あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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戦場体験史料館までの道順
長崎に原爆が投下されて72年目です。
平日の今日は、仕事中に黙とうしましたが、近くの席の人はまさに電話の真っ最中で、思いっきり声が聞こえていた、ということもあり、変な気分でした。

さて、広島原爆の日に、ジオラマの話をしましたが。
関連して、今日はレプリカの話を。
8月6日までナガサキピースミュージアムで行われていた企画展「祈る花瓶-8.9Nagasaki-」では、原爆に遭った瓶を3Dプリンターでスキャンして制作されたレプリカが展示されていたということです。触れる展示になっているようです。
被爆したそのものではありませんが、その質感が再現され、あの瞬間の結果を触って感じられるというのは、おもしろいと思いました。(いつもこういう話をするとき、「おもしろい」という言葉を使うのをためらうのですが)
かつて広島の平和記念資料館にあった被爆人形のジオラマでも、においや熱などは感じることができなかったと思うのですが、触覚に訴えるという形は、視覚によるものとはまた違った印象を残すはずです。

レプリカということでいうと、保存の会でも、シベリア抑留体験者の中島裕さん(仙台も初日に登場)が、抑留中の食事のレプリカを作ってくださっています。
見た目とともに、重さを再現したとのことで、そのときの状況を体感するのにだいぶ活躍しています。
証言が大切なのはまぎれもない事実ですが、同じ言葉の意味するものが、それを受け取る人によって違ったイメージになっていることがあるのを実感するものです。それこそ、絵や写真を見たり、実物を見たりすることで、イメージが違っていたことに気づくのです。
戦争の記憶を「継承」するためには、それなりに体感できるものができる限りあったほうがよいのでしょう。

アウシュビッツと連携して実物資料をメンテナンスすることも、これから行われていくようです。
それはもちろん重要なことですが。
レプリカであったとしても、それによって伝わるものは意外と大きいだろうと思っています。
そういうものの活用も、これからの課題になってくるのかもしれません。

様々な人の手による、様々な継承の形を思いながら。
「忘れてはいませんよ」「覚えていますよ」「思っていますよ」と、72年前へ語り掛ける8月9日です。
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広島に原爆が投下されてから72年目です。
保存の会もイベント前で、連絡を取り合うことも多いためか、気になったニュースの話など、メンバーから入ってくることもあります。保存の会公式twitterでも、被爆体験を継承する動きについてのつぶやきがときどき出てきています。

広島の平和記念資料館は、現在大規模改修中で、4月に東館が新装オープン。
それについての記事も、ネットで見かけました。
広島市の当時の地形を再現した白いジオラマに、原爆投下の前後の町の姿が映像を使って投影されるものができているようですね。
データや写真をもとに再現したもので、実物資料ではないまでも、現実にあったものの再現ということにはなっているといえるのでしょうか。
ネット上でも、ここ数年、グーグルアースを使った再現が試みられていたようで、そこにあった町や暮らしが一瞬にして破壊された、ということを伝える努力が続けられていたのはときどき情報として見かけていました。

さて、平和記念資料館のジオラマと言えば、等身大の被爆人形の撤去が物議をかもしたのも記憶に新しいです。
が、最初のその議論が2013年というと、もう4年経っていて、ちょっとびっくりしました。
ネット上で見かけた記事は、それとの比較が入っていて、この被爆人形のときのほうが足を止めて思いを巡らせる人が多かったということに触れられていました。
私は被爆人形があったときに1回訪れただけで、それから十数年経つのですが、あの空間を歩いたときの気分はそれなりに思い出せます。
人形だとわかっていても、自分がその空間にいて同じ高さでそばを歩くというのは、背筋が寒いような胸がむかむかするような、なんとも言えない感覚でした。
その場にあっただろう熱やにおいや感覚は再現されていなかったわけですが、なんというか、生理的に感じるものがあったのは確かです。

自分がそこにいる感覚、というのは、可能ならば再現するのがよいのではないかと、個人的には思います。
前後の街並みを見るのは、事実を、知識として知る、という、なにかしら割り切りのようなものが入ってくるのではないかという気もします。
そして、どちらかというと、落とした側の感覚のような気がします。任務を終えて、少し離れたところからきのこ雲を見ている感覚というと言い過ぎかもしれませんが。
戦争になった場合、自分たちはどちら側になるのか、そして、きのこ雲の下で何が起こっていたのか、というのは忘れてはならないところだと思います。

新しい平和記念資料館は見ていませんし、本館は改装中なので、それこそ体感していない状態でいろいろ言うのもどうかというところではあります。実際足を運ぼうと思っています。

いずれにしても、そこに「祈り」があってこそで。
今日も、72年前はきのこ雲の下だった場所で、祈りと誓いが捧げられました。
改めて、祈りましょう。
昨日の日野原重明先生の訃報は、やはり衝撃でした。
100歳を迎えられたころ、110歳までは生きて、日本が本当に平和になるのを見届ける、と語っていらっしゃるのを読んだことがありました。
達成していただきたかったのですが。

日野原先生が始められた新老人の会、熊本支部は、平和活動にとても熱心で、保存の会も熊本大分のキャラバンのときにはお世話になっています。
東京くんだりから何かやりにいく必要などない勢いの活発さで、保存の会としても熊本・大分は遠くから応援していようというかんじでいたところがあります。昨日の記事を書きながら、そういうことを思い出していました。
災害続きのところに、私が感じたどころではない衝撃だったのではないかと思います。
今後も、こちらの皆様がたの活動を尊敬し、応援していきます。遠くから。・・・ですが、近くに行く機会もあるわけですので、何かあれば声をかけていただければ、というところです。

戦後72年。
ハレー彗星と、戦争の苦難を忘れる時間とを重ねた表現もあるようですが、確かに、正念場を迎えているのがさらに実感として迫ってきました。
実は、おととい、会議の後残ったメンバーで、仙台での「百人展」の頃は元気だった方々を思い出しつつ、「誰が長生きするのかわからないものだ」という話をしたところでした。

日野原先生のご冥福を祈りつつ、先生が見ることのできなかったあと5年後に向けて、あの大戦の記憶・記録を残すということに関して何か誓いを立てなければならない気持ちになっています。
台風3号通過後、九州では豪雨が続いて被害が拡大しているというニュースが入ってきます。
昨年の熊本の地震に引き続き、災害に見舞われている九州。早く落ち着くように願うばかりです。
天災については、本当に、願うしかないです。
私も地元は九州なので、落ち着かないところなのですが。

保存の会の「戦場体験者と出会える茶話会」は、9月には福岡に行くことになっていますが、時は台風の季節。そういう方面での心配もあります。
日程的に直撃を受けるというのは、実はこれまでにも何度かあったのですが。
訪れる地域が、今をしのがなければならない状況であるとき、一応は72年前に終わった戦争のことをやっていていいのかということを考えるものです。
チャリティーコンサートなどのように、これで少しでも元気になれるという種類のイベントでもないですし。

しかし、東日本大震災から間もないころ、できる限りいつもやっていることは今年もやろうと頑張っている方々がいらっしゃるのもまた事実で。
そして、話をする場所があることが、元気になる要素になることも、多少なりともありそうで。
結局は、自分たちもいつもやっていることをやり遂げるのが一番よい形であるのかもしれないということになるのです。
いずれにしろ、行ってできることをする、というのに尽きるでしょう。

皆さん、お大事になさってください。
昨日、大田昌秀さんの死と遺されたものについて考えていました。運動の先駆者として形をつくられた方が亡くなった後、どのように引き継がれていくのかと。

そこで思い当たりました。保存の会も、先駆者が亡くなっていることに。
保存の会を設立し、初代代表(2代目はいない)を務められていた上田哲さんは、戦場体験史料館が今の場所に開館するのを目前に亡くなったのでした。
私は、来場者として初めて保存の会の活動に参加したのが第2回日比谷証言集会で、そのときには上田さんはすでに病床にあり、ストレッチャーであいさつをされていたのを見ました。
私がこの方を見たのは、これが最初で最後となり。この第2回日比谷証言集会の後保存の会に顔を出すようになるのですが、この方と一緒に活動をするということはありませんでした。
2008年のことです。
保存の会設立が2004年の年末、それから4年後に、初代代表が亡くなった、ということです。
そして現在2017年。すでに8年半が経とうとしています。
保存の会が、保存の会として初代代表と歩んだ年月の2倍以上が、いつしかすぎていたのでした。

保存の会は・・・元気です。
もちろん、初代代表に鍛えられた初期メンバーがしっかり後を引き受けるばかりかいっそう暴走していることによる部分がかなり大きいですが、そこに巻き込まれてうっかり無茶を言い出してしまうメンバーも後を絶たず。(自分もその主要な一人ですが)
・・・・・・まあ、こういう組織もあるんだなあと、今更しみじみ思いました。
一緒に歩んできた体験者の方々との別れも時折やってきていて、先駆者を失っていく状況は続いているところではありますが。
保存の会のあり様は、偉大な先駆者を亡くして、これからに不安を抱える組織、運動の方々の希望になれるのではなかろうか、と思ったところでもあります。

遺されたものを引き継ぎ成長させながら、これからも、歩んでいきましょう。