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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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65年前の私たちの戦場体験を放映保存する
元兵士の連絡所


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電話 03-3916-2664
※戦場体験史料館開館時間=火・木・土・日・祝日の10時~17時
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     戦場体験史料館内・元兵士の連絡所

戦場体験史料館までの道順
まだ保存の会本拠地の状況を確認していませんが、便りのないのは良い便りなのだろうかと思っています。
一応、戦場体験史料館は、よほどのことがあった場合、ジムキョクメンバーから連絡が来るはずなので。

千曲川の氾濫が気になり、信州戦争資料センターのサイトを覗きにいったところ、twitterに、洪水の影響は受けなかったというツイートがありました。
保存の会公式twitterからはフォローしているので、ジムキョクメンバーもこれは目にしただろうと思います。
他の資料館の状況はよくわかりません。
なんとなく、普段からtwitterなど活用しているところは、災害時もそれで情報を流すというのが普通のことになっているように思います。
そうでないところは、状況がわかりにくいです。
直接つながりがある方々であれば、電話やメールで連絡を取ればよいというのはあるのですが。
安否確認、SOSなど、すぐに発信できるかどうかは、普段の発信具合によるのを感じます。
まあ、私のように、毎日発信はするけれども、本拠地にいるわけではないので情報が足りていないパターンもあるので、いろいろ言えないのですけれど。

住民票のない被災者を避難所が断ったというニュースなどもみかけました。
日常的に存在する壁が、非常時にははっきりと見えてくることもあるのでしょう。
戦時にも同様のことがあるのを、これまで伺ったお話から思い出すのですが。
安否を気にかけ、助け合うのもまた日常の延長です。
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巨大台風が通り過ぎ、強風や洪水による被害の情報が流れています。
地震に比べて、来るのが予想できるために準備の余地があるとはいえ、どうしても甚大な被害が出ることになってしまいます。
そして、地震より、被害の出る範囲は広くなりがちです。今回は台風が巨大だったため、直撃しなくても風雨の影響は大きかったようです。
皆様、ご無事でしょうか。

今回、東京都北区にも避難指示が出ていたので、保存の会事務所は大丈夫だろうかと、自宅よりむしろ気になっていました。
うちも、台風では初めて避難指示のエリアメールが来ておののきましたが。自宅は河川から遠く、日当たりと引き換えに(?)風の影響は少な目なので、だいたいは停電・断水に備えるぐらいで乗り切れるので。
事務局メンバーの1人が、連休中東京を離れているので、実はまだ確認できていません。
一応、水没するエリアではないと、東日本大震災後の確認で聞いてはいました。
さすがに、大事になっていたら連絡が来ると思うのですが。
民家利用の史料館だと、鉄筋コンクリート造りのビルに比べて、心配は多い気がします。

23区でも東のほうは、最大90%浸水するなどという、恐ろしい予報が出ていましたが、そちら方面はどうだったのでしょうか。
人命の心配、それから、財産の心配、となるのですが、こういう活動をしていると、財産は歴史的財産であり公益のものなので、なおさら気になるのです。

事務所が無事であれば、体験者の方々の心配をすることになります。また、各地で出会った方々のことも。
場合によってはお見舞いということもあるかもしれません。

台風が過ぎた後も、いろいろ大変ですが、まずは体調に気を付けていただきたいと思います。
超強力な台風が接近しています。
関東は今夜がピークのようで、今は家の中でできる範囲の準備をしています。
もうじき、パソコンを立ち上げている場合でもなくなるし、その後停電が続くかもしれないので、今のうちに、いくぶん不謹慎かもしれないことを書いておきます。

窓ガラスの飛散防止に養生テープを「米」の字に貼るように、というのが拡散されていて、どこもテープが売り切れているという状況の中。(ちなみにうちは網ガラスなので、むしろ貼ってはいけない部類)
戦時中が舞台の番組で、各家庭の風景としてよく見るやつだな、と思ってしまいました。
あれは爆風対策だったのですよね。
台風によるガラスの飛散防止には、テープを貼るのは無意味と、ハリケーンの来るような地域のアメリカの人たちがつぶやいていたというのも見かけました。
戦時の爆風対策も、無意味に映っていたのでしょうか。実際、そんなものでは何にもならず、全て燃え尽きるわけですが。

さて、今回に限らず思うのですが、台風の進路を見ていると、大戦末期、情報を持った人たちは、こうやって米軍が接近してくるのを待ち受けていたのでしょうか。
「マリアナ沖で台風が発生」「フィリピン付近で熱帯低気圧が台風に変わり」といった言葉を耳にすると、つい反応します。中学校で歴史を習って以来、「サイパン」という言葉を聞くと、セットで「インパール」という言葉が浮かんでしまうのと同様。(たぶん戦時の標語だかで、「サイパン・インパール」と続くのが教科書に出ていたせいです。当時から素質はあったようです。)
マリアナ諸島やフィリピンから、多くは沖縄の離島~本島を経由してやってくる台風。
同じように、1944~45年初頭には、米軍がサイパンやフィリピンを陥落させて本土に向かって近づいてきていたのでしょう。
もはやガラスにテープを貼る程度しか対応する術がなくなった日本へ。その頃には、食糧や物資が圧倒的に不足していました。
そして、まず沖縄に、「鉄の暴風」がやってきました。
10月10日の空襲を皮切りに、正月時期、3月の爆撃を経て、沖縄上陸。
2月には硫黄島への上陸、本土への大規模空襲も行われました。
せめてもの対抗を試みた「神風」は、もちろん巨大な嵐を止めることはできませんでした。
十年近くブログを書いていると、「これは前に書いただろうか?」と自信がなくなることがときどき出てきます。
昨日、10・10空襲のことについて書いたので、今日はそれに付随することを書こうと思ったところ、それにぶち当たりました。
10・10空襲、十・十空襲という単語で検索する限りでは書いていないようですが、沖縄戦の話のどこかでは書いたかもしれません。

10・10空襲は、那覇市を中心に、沖縄各地を焼野原にしました。
攻撃により人命が失われたのはもちろん、家や財産も失われました。
そうした失われたものの中に、対馬丸で亡くなった人たちの形見にあたるものもありました。
というのも、対馬丸には、那覇周辺の学校の子供たちが多く乗っていたからです。
対馬丸沈没は隠されたので、乗船していた人たちの家族は、情報を得るのに大変苦労されたようです。
いろいろなつてをたどって情報を集めた結果、家族の死を知る、という悲惨な状況でした。
しかし、それは始まりにすぎず。
10・10空襲では、さらに残った家族が亡くなったところもありました。
そして、亡くなった方々の思い出となるものの多くが、空襲で焼けてしまったのでした。

それさえも、始まりに過ぎず。
約半年後に始まる沖縄地上戦では、さらに多くの人々が亡くなり、多くのものが焼失します。
戸籍さえも失われます。
亡くなった人たちのことを語れる存在がことごとく消えてしまうのです。
空襲や原爆でも同様のことはありましたが、沖縄は特に顕著であり、その後米国施政権下におかれたこともあり、失われたものを回復することも難しい状況が続きました。

本当にひどい状況の中では記録が残らない。
記録が残っていないことをもって、その悲惨さを感じるしかない。
そういうこともあります。
残っている記録では、実は不十分だということにもなるのですが。
それでも、残っている記録の中に、何も残すことができなかった人たちの姿が切り取られていることもあるかもしれません。
記録を残すのは、その持ち主である本人のためだけではないのだと思います。
いい加減、展示の中身のほうを考えようよ、と自分でツッコミを入れておきます。
で、そういえば、と思い出しました。
鹿児島の展示を考えるとき、保存の会の活動をアピールしようと思いましたが、一方で、各地でやったものを持ち帰って東京でもやろう、という話をしていたのでした。
各地でのイベントでは、地元にゆかりの展示など入れるようにしています。
それに合わせて、テープ起こしをし直したり、写真や資料を整理したりします。
各地に、大戦全体を感じられる展示を持っていくのなら、東京では、各地で使った展示を集めてみたい、と。
まあ、今年に限ると、各地でやったのは鹿児島だけなのですが。

「戦場体験キャラバン展」ということで、基本セットをつくり、茶話会と抱き合わせでやっているのがここ数年のパターンです。
もともとは保存の会の本『戦場体験キャラバン』の構成と証言を引き継いだ形の展示として始めたものです。
それが、昨年の長崎では「戦場体験聞き取りキャラバン報告展」という名前になり、文字通り、全国での聞き取りの成果報告的なところを意識した展示になりました。
このとき、保存の会紹介コーナーも個別につくりました。
「戦場体験キャラバン展」という同じタイトルでも、違った展開ができるのではないかと思います。
展示で各地を回った記録も見せていく。
「戦場体験を見せるキャラバン展」というかんじでしょうか。
一昨年から各地で茶話会をやるようになって、そのときに展示した地元ゆかりの証言や物品を、今度は東京で、各地での茶話会の報告として展示する。
そうやって、全国へでの茶話会の成果を積み上げて活かしていく。

というのを、1つのコンセプトにしたらどうかと、改めて提案。思い出して提案。
1回のイベントでコンセプトは1つと決まっているわけでもないと思うので、別のタイプの展示と2本立て3本立てもあっていいでしょう。
さしあたっては、昨年やったモノの展示です。この展示をしたのがメディアに取り上げられたことで、新たに品物を寄贈したいという声が少し遠いところからもいただけて、新幹線に乗って受け取りに行ったりもしています。
そういう成果も、フィードバックしていければよいでしょう。
もっと言えば、フィードバックしたところをさらにメディアに取り上げてもらって、またモノが増えて、というのが恒例化するといいと思うのですが。
「大事なことは何度でも書く」とのたまわった某新聞記者さんのような心意気で、一緒に旅(イベント)を育ててもらえたらなあと思います。