あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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ゴールデンウイークのキャラバン、本日5月2日(土)の様子です。

ゴールデンウイーク後半の始まりは、神奈川県藤沢市へ。
今日の体験者の方、浅場ケイ子さんは、東京の国民学校から静岡県の袋井小学校に学童疎開されていた方。
1944年12月7日に起こった東南海地震を体験されています。(当時国民学校6年生)
10年ほど前、震災のことを調べ、一緒に学童疎開していた人や袋井の人等に聞き取りを重ねて冊子にまとめられていました。
ご本人の記憶はもちろんびっくりするほどはっきりしておられるのですが、さらに旧友と会って話をしてお互いに補完しあってこられて、震災のことや疎開のことについての全体像を明らかにするのに多大な貢献をされています。

1944年の8月に疎開が決まり、何カ所かに分散して学童疎開となったそうです。3、4、6年生が静岡県の袋井町(当時)にあった天理教の教会の宿舎へ。
3、6年生が袋井東小学校、4年生が袋井西小学校に通っており、この日は午後の授業が始まったところで地震が起こったとのこと。
宿舎に戻る途中で、つぶれた家をたくさん見て心配になりました。
一緒に疎開していた3年生の妹さんはこの日たまたま宿舎に残っていましたが、教会の建物は無事だったので再会でき、お互いほっとしたそうです。
一方、川の西側にあった袋井西小学校は倒壊し、学童2人が死亡、多数のけが人が出ました。
このとき、地震のことを話してはいけないというお触れが出ており、当初2名の死亡の情報は入らなかったけれども、実際現場にいた4年生は、布団に入っているときに「○○ちゃんはおなかがつぶされて死んだってよ」と、こそこそ話をしていたのだとか。近所のお姉さんが、「明日も地震が来るんじゃない?」と言って本当に来たのでひどく怒られたということもあり、デマ対策だと思われていたとのこと。
学童に死傷者が出たので、親たちには地震のことがそれなりに伝わっていたということです。
同じ宿舎のそばで軍隊が野営をしていて、そこには物資もあり、軍医もいたので、震災後もこの部隊を頼って助かっていたようです。
地震で東海道線の橋がいくつか落ち、袋井の駅では線路も曲がってしまって列車が通れなくなった時には、軍事列車で様々な運搬が行われ、軍隊には物資が届いていたということでした。この軍事列車が、現在の天竜浜名湖線らしいです。(ネットで調べた限りでは、軍事専用の路線だったわけではないようです。もともと東海道線の迂回を想定して計画された路線です。)
震災後、袋井も空襲警報が鳴るようになり、学校も疎開学童を受け入れる余裕がなくなったため、別のところへ疎開することに決まりますが、浅場さんはお父さんの実家のあった福島県白河に縁故疎開し、そこで終戦となったとのこと。
終戦後3年ほどの食糧と物資の不足がとても大変だった中、家族みんななんとか乗り切って、その後それぞれ努力し成功もしたということです。

話はじめると途切れない方で、戦後の話もだいぶたくさん話されました。
今、家族の100年史を執筆中とのことです。
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本日5月2日(土)のキャラバンの日程です。

訪問地:神奈川県藤沢市
体験者の方:
◎戦時中発生した東南海地震を経験。静岡の小学校への疎開。

5連休初日、よろしくお願いいたします。