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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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65年前の私たちの戦場体験を放映保存する
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保存の会メンバー1名、3連休は鹿児島に行っています。
昨日の状況などはまだ報告が入ってきていません。
3月20日(金・祝)の聞き取りの内容が、保存の会公式twitterにつぶやかれていましたので、まとめておきます。

◆◆◆

2020.3.21 17:43
連休は鹿児島に来ています!聞き取りと、5/30〜31の鹿児島県姶良市の茶話会イベントの準備のため。昨日はマルレ艇の特攻を志願した特幹二期の方にお話を伺いました。怖いもの知らずの17歳が半ば勢いで志願して、教官や上官のおじさん達をガチ泣かせているお話。。若さって怖い

2020.3.21 18:52
17歳マルレ特攻志願兵のお話その2。昭和20年、広島の船舶整備教育隊の兵舎におじさん集団がやってきた。2回目の応召を受けた人達だったが、毛布を引っ被って蹲り意気消沈。あまりのたるんだ様子にビックリした。翌日は普通の様子で、兵舎前を通る女の子を中国語交じりに冷かすので上官が困っていた(続

2020.3.21 18:52 19:10
続き)軍隊内では日中戦争を経験したおじさん達よりも特別幹部候補生である17歳の自分の階級が上。でも自分から挨拶をするようにしていた。休日の公園でおじさんの1人と遭遇し、郷里の話になった。よく魚釣りをしていたらしい。満期除隊で内地に帰還して所帯を持ち娘がいる。赤紙がきて(続

2020.3.21 18:52 19:31
続き)入営する時、幼い娘が一緒に行く!ときかなくて、と言っておじさんが押し黙った。武士の情けで見ないふり。所帯を持つと中国で暴れ回ったみたいな戦争はもうできないですよ、これからはあなたみたいな人達に頑張ってもらわないといけませんね、というおじさんの言葉が特攻を志願した動機の一つ。
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昨日3月20日(金・祝)、鹿児島で聞き取りがありました。
メンバー1名前日入りし、朝からお邪魔していました。

事務局から速報で状況メールが届きましたが、なかなかいい聞き取りだったようです。
お話が盛り上がって、4時間に及んだということです。
体験者の方は、船舶特別幹部候補生で、マルレの訓練をされていた方。
昨年の鹿児島での茶話会にお客さんとして参加し、飛び入りでお話をしてくださった方です。
マルレの志願の経緯や周囲の反応などが中心のお話でした。
大変詳細に記憶されており、入隊してからの日常の中のエピソードもいろいろと出てきたそうです。

5月末に予定している鹿児島県姶良市での茶話会にも来ていただけるよう、相談しているところです。

本日3月21日(土)は、姶良公民館の下見、坂上さん他地元の方との打ち合わせの後、もう1件聞き取りとなっています。
5月末に予定されている鹿児島県姶良市での茶話会イベントに向けて、今日からの3連休、保存の会メンバーが1名、鹿児島入りしています。
だいたいの予定は以下のとおり。

3月20日(金・祝)
午前:聞き取り
◎体験者の方:船舶特別幹部候補生、マルレの訓練
鹿児島の戦争を語り継ぐ会の方と一緒にお邪魔します。
その後打ち合わせ?

3月21日(土)
午前:姶良公民館下見、坂上さん、地元の展示をする人3名と打ち合わせ
公民館は、下見は可(人が集まるわけではないからでしょう)ということなので、予定通り見てくることになりました。

午後:聞き取り
◎体験者の方:民間人、州からの引揚げ
鹿児島の戦争を語り継ぐ会の方と一緒にお邪魔します。

3月22日(日)は今のところ予定なし。

進捗、鹿児島の様子など、また情報があれば報告していきます。
ゴールデンウイークの全国キャラバン南九州チームが聞き取りを行った方の一覧表です。
お名前から、それぞれの方の証言にリンクしています。

基本的には公表の可否を判断するため、戦場体験放映保存の会メーリングリスト等に証言レポートが上がった方についてのみお名前を載せます。
ゴールデンウイークのキャラバンについては、昨年夏と同じように、当面、証言概要をブログに転載する都度、お名前を掲載し、リンクをしていく形にします。
南九州チームについては、ほぼ全員の証言が上がっています。

南九州チーム
訪問都道府県:宮崎県、鹿児島県
日程:2011年5月3日(火・祝)~5月8日(日)

◆◆5月3日(火・祝)◆◆

鹿児島県知覧町

知覧特攻会館訪問

◆◆5月4日(水・祝)◆◆

鹿児島県さつま町

◎田中茂さん
戦地等:海軍。通信技術者。マーシャル諸島・ヤルート環礁。

◎堀敏郎さん
戦地等:陸軍。衛生兵。中国。

◎久保成夫さん
戦地等:陸軍。中国。

◎外囿哲実さん
戦地等:中国・ハイラル。

◆◆5月5日(木・祝)◆◆

宮崎県宮崎市

◎中西学さん
戦地等:海軍。駆逐艦「初霜」乗員。アッツ島、キスカ島、マリアナ沖海戦等。

◆◆5月6日(金)◆◆

宮崎県宮崎市

◎井ノ久保武義さん
戦地等:海軍。軽巡洋艦「阿武隈」主計~航空偵察。真珠湾攻撃、フィリピン・レイテ島等。

◎金丸幸輔さん
戦地等:満州鉄道職員。

◆◆5月7日(土)◆◆

「宮崎空襲を語り継ぐ映画、交流、集い」参加

◆◆5月8日(日)◆◆

宮崎空港慰霊祭参加
宮崎公立大学の広瀬訓教授の研究室訪問
南九州チームが5月4日(水・祝)に伺った証言の概要です。
さつま町高齢者クラブ連合会の4人の体験者の方の4人目です。

◆◆◆

◎外囿(ほかぞの)哲実さん
大正8年7月5日生まれ

昭和14年2月28日現役
第23師団558連隊 ハイラル

6ヶ月間初年兵教育。

昭和14年から昭和17年
塹壕堀、野外演習で過ごし、昭和17年4月に除隊。
除隊と同時に915部隊に軍属として配属。(病院勤務)

終戦まで病院の事務方を勤める。

【概要】
第23師団配属連隊で最初、弾薬庫保守を担当し、上官の評価よく、営門の担当、軍旗の保管まで任せられた。
23師団に一度、大変に失敗をしており、短剣を傷つけてしまった。
兵器検査が怖いと思っていたら、案の定引っかかってしまった。
3年兵に「奥歯をかめ」と言われて、軍靴で顔を殴られた。50往復は覚えていたが、その後気を失った。気付いたら藁の上で寝ており、顔がはれて目が開かなかった。一ヶ月くらいしてようやく顔のはれがおさまった。
兵士時代は、とにかく訓練。塹壕堀り、強行軍。強行軍の後に背嚢をおろせといわれ、おろすと重りを入れられた。すぐに走れといわれて殆どの兵士が途中で倒れて、自分を含めて3名完遂した。
歩哨は零下33度までは一時間、それ以上は30分。凍傷の危機が身近にあった。射撃よりも銃剣術を重視する訓練だった。白浜隊長は銃剣術の大家だった。ある日師団長に「銃剣術だけでいいのか?」と問われ、隊長は、「はい。銃剣術が最強です」と答えた。

昭和17年、除隊してから免渡河の915部隊に軍属として病院勤務。
被服の出し入れを担当していた。忘れられないのは、昭和20年8月3日にハイラルの陸軍病院にいったときにソ連のスパイが2人いるといって、憲兵が走りまわっていたこと。その5日後にハイラルがソ連から空襲を受け、部隊が損害を受けた。免渡河からブハトの移動を命令される。
病院の患者は自分で歩けるものは歩き、歩けないものはひとりずつ銃で殺されていた。
重要書類を焼却するようにいわれ、作業をしていたが、ソ連の戦車の砲撃音が聞こえ、逃げ遅れることを恐れ部屋ごとガソリンをまいて燃やした。
8月9日から後は衛生兵は戦場にいき、重傷者は手に負えず馬家は血だらけになった。日本軍が圧倒的なソ連軍に、爆弾を抱いて戦車に飛び込んでいると伝え聞いた。8月16日敗戦の報がきて、915部隊陸軍病院はチチハルの54部隊
で武装解除せよと命令があった。正式な武装解除後、兵士は連行され、軍属と看護婦は連行されなかった。

最後に「戦闘経験がなかった。兵士として戦いたかった」とおっしゃっていたのが印象的でした。