あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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4月12日の聞き取りを、仮に2015年春のキャラバンということで紹介します。(ゴールデンウイークの状況次第で、証言一覧のくくり方は変えるかもしれません。)
メーリングリストに即日流れた報告より転載します。

◆◆◆

◎牧野 良久さん 大正7年6月14日生まれ
横須賀海兵団 機関兵

昭和14年6月 横須賀海兵団入団
親が横須賀まで送ってくれた。半年もたないのではないか?と心配された。
半年間の訓練。いろんなことを班単位で競争させられた。最下位の班は飯抜きだった。
昭和14年12月訓練終了。いざ、配属というときに、「痔」の手術で入院させられた。
昭和15年2月 兵学校の士官の身の回りの世話をする従卒にさせられた。

昭和15年6月 休日を2日与えられた。いよいよ戦地に。中国広東方面に。
ポンポン船の機関兵で、警備、食糧の友軍への配布等に携わった。
中国が流す機雷が大変だった。笑い話だが、あるとき、船に機雷がくっついて「機雷だ」と叫んだら、船長が「どこか?メガネ」といって双眼鏡で眺めだした。
いやいや、船のすぐ横にきていて、くっついていた。衝撃が弱かったので爆発はしなかった。

沈んだ船の回収で、兵隊の死体をひっぱりあげようとしたとき、戦闘が始まった。
中国側の銃撃で、右手を貫通。ものすごい衝撃だった。

上海、香港等に警備で寄ったこともある。いずれも戦闘が終わった後なので、平凡な日々。

昭和18年9月 内地に戻れと命令。横須賀に帰った。
5,000トン級の輸送船「高崎」に乗船する命令。
父が危篤で、兄が横須賀まできた。出発することを伝えられず、時計を渡して父に渡してくれとお願いした。後から聞いた話だと「いい音がする」と父が時計の音を聞いて、そのまま亡くなった。
航空ガソリンを荷にして、スマトラ、ボルネオ、パラオ、サイパンと回った。

昭和19年6月ごろ、フィリピン近くで雷撃により沈没。たまたま機械の修理で甲板に出ており、船内にいなかったので助かった。船底にいた人は水に巻きかまれるか、火に包まれて死んでしまった。阿鼻叫喚だった。
なんとか助かり、フィリピンの陸戦隊に組み込まれたが、すぐに内地に引き揚げ命令。

昭和19年夏ごろ、駆逐艦 蔦(つた)に乗船。すごく装甲が薄くて、機銃掃射で穴が開くらしく、木製のせんが置いてあった。穴があいたら、そいつを穴にさして、ふさぐためだった。
蔦(つた)は、人間魚雷回天を搭載するように甲板後部を改造した。昭和20年に入って山口県光市で搭載と発射の訓練を、回天搭乗員も含めてやった。
瀬戸内周辺で、ネットと草で偽装して待機。8月6日の朝に、艦長から「今日、広島付近で大変なことがおきるかもしれないが、落ち着いて行動するように」と言われた。
キノコ雲を目撃した。事前に聞いていたので、日本軍が新型爆弾を開発したかと思っていた。
この話は、不思議で、日本軍が事前に原爆投下を知っていたのでは?とも取れる。

8月20日に蔦(つた)は沖縄特攻に回天を搭載して出撃することが決まっていた。
8月15日に天皇陛下からお言葉があると聞いてので「沖縄特攻前の励ましのお言葉があると思った」が、内容は終戦。聞き取れなかったが、周りから戦争が終わったと聞いた。

呉に上陸したら、日本人に「敗残兵」と言われたのは、ショックだった。
終戦後、冬、復員船として蔦(つた)に乗船。フィリピン等にいった。現地の人から石を投げられた。
今も忘れられないのは、フィリピンの夕日に照らされた日の丸の風景。素晴らしく美しくて目に焼きついた。
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2014年12月に行った聞き取りを、2014年末キャラバンとしてまとめます。

◆◆12月7日(日)◆◆
東京都葛飾区
体験者の方
◎パラオの女学生。空襲、野戦病院での手伝い等。

◆◆12月12日(金)◆◆
福島県伊達市
体験者の方
◎ビルマ

◆◆12月13日(土)◆◆
山形県東根市
体験者の方
◎占守島の少年戦車兵

◆◆12月27日(土)◆◆
福島県白河市
体験者の方
◎ミンダナオ島

静岡県
体験者の方
◎中国

◆◆12月29日(月)◆◆
埼玉県さいたま市
体験者の方
◎障害者としての戦中体験
本日、2014年最後の聞き取りです。

12月29日(月)
埼玉県
体験者の方
◎障害者としての戦中体験

年の瀬ぎりぎりな時期までありがとうございます。



ゴールデンウイークのキャラバン、さいたま市での5月4日(日・祝)の様子です。

昨年の浅草百人展で通信機のデモを行ってくださった瀬戸山さんに、改めてお話を伺いました。
少飛に志願された状況から、通信のプロとしての戦中、戦後の生活等、そのデモを行える技能に裏打ちされているのが感じられました。
ご本人は、反射神経がずば抜けていたために通信に配属され、パイロットとして外地に行けなかったのを残念がられていましたが。
技能に加えて、人と心を通わせるお人柄とコミュニケーション力も、ぜひ通信にと言われた理由かもしれないと思いました。

現在も、桶川の飛行学校の建物を残し活用する活動や、埼玉の少飛会のまとめ役をされています。

庭先から、すずらん等の花を切っていただき、北海道までの「キャラバン」気分にもなれました。