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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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65年前の私たちの戦場体験を放映保存する
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戦場体験史料館までの道順
寒の戻りで、雪になるかと言われた本日。
冬服を着こんでいて暑くなかったので、実際だいぶ寒かったということでしょう。
当ブログを書き始めて間もないころに、やはり4月に雪が降ったのを思い出して、いつだったかと過去の記事をたどってみたところ、2010年4月17日でした。9年前の今日より1週間後ですね。
さだまさしさんの歌「戦友会」のことを考えたのとセットで覚えていました。
今日はそのさださんの誕生日です。
昨年、ナガサキピースミュージアムに展示でお世話になったので、いっそうご縁を感じるところです。

さて、今日は天皇陛下の60回目の結婚記念日でもあります。
この間昭和館の展示を見に行って初めて知りました。平成も終わろうというころになってです。
そのときも、さださんの誕生日だなあと思って記憶しました。
初めて皇太子(当時)が民間から花嫁を迎えられるということで、だいぶ話題になり、ミッチー旋風が巻き起こったというような話は、聞いたことがありました。
昭和の時代にご結婚され、平成をお2人そろって過ごし、そして、お2人そろって次の令和の時代を迎えられることになり。
明治以降、両陛下がお2人そろって新しい元号を迎えられるのも初ということになるわけですね。
それも、大戦以後の日本だからであり、日本が当事者となる戦争がなかったからでもあります。
国家元首でないとしても、日本が当事者となる戦争において、天皇というのは戦争責任を問われる立場となるのでしょうから。
両陛下がいつもお2人で笑顔だったのは、平穏な時代の象徴だったのだなと思います。

これからの時代も、平穏であることを願います。次の両陛下も、1つの元号を最後までともに平穏に笑顔でいられるように。
あの大戦の多大な犠牲の果てに訪れた平和であることを思いつつ、改めて身をもってその悲劇を体験するまでもなく、この平和の意味がずっと人々の心に刻まれているように。
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本日で、ブログを書き始めて9年経ちました。
毎年、また1年毎日書けるのだろうか、と思いながら、どうにか今回も、毎日投稿を続けたままこの日を迎えることができました。
ここまで来たら、10年まではいきたいものです。とか言うと、フラグのようなのでほどほどにしておきましょう。

最早この日に何を書けばいいのかもよくわかりません。
昨年書いたのを読んでみたら、内容をすっかり忘れていました。こんなこと書いたんだったか?と本気で首をかしげる始末です。

保存の会のとあるメンバーは、自分だけでなく他の人が取材した人まで、体験者の方のほとんどを記憶していましたが、さすがに最近、限界数を越えたようで、思い出せないことが出てきたと言っています。
私の場合も、それにあたるのかもしれません。
そろそろ、何を書いたのか、書こうと思っただけでまだ書いていないのか、よくわからなくなってきました。
書いたものを読んで、本気で「これ、ほんとに自分が書いたのか?」と思ったのは、今日が初めてでしたが。こういうこともこれから増えていくのでしょうか。
記念日のいくつかは、忘れないようにしているものの、それもいつまで続くのか。
そういう点でも、来年ちゃんとこの日に「10年経ちました」と書いているかどうか疑わしいのです。

記憶というのはそういうものだとしたら。
自分の中で処理できないほどの死者や悲劇を見たとしたら、やはり許容量を超えて思い出せなくなることもあるのだろうか、などと、妙なことを考えてしまいました。
あまりにそれが日常になると、死体を見ても何も感じなくなる、という話はよく聞きます。
一人一人の話には、そういう要素も入ってくるもので。
だから、できるだけ多くの方のお話を集めることで、記録を確かなものにしていくのですが。
一人一人の体験は確かにあったものであり、数の向こうに埋もれさせるべきものではないのです。

読み直すことで、思い出すように。
何度でも、その話にスポットを当てることで、確かになっていく記憶もあるのだと思います。
例えば介護施設での聞き取りで、そういうところで効果があったら、ご本人のためにも、周りの方のためにもなるのだろうな、ということも考えます。

と、考えが広がってとっちらかっていくのは悪い癖でもあり、それがアイデアのもとでもあり。
ともかく、いろいろと余計な情報まで含めて飽和しつつも、当ブログの記録も積み重ねていくことになります。
また新しい年度が始まりました。
そして、今日、新元号が発表されました。
今のところ、平成31年度のスタートであり、令和元年のスタートではないことになるのだと思いますが。
ともかく、2019年度のスタートです。

保存の会は、元号が変わって早々の5月4日、5日に、大井町のきゅりあんでの茶話会を控えています。
チラシが出来上がったようです。
参加される体験者の方もすでに20名を超えているということで、あとはお客さんの入りとスタッフの数が心配、という状況です。
すでに新元号での活動が進んでいます。

今年度は、基本的には、茶話会も聞き取りも、小回りを利かせていろいろなところで小規模に数をこなすという方向です。
戦場体験に触れる機会をより身近にしていくことになりそうです。
いろいろと、いきなり決まるということも増えるのかもしれません。
ともかく、新年度、平成が終わっても令和が始まっても、保存の会は戦場体験を遺す活動を続けていきます。
本来は昨日書くべきだったのでしょうが。
1945年3月23日、沖縄戦に先駆けた、米軍の本格的な沖縄空襲が始まりました。
このとき、沖縄県内の中学校・女学校の学徒隊が、軍の中に入り、戦場に駆り出されていきました
そこから、6月23日(今は22日のこととされていますが)牛島満中将、長勇中将の自決により、組織的戦闘が終わるまで、ちょうど3ヶ月、沖縄は激戦にさらされることになりました。
その後も沖縄の各地で戦いは9月まで続きます。
そして、今なお解決しない様々な問題を抱えることになります。

こうしてみると、「23日」というのは、沖縄戦の組織的戦闘の始まりと終わりにあたります。
前に書いたことがあるかどうか記憶が定かでありませんが、慰霊の日6月23日と12月23日はちょうど半年違いです。
12月23日は、現在の天皇誕生日です。今年は年号が変わり、平日ということになるようですが。
そして、次の元号の天皇誕生日は2月23日になります。今年はまだ平成なので、祝日ではありませんでした。
今年は天皇誕生日がないのだな、というのと同時に、どこまでも偶然ですが、23日という日付が気になりました。

戦争においては、ある日付を狙って作戦が行われることも少なくないようです。
ちょうど何ヶ月後に、という形もあります。
極東裁判にも、12月23日という日付が関わっています。
新しい元号の時代に、23日が新しい戦争の作戦に関わる日付となる、といったことがないように願います。
同時に、例えば23日には、あの大戦の激戦の1つを振り返る、というのも1つなのかもしれないと思います。

というのを、24日になって書いているようでは、あんまり説得力がありませんが・・・
東日本大震災から8年が経ちました。
震災発生時刻ごろは、仕事で対応中だったので、黙とうというわけにはいきませんでした。
全国的に黙とうを呼び掛けられることもなくなった日常。
被災された方にも、同じように日常が訪れるとしたら、それは前進したということになるのだろうけれど。時の流れが止まらない以上、立ち止まっていられなかったという状況も少なからずあるのだろうと思います。
日常の中、傷は消えることはなく、あの日から何年、という数字は増えていく。その時を知らない人も増えていく。
「戦後は終わり、震災後が始まった」という約8年前の言葉には釈然としないけれども、戦争直後から復興に向かう時代と、震災後の今は重なるのかもしれないと思います。
忘れたい、けれども忘れてはならない、葛藤が生々しいという点で。
復興が進む中で、大切なものを失った方々が、「取り残される」ように感じられるとしたら、どうすればいいのか。
「あの時」の被災が、その後の生き方に影響を及ぼしている場合、その現実をどうすればいいのか。
ケアを行うことができなければ、70年以上が過ぎても、苦難が続く場合があることは、大戦によりその後の人生も苦難に晒されることになった方々の姿から、想像することができるのではないでしょうか。
悲しい記憶は消えることがなくても、被災者の方々がそれ以上の傷を背負うことのないよう、助け合える形が必要なのだと思います。