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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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65年前の私たちの戦場体験を放映保存する
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戦場体験史料館までの道順
女子学徒隊と看護婦さんのDVDはまだ手元に来ません。
そして、こちらの準備もあまり進んでいません。

62師団しばりはどうかと考えていたのですが、62師団の戦いのルートを追いかけるのは、実は難しそうです。
戦史叢書は持っていないので、ちゃんとした動きを自分で確認はできないのです。
そこまで正確なものは必要ないのかもしれませんが、せめて62師団関連の書籍は持っておきたかったと思います。
とはいえ、本命の本はどれも売っていないのですよね。経済的にも余裕はないし。
それがあるはずのところに行くにも、平日は無理だし、今日明日で必要な部分をピックアップしてコピーしてもらうというのも難しく。

ということを、今日、試しに62師団の沖縄での動きをここに書いてみようかと考えて気づきました。
なんというか、気づくのが数年遅いかんじです。

沖縄本島各地の戦いについて確認して、女子学徒隊の動きとつなげられそうならつなげるというのが限界でしょう。
そもそも、DVDの状況からして、やっぱり今確認できる方々の映像からピックアップするのが現実的そうです。
沖縄戦展も回を重ねていますが、各部隊の動きというのについては、証言頼みなのだよな、というのを今更実感しました。
まあ、半端な情報は控えたほうがよいのだろうし、今後時間をかけて調べなおすということにしましょう。

ということで、ひとまず、手元にある3名分から、展示パネルと見比べながら、エピソードの抜出をするということにします。
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毎年、沖縄戦展の前には、会場近辺を中心に沖縄料理店を回り、チラシを置かせていただいています。
そういうとき、置いてもらえる店と断られる店には、はっきりした傾向があるようです。
チラシを置いてもらえるお店は、店主またはオーナーが沖縄出身の場合です。沖縄出身者による沖縄料理のお店です。
置いてもらえないお店は、本土資本のお店です。たまたまそのとき沖縄料理店なだけで、その後同じ経営者がアジアン料理の店などに変える場合も見られます。
沖縄戦展のチラシを置いてもらえるかどうかは、そのお店が、元祖沖縄県の人によるお店かどうかの判断基準になるレベルといえます。

沖縄が好き、沖縄の文化が好き、というのにもいろいろということではあるのでしょう。
沖縄の歩んできた(今もその影響下にあるわけですが)苦難の部分にまで目を向けるのかどうか、ということになるでしょうか。
食べに寄るお客さんも、別に沖縄の歴史とかはさておき、うまい沖縄料理が食べられればいいというのは確かなのでしょうが。
一歩踏み込んで、沖縄のことを知ろうとするきっかけが、もっと手軽に得られればいいと思います。

都下全ての沖縄料理店を回ることはできないというか回れないところのほうが圧倒的に多いので、チラシがないお店は本土資本ですよとまでは言えませんが、沖縄戦展のチラシがあるお店はウチナーンチュのお店であるという目安にはなりそうです。
年1回投稿の祖父の命日シリーズ、ついに10回目を迎えました。
だから何ということもありません。そして、今回は何を書こうと思っていたのか忘れました。
自分自身が10年年を取ったとはいえ、この手の物忘れをするには早い、と思いたい。

とりあえず、令和に入って最初のこの日ということになります。
昭和も2つ前の時代になりましたが、祖父が生まれた大正は4つ前の時代になりました。
大正3年生まれの祖父は、たたき上げで少尉候補者になり、士官学校に行ったりもして、軍人として身を立てようとしており、終戦のころには、30歳を越えていました。
根こそぎ動員でなければ、一般的な兵士だったら、歳がいってる部類になります。
終戦時には中尉なので、一般的な兵士というのとは違って、このくらいの歳でもそんなにおかしくはないでしょう。

このあたりの感覚が、現在、ちょっとぴんと来づらいところかもしれないと思います。
30代は、本来、兵士としての役割が回ってこないはずの年齢。
それが、赤紙とともに徴兵されていくことになるのは、戦局が厳しいということを示しています。
そして、45歳までの根こそぎ動員を経て、本土決戦の際は1億玉砕を掲げることになり。

30代40代でも若々しくなった昨今。
もしも徴兵制があるとしたら、最初からこの世代も対象になるのでしょうか。
戦争がないのなら、韓国のように一定の年齢になったら2年ぐらい軍隊に入って、というので務めを果たすことになるのかもしれませんが。
そういうことを想像することも、日ごろはほとんどないのは幸いなことなのでしょう。
しかし、あの大戦の時代のことを、今に引き付けて考えるとどういう状況がリアルなのか、というのは、戦争の話を聞く前提として考えたほうがいいのだろうか、とふと思いました。

大戦の時代、大正2桁生まれは、平均寿命が20代と言われていたというのを聞いたことがあります。
大戦期にちょうど20代前半にあたる人たちです。
昭和1桁前半も志願や学徒動員で戦場に出ていきました。
大正から昭和に移り変わる時代の生まれは、みんな20代で死ぬ前提でいたということで。

それよりも10年ぐらい上の世代の祖父のことから、話が妙な方向に行きました。
さて。昭和から平成に変わるころの生まれの人は、現在、ちょうど20代~30代です。
そして、平成から令和に移り変わる今の時代に生まれた人が20歳を迎える頃には、どうなっているのでしょうか。
脱線した勢いで、何かヒントが見つかればよかったのですが、どうもうまくつながりませんでした。
6月22日、23日に八重洲ブックセンターで開催の沖縄戦展、これまでも何度か簡単に触れてきましたが、映像パートについては、とりあえず3つテーマが立っています。
〇沖縄戦を戦った兵士
〇女子学徒隊
〇民間人の戦争被害

それぞれ、一応の担当を決めて、どういうものにするのかを考えているところです。
だいたいは、実際に聞き取りを行ったメンバーが中心になっています。

女子学徒隊については、私が担当で、昨日のようにいろいろとリアルタイムで考えています。
複数の学徒隊の体験をつかったものになる予定です。
実は、私は女子学徒隊の方の聞き取りはやったことがありません。
イベントなどでお話を聞いたことはあるぐらいで、証言映像フルバージョンは、ほとんど初見です。
それが、今回の作業をいっそう困難にしているところでもあるのですが。
一方で、映像を使った茶話会の形を一番最初にはっきりさせたのは私でした。
これは、他のメンバーとの作業量の違いによるもので、まあ、私が一番、イベント運営そのものに対する作業は少なかったので、早く形にできたということですね。
と、ちょっとぐらいアピールしておかないとやっていけないのですが、横道にそれました。

沖縄戦を戦った兵士については、体験者の方お一人の映像を扱います。
62師団の近藤一さんです。
5月の拡大事務局会議の時点では、基本的には、先日の映像を使った茶話会と同じような形になりそうでした。
担当者が司会進行役となってリクエストに応じて映像を流すというものです。
その後の経過は聞いていないので、変更もあるかもしれません。

民間人の戦争被害については、障害、孤児、PTSDなどテーマごとに体験者の方を1人ずつ選んで、それに関する部分の証言をピックアップして全体で1時間~1時間半ぐらいにまとめるかんじのようでした。
戦時中のみならず、戦後の話も入ってくることになると思われます。
これは、その1時間~1時間半映像を流しっぱなしにする形になりそうでした。

それらをどういう時間割で流すのかがまだはっきりしないので、なんとなく漠然としていますが、証言映像のいろいろな使い方が見られることになると思います。
悪戦苦闘を表面化させつつ、沖縄戦展の映像パートを考えています。
沖縄戦のタイムラインと、それぞれの方の体験証言を結びつけることができないかな、という方向で、ひとまず考えてみています。
昨日は、通勤途中で、テーマとして「学徒隊からみた沖縄戦」というかんじだろうか、と考えたのですが、あまり具体化はしていません。

先日の映像を使った茶話会で使った資料は、
1.宮城巳知子さんのパネルの縮小版
2.宮城さんの配属場所の変遷を簡単にまとめたものと映像ラインナップ
3.沖縄戦の米軍侵攻地図に宮城さんの配属場所などを示したもの
4.沖縄戦年表
の4ページ構成でした。

米軍侵攻とポイントとなる戦闘のあった場所と、宮城さんの移動経路がどうつながっているのかが伝わればというので考えた構成でした。
年表は、32軍が沖縄に創設されてから、正式な戦闘終結の調印がされるまでに起こった沖縄戦関連のことをびっしり並べて、やたら字が小さくなりました。
こちらは、戦闘と移動の状況に加えて、学徒たちが軍に配属されることになる背景を、制定された法令と結びつけて見られればということで、あえていっぱいいっぱいまで詰め込んでいます。
といいつつ、サイパン玉砕を入れなかったので、次回、同様のものをつくるのであれば、これは入れておこうと思います。

そういうわけで、沖縄戦の経過に沿った形で、女子学徒隊の証言を配置できないだろうかということを考えたのですが、どうもうまいこと結びついていないところです。

この間の会議の時点では、看護活動、学友の死、南部への撤退、解散命令などの共通テーマごとに証言を切り取って並べようかと考えたのですが、同じテーマばっかりまとまった時間見るより、1人の証言の全体がわかったほうがいいのだろうか、などとも考えて、ぶれています。
複数の学徒隊が出るのなら、同じような局面で並べるというのは普通の流れではあるのですが、1人分10分ぐらいずつだとして、最大4人ぐらいまで。となると、できるだけ違う部隊に配属された学徒を並べるのがいいのか、となります。
しかし、宮城さんの証言とのつながりを考えると、どうしても62師団配属の2つの学徒隊をそろえる必要があり。
だったら、元兵士枠がやはり62師団の方になる予定だから、いっそ62師団しばりでいくのはどうか、とも考え。
それだと、中部の戦闘とのつながりがわかりやすくはなりそうです。
今回に限ったテーマとしてはありなのだろうか、とも少し考えるところですが。

むしろ、民間人被害者枠のように、だいたいのテーマや局面で1人ずつの証言を紹介するほうが、全体としてはわかりやすいし、広がりもあるだろうか、ということで、沖縄戦のタイムラインごとに証言を配置するという方向が出てきたわけです。
正直、それが一番、今回やる作業は少ない気がします。どの局面でどの学徒隊の証言を使うのかを決めれば、その部分だけ、映像全体の何分から何分までにあるのかを調べればいいということなので。
今後何度もその映像に作業が発生するということにはなりますが、今回を乗り切りつつなんだかんだ一番わかりやすいのは、それのような気がします。
パネルにまとめたものとは違う部分を使うことになる場合もありそうですが、そのほうがお得感もある?のかもしれません。いやどうだろう?

ひとまず、そういう方向で、もう一度、パネルになった女子学徒隊全員の証言をひととおり見てわりふってみるか、というところです。
今、書いていて、多少整理がついてきたような気もします。
しかし、これでいくと、間に説明を入れた講座のような形にしたほうがいいのだろうか?とも感じてきました。
私はあんまりそういう講師役は得意ではないのですが。
ともかく、そういうかんじで、この際、映像をどう使うか悩んでいる状況を、当ブログで実況することにします。

実のところ、昨日の愚痴を書くのに、普段より時間がかかっておりまして。
日々の発信と、本番に向けての作業を両方やると生活が圧迫されるので、いっぺんにやれるようにしてみようかと、今思いました。
旅の準備を書いていくのとそう変わらないはず。
ということで、公式発表的な動きがあれば優先してお伝えしますが、この手の投稿もしばらく多くなると思われます。