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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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65年前の私たちの戦場体験を放映保存する
元兵士の連絡所


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     戦場体験史料館内・元兵士の連絡所

戦場体験史料館までの道順
今朝、台風が近くにいるらしい長崎を後にして、空港に向かいました。
73年目の終戦記念日の正午は、空港で迎えました。
台風もものともせず、終戦記念日の気配もない、日常がありました。

平成最後の、今上天皇最後の終戦記念日になりますが、おことばに「長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という文面が加わったというのを、帰ってきてから見ました。
何の気配もない日常は、あるいは平和であることの象徴であるかもしれません。
明日自分に同じような日がやってくると疑わない日々。
例えば、特攻に飛び立とうとしていたパイロットなら、自分がこれから死ぬということを疑えない時間。
戦場で飢えや病に倒れた兵たちにすれば、もうどれだけ自分に時間が遺されているかなどわからない。
民間人でさえ、空襲警報が聞こえたならば、次の瞬間の自分の命はわからない。
自分の余命が20代前半までだと思っていたようなものだったという話もあります。

ただ何事もなく生きていられて、飛行機が民間人の旅のために飛ぶ。
これが73年続いたことは、確かに世界的に見たら稀有なことなのかもしれません。
そのことを、改めてかみしめる。
この日はそういう意味も持っているのかもしれないと、ふと思いました。

この「〇年目の終戦の日」が、果てしなく繰り返されていきますように。
1945年8月15日が、最後の終戦の日でありますように。
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長崎原爆の日です。
今年は今週末から長崎に展示をしに行くので、一際身近に感じるこの日です。

11:02には黙とうをしました。
実は、日ごろからこの時間をふと目にすると、しばし目を閉じています。
長崎駅から近い、大きな観音像のあるお寺では、毎日11:02には鐘を鳴らすのだというのを現地で見たのはもう27年ぐらい前のことになります。
さだまさしさんの8月6日のコンサートに行った翌日、たまたま行きつきました。
フーコーの振り子があり、原爆瓦なども展示されている不思議なお寺でした。
その後、まったく関係のないところでこのお寺が檀家だという人に出会い、運命とは妙なものだと考えることになるのですが。
ともかく、このお寺では、その時間にそこにいた人も鐘をつくことができるようなことが書かれていたと思います。今もそうなのでしょうか。

毎日、その時間に目を閉じる。
「いつも心に原爆を」ではないですが、日々少しの時間でも思い出し、平和を祈るのは、それが何かに影響を与えるわけではないとしても、悪くない習慣なのかもしれないと思います。
被爆者の方は、あれから被爆者でなかったときはない、という言葉も思い出します。
政治に対して口を出すのは無色から外れるかもしれませんが。
政治を行う人たちこそ、そうであったらいいのではないかと思います。
例えば8:15と11:02には、1分間会議を止めて黙とうをしたら?

強制すれば、軍事教練などと同じようになりそうだけれど、などと考えるほどには、私は頭が戦場体験に影響されていますが。
今日も、普段のように、この時間に祈りを捧げるのでした。
台風接近の中家に帰り、ネットを開いて最初に飛び込んできたのは、翁長沖縄知事死去のニュースでした。
67歳。
戦後生まれなので、沖縄戦を直接は知らないけれども、その後の米国施政権下の沖縄を経験したことから強い信条を持たれていたイメージでした。
沖縄県民、住民に不利な条件を飲まなかった先人たちに感謝するなどの発言があったのが、記憶にあります。

保守でありながら野党総力を挙げての応援で知事に当選、オール沖縄を実現した稀有な方で。
本当に、沖縄に根付き、沖縄が豊かになることを願って動いた方だったのではないかと、直接は知りませんが思っています。
先月の沖縄でのイベントも、沖縄県の後援をもらいつつ、知事にも来てほしいと密かに思っていました。
しかし、本当に容体が悪かったのですね。

沖縄戦、沖縄の戦後、それら全て、平和とは何なのかを突き付けてきます。
本土の私たちは、そこに直接触れる機会が少なく、なかなか全容がわかりません。
確かに沖縄戦の先にある今の沖縄。
それを少しでも知り、希望のある方向を探していくことは、日本のこれからにもつながることだろうけれど。

誰しもに平等に訪れるものは、たいへんに理不尽であると思いました。
政治の場にある人について語るのは、無色の団体としてどうなのかというのはありますが、色というものを超えて、失いたくない人物が旅立たれたことが、今は悲しいです。
最近、予期せぬ災難に見舞われたりで、滞り気味でしたが、長崎での展示用に、保存の会の活動報告パネルを作りつつあります。
しかし、いきなり画像の配置の仕方を忘れているという、ボケぶりで、思いのほか時間がかかっています。普段使わない能力は退化するにもほどがあります。

活動報告といいつつ、写真を配置していっているだけで、まったく大したものではないのですが、普段やり慣れていないとどうもうまいこといきません。
なのに、本当にやろうと思ったら、やたら枚数があるのです。
2010年からのイベントの数だけ、など、もはや不可能です。
というか、写真もそこまではそろっていません。そして、なんというか、日本各地で同じようなことをやっているので、同じような写真になってしまうのです。
こういうのも、キャラバン報告の課題だろうかと思うところです。

ともかく、やろうと言い出したのが遅かった。
そんなにスペースがあると思っていなかったので、いつも展示会場で急ごしらえでやっているようなものでどうにかするつもりだったというのか。
そういう考えのもと、言い出さなかったのもよくないのですが、諸々を仕切るメンバーがやることが多すぎてそこまで指示を出すだけの余裕もなかったのでした。

ブログは毎日書いていて、ネタがなくて頭を抱えることもままあるというのに、これ以上何かを増やしたら崩壊するのは目に見えているのですが。
ある程度日常的に、活動報告パネルを増やすというのをやっていくべきなんではないだろうかと、今は思っています。
使うあてはあまりなくても、ほとんど趣味のように、旅の記録をビジュアル化していくほうが、技術的な面を忘れなくていいというのもある気がします。
いつも心に戦争を。なんてなことを、前に事務局長が言ったことがあり、私の場合は「毎日一度は戦場体験」になっているのですが、もう一歩、やらねばならんのだろうか、と思うところです。今だけでしょうが。(をい)
広島原爆の日です。
毎年巡ってくるこの日を、今年も一応の平和の中に迎えることができました。
戦争の中ではない、という意味での、一応の平和です。
次の戦争が始まったなら、前の戦争のことは過去になり、語られなくなると言われるのはその通りでしょう。
あの大戦の終盤の悲劇を思い、平和への願いを新たにする、それができることは、どうにかまだここが戦争を中心とした社会にならずにとどまっているということでしょう。

さて、広島は、先月の洪水で多大な被害を被った地域の一つです。
現在も普通に襲ってくる悲劇に見舞われており、もしかしたら、今日の平和祈念式典やその周辺にも影響があったのかもしれません。
元通りの生活を取り戻すのは並大抵のことではないと思います。
そして、そんな状態の地域がある中で、別の地域も明日は我が身かもしれません。次は自分たちに降りかかるかもしれない災いです。
災害が起こったときに、速やかに救助が行われるのは、平時であるからです。
戦争中は、災害の被害を隠すのも戦略の内となります。
また、助けに来てくれるはずの人が戦場に駆り出されているということも常です。
アメリカでも、ハリケーン「カトリーナ」がもたらした災害の際、救助に来るはずの自治組織の若い男性たちが戦場にいたということがあったといいます。
災害時の警察や自衛隊の活躍を見るにつけ、そういうことを考えます。

災害は予期しきれませんが、被害を最小限にし、復興を助けていく術はあります。
戦争だけではなく、飢えや貧困もないことが、本来の意味の「積極的平和」です。
そして、ただ祈ること、祈る場を守ることは、平和を守ることなのではないかと思います。

原爆の被害に遭われた方々のために祈りを捧げるとともに、本当の平和を願います。