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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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65年前の私たちの戦場体験を放映保存する
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平和のつどい・のだ2019にちょっとだけ行ってきました。
保存の会の出し物の前後で展示を見たかんじです。
記録写真を撮るべし、と思ったのですが、例によってスクリーンが見える暗さに望遠では、なかなかまっとうな写真は撮れず。
保存の会主催ではないので、いつも以上にお客さん写らないようにしており、さらにわけがわからないことになっています。
メンバーが、5人の体験者の方(当時子供)の証言映像を流しつつ、説明を加えているところです。
このときのお客さんは年齢層高めで、地元の方々なのだろうと思われました。前後の時間は若者による出し物もありましたが、私がいた時間が短かったため、遭遇しませんでした。
我が家から野田はなかなかに遠く、往復でけっこう消耗しました。やはり地域密着型のイベントだと思います。
そういうところから総会などに来てくださる体験者の方に改めて頭が下がりました。

保存の会の映像の前に、1時間ほど、沖縄戦全体についての映像があったようです。
保存の会のパートは、説明をしながら証言映像を流し、最後に質疑応答。
質疑応答の時間は、3名ぐらいの方がご自身の体験(戦争体験ではなく)を踏まえて感想や考えを述べられていました。
後で、「ありがとうございました」と声を掛けてこられる方もあったので、それなりに興味深い内容だと思っていただけたのかなと感じました。

後ろの壁一面が保存の会の証言パネルと写真パネルコーナーでした。
保存の会主催の沖縄戦展よりはだいぶ枚数を絞って、それでも、沖縄戦を戦った兵士、学徒隊、住民、南洋、対馬丸など一応ひととおりのテーマを網羅したものにしていました。

平和のつどい全体では、原爆についてのパネル、日本国憲法制定の経過についてのパネル、いわさきちひろ氏の絵、風刺漫画、といった展示が会議室のスペースごとに展開されていました。原爆瓦、赤紙などの実物展示も少し出ています。
主催者以外が写真に撮るのははばかられたので、そちらの写真はありません。

明日まで開催されています。
お盆休みの最後に、平和について考える機会を持つのもよいのではないでしょうか。
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終戦から74年。
令和になって最初の戦没者追悼式典が行われました。
会場の武道館前に、沖縄から、ガマフヤーの具志堅隆松さんが来られて、ビラ配りをされていたそうです。
保存の会メンバーも手伝いに行っていました。横浜からも手伝いに来た人たちがいたということです。

チラシは、遺族の方々に、遺骨のDNA鑑定を依頼しましょうという内容とのこと。
現在、遺族の側から申し出がなければ鑑定は行われないので、まずは自身のDNA採取して、遺骨のDNAと照合してほしいと申し出ることを勧めるものです。

チラシを配っていたメンバーは、何人ものご遺族と会話したということです。
思想の違いを越えて、遺骨が家族のもとに帰るように、という訴えは受け入れられたようです。

6月の「沖縄の戦争展」での栗原記者の話では、立法も少し動き出す可能性があるようですし、これまで遺骨の身元の特定されずにきた戦地からも、ご家族のもとに帰れる遺骨が増えればよいと思います。
お盆のこの時期、魂だけでなく、この世にあった証も、ご家族のもとに帰れるように。

74年が過ぎようとも、終わることのない戦争の爪痕に、これからのことを考えるこの日です。
個人的メンタルの都合により、本日いつにも増してどうしようもない話をします。

最近、初めて直接会って、また会えるかどうかわからない人からもらったもの(手作り)を、あっという間に誤廃棄してしまい、おそろしくへこんでいます。よりにもよって、それの入った袋を捨てたときの状況をはっきり覚えていて、過去の経験から嫌な予感がよぎったにも関わらず、なぜかいつもはやらない行動パターンでやらかしました。
やらかしたと気づいたのは数日経ってからで、それからもうずっとそれが頭から離れず、胃に穴が開きそうというか、病みそうな状況と言うか、すでに病んでいるのかもしれません。
くれた人とそのモノとに申し訳ないのと、もうそのモノを見ることもできないのが悲しいのとで、うっかりすると突然叫び出しそうになります。
くれた本人を巻き込んでがっかりさせるわけにはいかないので、とても言えないし、言える相手もいないうちに本気で具合悪くなってきたので、全く関係のないここで懺悔します。

ぐるぐると、これをもらった日まで時間を戻したい、捨てた瞬間の自分を止めたい、と、不可能なことを繰り返し考えるのですが。
時間を戻せるのであるなら、取り戻したいものはきっと際限ないでしょう。
たとえば、あのとき見せていただいた資料をくださいと言っておけば、とか、祖父が元気なうちに戦争の話を聞いておけば、とか。
そして行きつく、取り戻したい最たるものは、命ということになるでしょう。
あの事件がなければ、あの戦争がなければ、というのは壮大すぎるとしても、あの日あそこに行かなければ、もう少し時間がずれていれば、ということは、本当に限りなくあるはずで。
でも、人によっては、時間を戻せるなら、あの時をやり直せば勝てる、という発想をするのかもしれません。
その結果、より大きな犠牲が出ることもあり得ます。
時間は、戻せてはいけない。もちろん、戻ることはない。

過去を教訓にして生かすことしかできないのだけれど。
なぜか、普段の自分にはあり得ない行動は、教訓があっても繰り返してしまうものらしく。
何とかの法則なのか、いつもはそうしないのにたまたまとった行動でやらかすというのはよくある話です。
同じくらい、それに救われた人もいるのを、人様の体験を伺っていれば、よく耳にするのも確かなのですが。

よくないことに関しては、できる限り、繰り返しようのないシステムをつくることが必要ということなのでしょう。
どうしたって、ことが起こったそのときから、一生引きずることも多く、取り戻せないことによる傷は消えることがないのだけれど。
それはそれで受け入れるしかなく。
ただ、失ったことにショックをおぼえる感覚さえマヒするようなことが日常にならないように、とは強く思います。

と、へこんでぐるぐると考えすぎて思考が何度もあらぬ方向にいってしまう辺り、気質によるところは大きいといえますが、どうも大丈夫ではないですね。
忘れて前向きに、とはそう簡単にいかないものだと、思い知るきっかけなどなくても思い知っているというのに。
長崎に原爆が投下されてから74年です。
ネットを開くと、有名なキノコ雲の写真に、鹿児島県の串木野空襲の煙が映り込んでいることがわかったというニュースが出ていました。
このところ、鹿児島県出身のテニアンの戦いの体験者の方を長崎で取材したことがある話を書いていたので、特別気になりました。(ニュースサイトのトップページにあった長崎原爆関連記事がこれだけだったというのもありますが)
保存の会が、昨年の長崎での長期展示に続いて、今年は鹿児島でミニ茶話会をやるという状況で、なんだかご縁を感じます。

やはり最近書いているように、鹿児島は特攻隊の発進基地であっただけでなく、真珠湾攻撃の訓練が行われたところでもあります。
真珠湾攻撃は、航空機による戦闘の有効性を世界に知らしめた作戦だったといわれているようです。
航空機による戦闘の有効性を示した日本は、ミッドウェー以降逆転され、敵の戦闘機・爆撃機に苦しめられる立場となります。
日本の航空機を使った作戦の行きついた先が特攻。
敵の航空機によってもたらされた甚大な被害の最たるものが原爆。
そう考えると、だいぶ皮肉なことだと感じます。

そして、その苦しみは、新しい形の戦争の始まりでした。
日本の敗戦後も、航空機による作戦と核の脅威は続いていきました。

キノコ雲の写真を解析された長崎総合科学大の大矢正人名誉教授は、「全国各地の空襲体験と原爆被害を関連づけて、平和の大切さを伝えていく視点が今後は重要になる」と語られたそうです。
私の場合は、関連付けるを通り越して無理やりこじつけている感もありますが。
さらに、空襲・原爆につながる出来事も、関連して考える余地がありそうだと思います。

原爆・戦争の記憶をつないでいくことを意識しつつ。
犠牲者の方々の苦しみが少しでも救われることをお祈りいたします。
広島に原爆が投下されてから74年目。
今年も通勤途中で黙とうしました。
様々な出来事に、「令和になって最初の」というのがついて回りますが、8月の戦争関連の出来事が起こった日もやはりそうなります。
被爆者の方々にとっては、元号が変わっても、被爆の事実と、被爆者であるということは変わりがなく。
1年また1年と積み重ねられる時間に、同じだけ年齢を重ねていかれます。
次のこの日を迎えられるのか、ということは、他の人に比べてより不確かな中で。
犠牲者のご冥福を祈ると共に、ご健在な方がお元気であるように祈ります。

8月ジャーナリズムと言われ、この時期は戦争関連の報道が一気に増えます。
新しい事実の発見などのスクープ、新しい切り口でこの日を見る試みは毎年あるもので。
「今年は何を?」と担当者は考えることでしょう。
正直、今日はブログに広島原爆の日について書こうと思ったとき、今年は何を書けばいいのかと、私もしばし考えました。
毎年、新しく何かに出会い、何かを考えるとは限らない。
新しい何かがないとしても、ただ振り返るということがまず大切なこと。
なのだけれども。
目を向けてもらうために何か違うことをしなければいけない、ような気がするのは、イベントにたくさんの人に来てもらえるように、と考えるのとつながっているのだろうな、と思うところです。
それは、この日あの時間に1分間だけ目を閉じて祈り、誓うということが、誰にでも共通していることではないから、でもあるのでしょう。
伝えなければ、気づかない人も多いから。

何がいいたいのだか自分でもよくわからなくなってきましたが。
思想信条その他を越えて、この日あの時間だけは誰もが自然に目を閉じることができたら、と思っているのが1つ。
自分なりにこの日のことを考え、自分のことに引き付けてみることができるなら、と思うのが1つ。
自分につながることとして、この日を、あの戦争をとらえることを試みているのだなと改めて思ったのですが、それはやはり自分なりのもので。
それで誰かが「自分も考えてみよう」と思うきっかけになれたらよいのだけれど、おこがましいかな、とも思うところです。