戦闘経過については、wikipediaその他ネット上の情報を見ても、知識が足りないと状況が頭に入ってこないので、現時点ではあまり詳しく書けません。(頭が働くときに勉強します。)
結果としては、艦のほうを見ると、米軍の空母 ホーネット、駆逐艦 ポーターが沈没したのに対し、日本軍は沈没艦なし、日米双方空母・駆逐艦・巡洋艦それぞれ4隻に損害が出たということで、日本軍の勝利ということになります。
一次的にアメリカ太平洋艦隊が展開する空母戦力が無くなりました。
一方、航空機搭乗員の戦死が、日本軍148名、米軍39名。日本軍は、ここで多くのベテラン搭乗員を失ったことが、その後の戦闘で致命的となります。これ以後、実戦経験のほとんどない搭乗員が前線に出ることになり、航空戦で大敗が続くことになっていきます。

海戦のきっかけとなった陸軍の総攻撃のほうは、不十分な装備とジャングル対策の不足により失敗。
指揮系統の混乱の中、勝利の誤報が飛び交い、さらに混乱を招いていたということです。
兵員と物資の不足を補うべく、11月には大輸送が計画されるのですが。
それによって第3次ソロモン海戦が勃発。辛うじて2000人を上陸させるも、物資はほとんどが焼失し、ガダルカナル島は「餓島」飢餓の島となっていくのでした。
急に選挙が行われることになり、「戦場体験者と出会える茶話会」in大阪もいろいろ影響を受けたようです。
体験者の方から選挙についてコメントをもらおうというマスコミの取材もいくつか来ていました。
取材に来ていた記者さんたちは、かなり本気でお話を聞いていらっしゃったようですが。

さて、18歳から投票できるようになったのも、もうあまり話題に上ることもなくなったように思うところですが。
投票権の拡大という話になると、5年ほど前、当時早稲田大学の准教授だった(現在は大阪大学)北村毅先生の特別講義を思い出します。法政大学で行われた沖縄についての連続講義の1回分でした。
沖縄戦では県民の4分の1が死亡したと言われますが、幼い年代の死亡率が特別高かったというのを、様々なデータで説明されていました。
一方で、後に極東裁判で裁かれた政治家の年齢についても出されており。
つまり、沖縄戦で亡くなった県民の多くは、選挙権を持たない年齢だったという視点での話がありました。
現役の学生は単位がもらえる講義ということもあって、学生の年代に合わせた話の展開だったようです。選挙権を持つ前後の年代です。
その後、18歳選挙権が現実のものとなりましたが、沖縄戦での犠牲者の多くは、それでも選挙権を持たない年齢です。

というのを思い出したのは、大戦中の今日10月16日は何があったのかというのを調べたからです。
1944年10月16日、陸軍特別志願兵令改正(17歳未満の志願を許可)とありました。
同じ年の10月10日には、沖縄では10・10空襲があり、いよいよ空襲が日本に及んできた時期。10月19日にはアンガウル島が玉砕、そして、これからレイテ沖海戦が展開され、フィリピンの戦いも始まろうという時期です。
17歳でも選挙権はありませんが、さらにそれより若い年齢でも、志願をして軍隊に入ることが法的に認められたのでした。軍隊に入るということについては、もっと若くても立候補可能となったというと、皮肉が入りすぎでしょうか。
こうして志願した中で生き残った方々は、戦後72年の今年、80代で、実際に戦場に出た体験を語られることになっているわけです。

実際、体験者の方々へのインタビューがどんな記事になったかは確認できていませんが、選挙で何を選択するのかという以前に、選挙権があるということについて一度考えてみたほうがいいのではないかという気がしました。
ちなみに、ブログ係、22日は帰省中のため、昨日期日前投票してきました。